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第27話 誰が線を引くのか

「新しいルール作ろうと思ってるんですけど」


 少し間があった。


「またですか」


「……またです」


 電話の向こうで、小峠さんが笑った。


「今回は、まだ作ってないです」


「そうなんですか」


「一応、案はあるんですけど」


「はい」


「ちょっと聞いてもらっていいですか」


「俺がですか?」


「はい」


 また少し間があった。


「……俺に聞くんですか?」


「え?」


「いや、こういうのって、いつも決まってから来るんで」


「ああ」


 僕は、開いていた画面を見た。


 現場対応メモ。


 余白を含めた人員設計。


 契約外対応の三段階。


 全部、僕が作った。


 まだ送っていない。


 だから今回は相談している。


 そのつもりだった。


 これまで小峠さんに、


 これでどうですか。


 使いづらくないですか。


 何か問題ありますか。


 と聞いたことはある。


 でも、そのときにはもう、だいたい出来上がっていた。


「じゃあ今回、決める前なんで」


「はい」


「聞いてください」


「分かりました」


 少しだけ姿勢を直した。


     *


「まず、契約外の依頼があったときなんですけど」


「はい」


「三つに分けようと思ってます」


「三つ」


「その場で対応する。管理者に確認する。対応しない」


「はい」


「判断するのは、安全かどうか。どれくらい時間がかかるか。本来の作業に影響があるか」


「はい」


「どうですか」


「まあ、いいんじゃないですか」


 終わった。


「……それだけですか」


「え?」


「何かないですか。現場から見て、ここ変じゃないとか」


「現場から?」


「はい」


 小峠さんが少し黙った。


「俺は、別にこれでいいですよ」


「じゃあ、これでいけそうですかね」


「いや、それは分かんないです」


「え?」


「俺は、です」


「ああ」


「他の人は分かんないです」


 僕はメモを取ろうとして、手を止めた。


「みんな、そんなに違います?」


「違うと思いますよ」


「例えば?」


「俺は、ちょっとくらいならやっちゃいますけど」


「はい」


「やらない人もいますし」


「ルールだから?」


「それもあるし。よく分からない機械だったら触らない人もいるし」


「ああ」


「ホテルの人に頼まれたら、断れない人もいますよ」


「いるね」


「新人じゃなくても」


「うん」


「あと、その日のメンバーでも違います」


「どういうこと?」


「慣れてる人が多ければ、誰かがちょっと抜けても回るし。新人が二人いたら、俺はあんまり抜けたくないです」


「ああ」


「忙しい日もあるし」


「じゃあ、時間だけじゃ決められない?」


「俺はそう思いますけど」


 俺は。


 その言葉が残った。


「他のスタッフにも聞いてみた方がいいかな」


「いいんじゃないですか」


「全員?」


「全員に聞くんですか?」


「……無理だな」


「ですよね」


 小峠さんが笑った。


「ホテルの人にも聞いた方がいいと思いますよ」


「ホテル?」


「だって、頼むのホテルの人ですよね」


「ああ」


「この前のマシンのやつにも聞いたらいいんじゃないですか」


「新人?」


「はい」


「なんで?」


「実際にやるの、俺だけじゃないんで」


 僕はメモを開いた。


 現場。


 と書いた。


 少し見て、


 その下に、


 小峠さん。


 と書いた。


     *


 翌日、床洗浄機を復旧したスタッフに話を聞いた。


「あのマシン、なんで見たの?」


「動かなかったので」


「それは前にも聞いた」


「あ、はい」


「そういうとき、対応しろって誰かに教わった?」


「いや」


「マニュアルにあった?」


「ないです」


「じゃあ、なんで見たの?」


 少し考えた。


「小峠さん、前に似たようなの見てたので」


「小峠さんが?」


「はい」


「直してた?」


「いや」


「何してたの?」


「見てました」


「見てた?」


「なんで止まってるのかなって」


 小峠さんにも聞いた。


「教えたんですか?」


「何をです?」


「機械が止まってたら、一回見るとか」


「教えてないですよ」


「でも、見てたみたいですよ」


「ああ」


 少し考えて、


「一緒に仕事してましたからね」


