第十三話 森に残された廃墟
飛行魔物の苛烈な追撃を風の慣性で振り切り、滑り込んだ狭い横穴の奥へと、俺たちは慎重に足を進めていた。
体内で迎える『十三日目』——。
外の気管支森林を吹き荒れる強烈な吸気と呼気のリズムは、この入り組んだ横穴の深部まで届かず、周囲には不気味なほどの静寂が広がっていた。
「……なぁ、なんかすげえにおいがしないか?」
先頭を行くタクマが鼻をひくひくさせる。
「ええ。胃袋のような酸の臭いでも、肺の生臭さでもない……焦げた薪と、古びた金属の臭いです」
ケントがランタンの灯りをかかげ、暗闇の先を照らし出した。
その光が浮かび上がらせた光景に、俺たちは息を呑んだ。
「これ……建物、なの……?」
アオイが引きつった声で呟く。
そこにあったのは、肉壁の侵蝕を受けながらも確かに「人の手」によって作られた建築物の残骸だった。
異世界の壊れた船の甲板材や、頑丈な骨組み、加工された石材が巧みに組み合わされ、体内の激しい脈動や酸から身を守るための小さな「シェルター」が構築されていたのだ。
「肺の奥に残された古い廃墟……! 手記に書いてあった通りだ!」
俺は胸を躍らせ、足早に崩れかけた木製の門をくぐった。
内部には、過去の探索者たちが暮らしていた生活の痕跡がそのまま残されていた。
煤けた囲炉裏の跡、干からびた謎の植物の束、そして錆びついた武具や工具の数々。だが、それ以上に俺たちの目を引きつけたのは、中央の頑丈な石造りの机の上に置かれた一冊の分厚い革皮のファイルだった。
「ケント、見てくれ!」
「これは……探索隊の公式な航海日誌、あるいは日誌の原本ですね……!」
ケントが手袋をはめた手で、慎重にページをめくる。
そこには、これまで俺たちが手にしてきた個人のメモよりも遥かに詳細な体内の構造図と、悲痛な歴史が刻まれていた。
「……何が書いてあるの?」
アオイがケントの肩越しに覗き込む。
「肺の先……つまり循環器系(血管)へ続くルートの詳細です。この肺の森林領域の最深部には、全身へと血液を送り出す『主脈動管(大動脈)』へと直接つながる巨大な網状器官が存在するそうです」
「血管に入れれば、心臓まで一直線ってわけか!」
タクマが拳を握りしめる。
「ですが……」
ケントの表情が引き締まった。
「その先の記述です。……かつて数十人規模で結成された大規模な探索隊が、この拠点を作って血管領域への進出を試みたそうです。しかし……」
『——警告する。血管の中へ進んではならない』
ケントが日誌に刻まれた太い文字を読み上げる。
『——血管の内部には、胃袋や肺の比ではない強力な防衛生物(抗体・殺傷器官)が密に群れている。我々の部隊は正面から突入を試みたが、無数の白い殺傷器官に取り囲まれ、退路を断たれて壊滅した。引き返せ。ここは生き物の体内ではなく、殺戮の工場だ』
重苦しい静寂が、廃墟の中に広がった。
「数十人の探索隊が正面突破を挑んで全滅か……」
タクマが腕を組み、うーんと唸る。
「でもさ、俺たちがここで出会った白い防衛器官たちのことを思い出すと……奴らは音や特定の刺激に敏感に反応して群がる習性があっただろ? 正面から力任せに大部隊で暴れたからこそ、余計に敵を引き寄せちまったんじゃないか?」
「めずらしくタクマの言う通りね」
アオイも手帳を見つめながら力強く頷いた。
「あいつらは敵を感知して群がる。大軍で派手に突っ込めば突っ込むほど、逆に自分たちの首を絞めることになるのよ。私たちみたいに少人数で、奴らの仕組みや習性を理解して動けば、隙をついてすり抜けることはできるはずだわ」
「アオイの言う通りだ」
俺は日誌のページをしっかりと見つめ直した。
「先人たちは真っ向勝負をして壊滅した。でも、彼らが残してくれたこの失敗の記録がある。どんな防御生物がどうやって襲ってくるかを知っていれば、俺たちなら目を盗んで通過できる」
「ふっ……言うようになったじゃねえか、ユウマ」
タクマが口元を歪め、自分の頬をポンと叩いた。
「よっしゃ! 過去の探検家たちの教訓を無駄にせず、俺たちのやり方でこの化け物の心臓に届いてやろうぜ!」
「ええ。日誌のデータを徹底的に分析して、血管内の防衛機構の習性を暴き出しましょう」
ケントも眼鏡の奥の瞳に知的な闘志を宿らせ、ノートに日誌の地図と敵のデータを写し取り始めた。
先人が遺した希望と警告の証、肺の廃墟。
俺たちはそこで過去の歴史から確かな勝機を見出し、さらなる死闘が待つ「血管」への道筋を静かに見定め始めていた。
残された時間は、あと十七日。
俺たちの足取りはより一層深く、そして確固たるものへと変わっていく。




