第十一話 呼吸する森
肺の領域に足を踏み入れてから一夜が明け、俺たちは蒼い光を放つ巨大な生体森林の探索を進めていた。
体内で迎える『十一日目』——胃袋の過酷な酸の池を潜り抜けた俺たちだったが、この「肺」領域の探索もまた、一筋縄ではいかないことを思い知らされることになった。
「うわっと……! なんだ、いきなり強い風が……!?」
先頭を歩いていたタクマが、急に正面から吹き付けた強風にあおられて、前のめりに体勢を崩した。
風は湿り気を帯び、冷たく、洞窟の奥から外へ向かって一定の強さで吹き抜けていく。
「急に寒くなったわね。服に染み込んだ湿気が冷やされて凍えそう……」
アオイが両腕を抱え、身をすくめる。
だが、俺たちが立ち止まって風が収まるのを待っていると、今度は真逆の現象が起きた。
シュー……ッ……。
ピタリと風が止んだかと思った次の瞬間、今度は背後から猛烈な吸引力が働き、服や髪が奥へと強く引っ張られたのだ。
「うおっ!? 今度は後ろに引っ張られるぞ!?」
「きゃっ……!?」
足元を取られそうになったアオイの腕を、タクマが咄嗟に掴んで支える。
ケントは慌てて足元の肉根に手をつき、メガネを押さえながら叫んだ。
「一方向だけじゃない……! 数分おきに、吹き出す風と吸い込む風が交互に流れています!」
「周期的な風……。まさか、これって……」
ユウマが周囲を見回すと、驚くべき光景が広がっていた。
風の向きが変わるたびに、周囲に聳え立つ巨木のような気管支の幹や、たわわに実る発光肺胞がいっせいに揺れ動いている。風を吸い込む時には森全体が膨らむように広がり、吐き出す時にはキュッと縮んで沈み込む。
「森全体が……まるで息をしてるみたいだな……」
タクマが呆然と呟く。
「みたい、ではありません。本当に呼吸しているんです」
「この風の正体は、魔王自身の呼吸です。僕たちが今いる『肺』領域は、魔王が外の世界から空気を取り込み、吐き出すための巨大な換気器官。だからこそ、一定の周期で吸気と呼気が交互に発生しているんですよ」
「じゃあ……この大風は、あいつの鼻息ってこと!?」
「表現は最悪だけど、事実ね」
アオイが呆れ顔で息を吐く。
だが、笑い事ではなかった。
魔王の呼吸に合わせて吹く風は、ただ歩きにくいというレベルを超えている。
吸気のタイミングでは身体が奥へと引きずり込まれ、足元の亀裂や突起に足をとられそうになる。逆に呼気のタイミングでは前進することすらままならず、強風にあおられて壁や鋭い突起へ吹き飛ばされそうになるのだ。
「この呼吸の周期を計算しないと、安全に先へ進むことすらできないぞ……」
俺は時計を取り出し、風の変化をじっと観察し始めた。
「……吹き出す風が約三分。静寂が三十秒。吸い込む風が約三分。また静寂が三十秒……」
「完全に規則正しいバイオリズムですね。基本的にはこの『三分周期』がベースになっているようです」
ケントがノートに素早くメモを取る。
「よし。呼吸の合間の『静寂の三十秒』と『風が弱いタイミング』を見極めて移動するぞ!」
「了解! 『だるまさんがころんだ』の風バージョンってわけだな!」
タクマが金属棒を肩に担ぎ直し、不敵にニヤリと笑う。
だが、しばらく前進を続けたところで、刻一刻と体内の『夜』が近づいてきた。
呼吸によって生じる凄まじい風は、移動だけでなく「休む場所」すら奪い去ろうとしていたのだ。数分おきに突風と吸引が交互に襲うこの平地で眠りにつけば、寝ている間に吹き飛ばされるか、奥の底なしの穴へ引きずり込まれてしまう。
「なあユウマ……今夜はどこで寝ればいいんだ? こんな暴風の中で寝たら、起きたときには異次元まで吹き飛ばされてるぞ……」
タクマが寒そうに肩をすくめながら周囲を見回す。
「風の影響を受けない『風よけ』を探すしかないわ。でも、どこもかしこも風が通り抜けてる……」
アオイも不安そうに眉をひそめた。
そのとき、俺の目は巨大な気管支の根元をとらえた。太い脈状の幹が複雑に絡み合い、地面との間に大人が数人すっぽり入れる洞穴のような窪みを形成している。
「あそこだ! あの根の陰なら、風の直撃を殺せる!」
四人は風が弱まった合間を縫って一気にその窪みへ滑り込んだ。
予想通り、絡み合った太い根が防波堤の役割を果たし、外で吹き荒れる強烈な吸気と呼気の風圧をしっかりと遮ってくれていた。
「ふぅ……! ここなら風に吹き飛ばされずに済みそうですね」
ケントが胸を撫でおろし、荷物を降ろす。
「よし、今夜はここで野営しよう。風の音は凄まじいけど、安全は確保できた」
俺の言葉に、みんなが疲れ切った身体を横たえた。
数分おきにゴオオッと頭上を吹き抜ける魔王の息遣いを感じながら、俺たちは身を寄せ合って冷え込む体を温め合った。
残された時間は、あと十九日。
呼吸する森の厳しさを知った十一日目の夜、俺たちは風の防波堤の中で静かに目を閉じた。




