第十九話 心臓への地図
ケントを襲った血毒の危機を乗り越え、俺たちは猛烈な赤流に逆らいながら、血管壁を登り続けていた。
体内で迎える『十九日目』——。
三十日のタイムリミットまで、残すところあと十一日。
垂直に近い肉壁をハーケンとロープでよじ登る道中、幸いにもところどころに静脈弁が作り出す『肉のポケット』が点在していた。俺たちは鼓動の合間を縫ってそこへ飛び込み、息を整え命がけの休息を取りながら、何とか少しずつ上を目指して前進を重ねていたのだ。
だが、心臓に近づくにつれて「ドクン……ドクン……!」という地響きのような脈動の衝撃波は凄まじさを増し、押し寄せる風圧と熱気で全身の筋肉が断末魔の悲鳴を上げていた。
「ハぁ……ハぁ……! なあユウマ……この壁登り、いつまで続くんだよ……? 肉のポケットで休んだって、俺の腕はもう茹で上がったタコみたいにフニャフニャだぞ……」
先頭を進むタクマが、荒い息を吐きながら情けない声で泣き言を漏らす。
「泣き言言わないのタクマ! 足踏み外したら下流まで一直線なんだから!」
アオイがタクマの尻を突っつきそうな勢いで叱り飛ばす。だが、そのアオイ自身の顔にも隠しきれない疲労の色が濃く滲み、足元は微かに震えていた。
「……みなさん、あそこを見てください! 上の壁面です!」
最後尾を守るケントが、ランタンの強い光を上方の暗闇へ向けた。
そこには、太い静脈と動脈が複雑に交差する結節点に、魔王の肉組織を削って強固に作られた人工的な「構造物」が存在していた。骨の支柱と硬質化した甲殻のプレートで周囲を補強された、まるで岩山に張り付く要塞のような空間だ。
「あれは……観測施設!? 過去の探索者たちが作った拠点ですか!?」
「よし、あそこへ入って本格的に体制を整えよう!」
俺たちは最後の力を振り絞ってハーケンを引っ掛け、構造物の防護扉と思われる分厚い骨の隙間から内部へと滑り込んだ。
ドスン……! ガシャアン!
中に飛び込んで重い防護扉を閉め切ると、外部の猛烈な血圧、地響きのような暴風と熱気の一切が一気に遮断された。
そこは十数人が余裕で寝泊まりできる広さを持つ前線観測所で、朽ち果てた木箱や使い古された測量器具、そして壁一面に刻まれたびっしりとした調査記録がそのまま残されていた。
「助かった……! 生きた心地がしなかったぜ……」
タクマがその場に大の字になってひっくり返る。
「すごい……! ここ、かつての先導隊が血管領域や心臓のバイリズムを調べるために作られた、本格的な前線基地ですよ!」
ケントが目を輝かせ、疲労も忘れたように壁に張り出された羊皮紙や木板の記録へ駆け寄っていった。
「おい見ろよ! ビスケットの缶とポテトチップスみたいな袋があるぞ! ……チェッ、空っぽかよ」
木箱を漁っていたタクマが残念そうに呟く。
「当たり前でしょ…… 何十年も前の保存食が残ってるわけないじゃない」
アオイが腰に手を当てて呆れ顔で突っ込む。
「だってよぉ、干し肉と不味い薬草液ばっかりで胃袋が悲鳴を上げてるんだよ……」
「文句を言わない! 生きてることに感謝しなさいよ!」
タクマとアオイの相変わらずのやり取りを横目に、俺とケントは基地の最奥に置かれた頑丈な作戦机に近づいた。埃を払うと、そこには魔王の心臓周辺を精緻に描いた一本の巨大な羊皮紙——『心臓全域図』が広がっていた。
「……これだ。僕たちが求めていた最終目的地への、完全な立体地図です!」
ケントが震える指先で地図の描線をなぞる。
「日誌の記録と完全に合致しました。魔王の心臓中央部には、命の源泉である『核』が存在しています。全身に魔力と血流を送り届けているのは、すべてこの核のエネルギーです。……魔王を倒し、体内の防衛システムを停止させて外へ脱出するには、この核を破壊するしかありません」
「核を破壊すれば……魔王は死に、俺たちは外に出られるんだな?」
俺が念を押すように確認すると、ケントの表情が急に重く陰りを帯びた。
彼は地図の横に添えられた、掠れた赤字の警告文を静かに読み上げ始める。
「ですが……ここに恐ろしい注意書きがあります。『核の周囲は、超高密度の生体結界膜——心膜に護られており、剣や弓といった通常の物理的攻撃、並大抵の魔力撃では一切の傷をつけられない』と……」
「はぁ!? 傷つけられないって、どうやって壊すんだよ!?」
ひっくり返っていたタクマが跳ね起き、アオイと一緒に作戦机を覗き込む。
「……じゃあ、今までここに来た人たちはどうやって戦おうとしたの?」
アオイが不安そうにケントを見つめる。
「……やり方は必ずあるはずだ。先人たちも、不可能だと分かっていてこの基地を残したわけじゃない」
俺は作戦机の周りを見渡した。壁に掛けられた頑丈な削岩用ピック、特殊な薬液のボトル、そして幾重にも書き重ねられた構造解析の計算式。
「この基地の記録を全部洗おう。核の結界を破る方法、そしてここから心臓へ通じる最短ルート……。ここでしっかり情報を整理して、確実な作戦を立てるんだ」
「おうよ! ここなら血の川に流される心配もねえしな! 徹底的に調べてやろうぜ!」
タクマが力強く拳を握りしめ、みんなも力強く頷いた。
目指すべき敵の正体、そして撃破すべき「核」の存在。
残された時間は、あと十一日。
暗闇の中を手探りで進んでいた俺たちの目の前に、ついに最終決戦への道筋がはっきりと姿を現した。




