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第十六話 血管を流れる赤い川 

 細いリンパバイパスの肉チューブを滑り降りた先で、俺たちは思わず息を呑んで立ち尽くした。


 体内で迎える『十六日目』——。

 三十日のタイムリミットも後半戦に突入し、俺たちが足を踏み入れたのは、これまでの胃袋や肺とは次元の違う大空間だった。


「な、なんだよこれ……! まるで真っ赤な大河じゃねえか……!」


 タクマが呆然と声を漏らす。


 俺たちの眼下に広がっていたのは、縦横数十メートルにも及ぶ巨大なトンネル状の肉壁と、その中をどぼどぼと濁流を上げて流れる、見渡す限りの「赤い液体」——血の川だった。


 頭上や側面には、太い血管の束が網の目のように蠢き、そこから染み出た蒼白いリンパ液と真っ赤な血液が混ざり合って、強烈な生温かい熱気を放っている。


「これが……循環器系、魔王の『主血管』の内部ですか……!」


 ケントが眼鏡のレンズを熱気で曇らせながら、身を乗り出すようにして下を見つめた。


「水深……いえ、血深は測定不能。流れの速度は胃液の比ではありません! 普通に進もうとしても、一瞬で流されてどこかへ消えちゃいますよ!」


「ちょっと待って、あそこを通らないと心臓に行けないの!?」


 アオイが引きつった顔で壁の端にしがみつく。


「ああ。日誌やグレッグさんの地図によれば、この大血流を下った先、血管が分岐する最奥部に『心臓』の基部がある」


 俺は背中の荷物を引きつけ、足元の肉壁の突起を観察した。


「でも、泳いで渡るなんて無理だ。この激流の中で流されたら、壁に叩きつけられてひとたまりもない。どうやって進む……?」


 その時だった。


 ドクン……ッ!!


 腹の底を揺さぶるような、強烈な超低音の衝撃波が洞内に響き渡った。


「うわっ! 今度はなんだよ!?」


 タクマがバランスを崩しかける。

 と同時に、眼下の赤い川の勢いが一瞬だけ猛烈に跳ね上がり、大きな赤いしぶきが俺たちの足元まで押し寄せてきた。


 ドバババババッ!


「う……! 生温かい…」


 しぶきを浴びたアオイが思わず顔を背け、服を濡らす血液を払った。

 直後、鼻腔の奥を突き刺したのは、頭がくらくらするほどの濃密な鉄臭さだった。赤サビの塊をダイレクトに吸い込んでいるような強烈な金属の臭気と、魔王の体内特有の粘つく獣臭が混ざり合い、呼吸をするたびに吐き気を催させる。

 息をするだけで胃の腑が逆流しそうになるこの悪臭は、物理的な重みとなって容赦なく俺たちの体力を内側から削り取っていく。


 そして、数秒後——。


 スーッ……。


 急激に血流の勢いが弱まり、まるで引き潮のように川の表面が静まり返った。


「……待て。今の衝撃と血流の変化……」


 俺は時計の針を見つめながら、自分の胸に手を当てた。


「ドクン、と鳴った瞬間に血流が激しくなって、その後に急に弱まる……。ケント、これって……!」


「心臓の『鼓動』です!」


 ケントが即座に俺の気づきを理解し、ノートを開く。


「心臓が収縮して血液を押し出す瞬間(収縮期)に、猛烈な濁流が押し寄せる! そして心臓が拡張して血を吸い上げる瞬間(拡張期)に、流れが弱まるんです! 肺の呼吸と同じだ……この赤い川の激流は、魔王のドクンドクンという『心拍』と完全に連動しています!」


「なるほどな!」


 タクマがポンと手を打った。


「つまり、心臓が『ドクン!』って脈打った直後の激流タイムは壁にへばりついてやり過ごして、流れが弱まった瞬間に一気に前進すればいいんだな!?」


「そうよタクマ…… でも、言うのは簡単だけど……」


 アオイが壁を見回す。


「壁は熱気を帯びてるし、ヌルヌル滑るし、掴まる場所も少ないわ。道具を使わなきゃ身体を固定できない」


「漂着物の墓場で手に入れた、ハーケンとロープの出番だな」


 俺は背中から頑丈な金属杭と、怪物の脈から作った伸縮性のあるロープを取り出した。


「壁の肉根に杭を打ち込み、ロープで全員の身体を繋ぐ。血流が弱まる『拡張期』の数秒間に一気に距離を稼ぎ、脈打つ直前に杭を壁に突き刺して耐えるんだ」

★「血流のキャニオニングってわけか! 面白くなってきたじゃねえか!」


 タクマがニッと歯を見せて強がってみせる。


 その額には冷や汗が浮かんでいたが、この絶望的な中でも失われない彼のカラッとした元気さが、張り詰めた俺たちの緊張をどれほど和らげてくれているか分からない。


 一歩間違えれば、激しい血流に呑み込まれて一瞬で命を落とす危険な壁下りだ。

「行くぞ。魔王の鼓動の周期、絶対に読み飛ばすなよ!」


 一歩間違えれば、激しい血流に呑み込まれて一瞬で命を落とす。


「今日は無理な前進はやめよう。安全な場所を探して、そこで明日に備えて体力を温存するぞ」


 俺の判断に全員が静かにうなずき、血のしぶきが直接かからない安全な隙間を見つけて体をロープで結びつけあう。一晩中響き渡る低音の鼓動と強烈な鉄臭さに苛まれながらも、俺たちは息を潜めて夜を明かした。


残された時間はあと十四日。



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