第十八話 身体に現れた異変
血管のひさし(肉のポケット)の中で冷や冷やしながら夜を明かした俺たちは、体内で『十八日目』の朝を迎えていた。
三十日のタイムリミットも残り十二日。
心臓の「ドクン……ドクン……」という地響きのような鼓動に合わせ、ハーケンとロープを使って血流に逆らい、壁を少しずつ登っていく作業を再開した直後のことだった。
「っ……く……!」
俺たちのすぐ後ろを登っていたケントが、突然苦しげな声を漏らし、ハーケンを握る手を滑らせた。
「ケント!?」
俺は咄嗟にロープを強く引き、足元の突起を踏ん張ってケントの身体を支えた。
宙吊りになりかけたケントを引き上げ、壁の少し広い肉棚にしがみつかせると、彼の顔色は見たこともないほど真っ青に跳ね上がっていた。額には大量の冷や汗が浮かび、指先が微かに震えている。
「ハぁ……ハぁ……すみません、ユウマ……急に頭が猛烈にクラクラして……視界が赤く染まって……」
「大丈夫かよケント!? 怪我でもしたのか!?」
タクマが慌ててかけ寄る。
「怪我じゃないわ……見て、手首のあたり!」
アオイが悲鳴に近い声を上げた。
ケントの袖から覗く皮膚の上に、赤く発光する微細な斑点のような模様が血管に浮き出ていたのだ。
「これって……昨日、あの巨大マクロファージに直接身体を掴まれたときの……!?」
「ええ……その通りです……」
ケントは苦しそうにメガネを押し上げながら、弱々しく首を振った。
「あのとき、あいつの強烈な体液が皮膚から侵入したようです。長期間、魔王の体内環境に曝露され続けたことも相まって、体内の魔力成分と生体毒素が僕の身体で激しい拒絶反応を起こしています……呼吸器官が『異物』を体質変化させようとする……軽度の体質変性、あるいは消化毒の症状ですね……」
「体質変性って……要するに、ケントの身体が魔王の体内に取り込まれかけてるってことか!?」
タクマが目を見開いて叫ぶ。
「……探索を、一時中断しよう。応急処置をしないと、このままではケントが動けなくなる」
俺は迷わず宣言した。
「待ってください、ユウマ……僕のせいで時間を無駄にするわけには……残されたタイムリミットは、もう十二日しかありません……僕を置いて先へ——」
「バカ言えっ!!」
タクマがケントの肩をドスンと強く叩いた。
「『俺を置いて先に行け』なんて格好つけたセリフ、100年早いわ! お前がいなきゃ、地図も解読できないし、魔王の心臓の構造だってさっぱりだろ! 最初から四人で帰るって決めてんだよ!」
「タクマの言う通りよ」
アオイも優しく、けれど断固とした口調でケントの前にしゃがみ込んだ。
「誰も置いていかない。四人で帰るの。そのために、今まで色々集めておいたんだから」
そう言ってアオイがリュックを滑り降ろし、中からゴソゴソと取り出したのは、ガラス瓶に詰まった肺胞の発光胞子や、胃袋の階層で採取した粘液の小袋だった。
「アオイ……お前、いつの間にそんな素材まで集めてたんだ?」
俺が思わず呆気にとられて尋ねると、アオイは誇らしげに胸を張った。
「道中でケントが手記を見て『これには解毒の成分が含まれているかも』って言ってたじゃない? 万が一のために瓶に採っておいたのよ!」
それを聞いたタクマが、感動したような顔でアオイを見つめた。
「お母さん……?」
「あんたのお母さんになった覚えは一秒もないわよ!!」
アオイの即座の怒声が狭い肉棚に響き渡り、ケントが苦笑いを漏らす。
「……助かりました、アオイさん。その手記の後半に、解毒剤の調合法が載っています。たしか……その胞子粉末と粘液を三対一で混ぜて……微量を水に溶かして飲めば効くはずです」
「任せて! ユウマ、すり潰すの手伝って!」
俺とアオイが手際よく素材をすり潰し、特製の薬を作っていく。
「ほらケント、口開けろ! 薬だぞ!」
タクマが緑色のドロドロした怪しい液体を差し出す。
「うっ……えっ……?これ水で薄めてくれました?こんなにドロドロして……おえ……す、凄まじい匂いですね……まるで腐った雑草と胃液を混ぜたような……」
「文句言わない! 飲む!」
アオイに押し切られ、ケントは意を決して薬を呑み込んだ。
「……!!ぐえぇぇぇっ……!!!!」
ケントが悶絶して涙を流した。
だが、薬の効き目はてきめんだった。数分もすると、手首に浮き出ていた不気味な赤い斑点が急速に薄れ、ケントの顔に少しずつ血色が戻ってきたのだ。
「ハぁ……息が楽になりました……。頭痛も引いていきます……」
「よかったぁ……! 効いたのね!」
アオイが胸を撫でおろし、タクマも「へへっ、ざまあみろ魔王毒!」と鼻を鳴らした。
「体内の環境は、ただの地形じゃない。俺たちの身体そのものをじわじわと蝕む危険な場所なんだ」
俺は全員の顔を見回し、改めて心に刻み込んだ。
「でも、俺たちには仲間と知識がある。誰一人欠けることなく、絶対に心臓まで到達するぞ」
「……はい! ご心配をおかけしました。もう大丈夫です!」
ケントが眼鏡を力強く掛け直す。
仲間を失う恐怖を乗り越え、四人の絆はより一層強固なものとなった。
残された時間は、あと十二日。
俺たちは再び一丸となり、赤く脈動する血管の深部へ向かって壁を登り始めた。




