第十二話 風に乗る魔物
呼吸の周期を身体に刻み込みながら、蒼く光る気管支の森を奥へ奥へと進んでいた。
体内で迎える『十二日目』——昨日把握した「約三分おきの吸気と呼気」のリズムを使い、俺たちは風が弱まる合間を縫って順調に距離を稼いでいた。
「よし、あと三十秒で『吸い込み』の風がピークになる! 全員、左前の太い気管支の根元に滑り込め!」
俺の指示に合わせて、タクマ、アオイ、ケントが手際よく巨大な根の隙間へと滑り込む。
直後、ゴオオオオッ……と猛烈な吸引風が森全体を駆け抜け、頭上の発光肺胞がいっせいに蒼い光の尾を引いて揺れた。
「ハハッ、完璧だ! コツさえ掴めばこの風も大したことねえな!」
根の陰で風をやり過ごしながら、タクマが余裕の笑みを浮かべて金属棒を肩にポンと乗せる。
「調子に乗らないでよタクマ。少しでもタイミングを間違えたら、あっちの底なしの肉の亀裂に真っ逆さまなんだから」
アオイが呆れ顔で注意を促しつつ、背中の荷物を背負い直す。
「でもアオイさんの言う通りですが、タクマの言う通り移動のペースは劇的に上がっていますよ。この分なら肺の通過も——」
ケントが眼鏡を押し上げながら言葉を続けようとした、その時だった。
ギィィィィアアアアッ……!!
風の音を切り裂くような、耳を突く甲高い金切り声が頭上高くから響き渡った。
「……な、なんだ!?」
全員が一斉に見上げると、遥か天井近くの霧が巻く大空洞で、黒い影の群れが猛烈なスピードで旋回を始めていた。
鳥ではない。エイか巨大なイカに似た、半透明の薄い膜を持つ翼状の生物たちだ。彼らは自力で羽ばたくのではなく、魔王の呼吸によって生まれる凄まじい気流にその身を乗せ、まるで空を自在に泳ぐように滑空している。
「肺の環境に適応した飛行型の捕食生物……!」
ケントが顔を強張らせ、手記の控えを抱え込んだ。
「あいつら、自分たちで飛ぶ体力を節約するために、この定期的な風の流れを利用して獲物を探してるんだ!」
「ってことは、風が吹くたびに上から襲ってくるってことかよ!?」
タクマの叫びに応えるように、群れの一匹が大きな膜状の翼を広げ、強烈な吸気風の勢いに乗って急降下してきた。標的は、根の陰から少し身を乗り出していたタクマだ!
「タクマ、伏せろ!」
俺の叫びと同時に、タクマは咄嗟に地面へと身を投げ出した。
直後、シュバッ! と空気を切り裂く音が響き、頭上を通過した敵の鋭い爪が気管支の表面を深く削り取った。
「危ねえっ! あと数センチで首を持っていかれるところだったぞ!」
「例えが物騒すぎるわよ! ほら、次が来るわ!」
アオイが特製ナイフを構え、上空から立て続けに降り注ぐ影を牽制する。
厄介なのは、敵の素早さだけではなかった。
強力な吸引風が吹いている間は、俺たち人間は踏ん張るだけで手一杯になる。一方で敵はその風を『翼のエンジン』にして加速し、全方位から自由自在に襲いかかってくるのだ。
「くそっ、風に抗いながら武器なんて振れるか! このままだと風に飛ばされるか、あいつらの餌食になるかの二択だぞ!」
タクマが木製盾を頭上に掲げ、鋭い爪の突撃をギリギリで弾き返す。
「風と戦うからダメなんだ……!」
俺は吹き荒れる暴風の中で歯を喰いしばり、必死に頭を回転させた。
風は障害だ。だが、あいつらが風に乗っているなら、俺たちだって風を使えるはずだ。
「みんな、次の『吸い込む風(吸気)』が最大になる瞬間に合わせて、あえて踏ん張るのをやめるぞ!」
「はぁ!? 何言ってるのよユウマ! 吸い込まれたらあっちの巨大な気管支の洞穴まで吹き飛ばされちゃうわよ!」
「そうじゃない! 風の勢いに乗って、あそこの洞穴まで一気に『滑る』んだ!」
ユウマは数十メートル先にある、複雑に脈が絡み合った巨大な横穴を指さした。
「あそこなら天井が低くて、あいつらは翼を広げて入ってこられない! 風に引きずられる力を利用して、あそこまでジェットコースターみたいに飛び込む!」
「なるほど……敵と同じように風の慣性を利用するわけですね!」
ケントが目を輝かせる。
「よし乗った! 滑り台なら得意だぜ!」
「もう、ヤケクソなんだから……! 行くわよ!」
息を殺し、風の脈動が最高潮に達する瞬間を待つ。
洞窟全体が大きく引き絞られ、空気が唸りを上げた。
——今だ!
「走れ……いや、跳べっ!!」
俺の合図で、四人は一斉に足元の踏ん張りを解いた。
直後、猛烈な吸引風が身体を包み込み、俺たちの身体は猛スピードで空中を低空滑空するように横穴へ向かって引っ張られていった。
急降下してきていた飛行生物たちは、急激にターゲットが風に乗って高速移動したことに対応できず、勢い余って背後の硬い肉壁へと次々に激突した。
ドガッ! バキッ!
「うわあああぁぁぁっ! 速ぇぇぇぇっ!」
タクマの叫び声が響く中、俺たちはそのまま横穴の肉床へと滑り込み、重なり合うようにして転がり込んだ。
ガシャン、ガラガラッ!
横穴の入口に積もっていた軟骨の破片が崩れ落ち、狭い入口を半分ほど塞ぐ。
直後、追撃してきた数匹の飛行生物が入口に激しく突っ込んできたが、広げた翼が引っかかり、横穴の中までは入ってこられず悔しそうに甲高い声を上げて飛び去っていった。
「ハァ……ハァ……ハァ……!」
狭い洞窟の奥で、四人は大の字になって激しく肩を上下させた。
「生きてる……よな……? 俺、体に穴開いてねえよな……?」
タクマが自分の全身をペタペタと触って確認する。
「大丈夫よ……無事……全員無事ね……」
アオイが乱れた髪を払いながら、ホッと胸を撫でおろした。
「す、凄まじい機動戦でした……。風の力を物理的に計算して利用するなんて、一歩間違えれば大惨事でしたよ……」
ケントがズレた眼鏡を直しながら、苦笑いを浮かべる。
「でも勝ったぜ! 魔王の鼻息サーフィン、案外悪くなかったな!」
タクマが強がりを言うと、アオイが「二度とやりたくない」と呆れ顔で突っ込んだ。
俺は起き上がり、横穴の隙間から外の広大な生体森林を見つめた。
魔王の呼吸のリズムを理解し、その流れに逆らうのではなく『乗る』こと。この過酷な体内環境を生き抜くための極意が、少しずつ掴めてきた気がした。
残された時間は、あと十八日。
俺たちは傷ついた装備を整え、過去の探索者が残した次なる手がかり——肺の奥に眠るという「廃墟」を目指して、再び歩み始めた。