 と言った。


 それだけだった。


 新人教育。


 前に、どちらの箱にも入らなくて困った言葉だった。


 教えていない。


 マニュアルにもない。


 研修項目にもない。


 でも、何かが渡っていた。


「じゃあ、こういうときは見た方がいいと思う?」


 新人に聞いた。


「分かんないです」


「今回やったじゃん」


「今回は、できそうだったので」


「じゃあ、できそうならやる?」


「いや……」


 困った顔をした。


「触らない方がいいやつもあると思うので」


「どうやって決める?」


「分かんないです」


「だよね」


「はい」


「ルールで決めてもらった方が楽?」


「その方が楽です」


 僕はメモした。


 現場スタッフは、明確な判断基準を――


 途中で止めた。


 現場スタッフは。


 文章を消した。


 あの新人は、明確な判断基準がある方が楽だと話した。


 そう書き直した。


     *


 別の日。


 長く現場にいるスタッフと一緒になった。


「ちょっと聞いていい?」


「はい」


「ホテルから、契約外っぽいこと頼まれたらどうしてる?」


「基本、確認します」


「誰に?」


「その日の責任者です」


「ちょっとしたことでも?」


「はい」


「なんで?」


「あとで何かあると嫌なんで」


「何かって?」


「壊したとか。そこまでやる契約じゃないとか」


「ああ」


「前の現場であったんですよ」


 理由があった。


 別のスタッフにも聞いた。


「ホテルから何か頼まれたら、どうしてる?」


「できることならやりますよ」


「契約外でも?」


「困ってるんですよね?」


「まあ」


「時間あればやります」


「あとで何か言われるかもしれないよ」


「そのときはそのときじゃないですか」


 理由があった。


 二人とも同じ会社だった。


 同じ現場だった。


 同じルールで働いていた。


 僕はメモを開いた。


 現場。


 その下に、


 小峠さん。


 あの新人。


 Aさん。


 Bさん。


 と書いた。


 現場という文字だけ、少し大きかった。


     *


 ホテルの担当者にも電話した。


「契約外の依頼について、少し運用を整理しようと思ってまして」


「はい」


「ホテル側としては、どういう形が一番いいですか」


「そうですね。前みたいに、その場でできることはお願いできると助かります」


「ですよね」


「もちろん、何でもお願いしていいとは思ってないんですけど」


「はい」


「こっちも、どこまでお願いしていいのか分からないところがありますから」


「ああ」


「厨房の人なんかは、結構気軽に頼んでると思いますよ」


「そうなんですか」


「たぶん」


「担当者さんを通さずに?」


「ありますね。夜とかは特に」


 知らなかった。


「逆に、宴会のスタッフなんかは何も頼まないと思います」


「なんでです?」


「契約のこと知らないので」


「ああ」


「清掃会社さんがどこまでやるのかも、たぶん分かってないです」


「なるほど」


「私は、その場でできることなら対応してもらえるとありがたいですけど」


「はい」


「でも、私がそう思ってるだけかもしれませんよ」


 僕の手が止まった。


「ホテルとして、じゃなくて?」


「ホテルとして決めるなら、上に確認しないと分からないですね」


「ああ」


「厨房は厨房で、また違うと思いますし」


 電話を切った。


 メモを見る。


 ホテル。


 その下に、


 担当者。


 厨房スタッフ。


 宴会スタッフ。


 夜間責任者。


 と書いた。


 最後の三つには、名前がなかった。


 まだ、ちゃんと話したこともなかった。


     *


 ホワイトボードを開いた。


 会社。


 現場。


 ホテル。


 最初は、それで十分だと思っていた。


 現場の下には、


 小峠さん。


 あの新人。


 Aさん。


 Bさん。


 ホテルの下には、


 担当者。


 厨房スタッフ。


 宴会スタッフ。


 夜間責任者。


 会社の下にも書いてみた。


 僕。


 営業。


 管理側。


 営業資料には、


 一歩先を読む現場力。


 と書いてあった。


 僕は、


 契約外のことは一度確認してください。


 と現場に伝えた。


 同じ会社だった。


 僕は画面を縮小した。


 文字が小さくなった。


 空いたところに、まだ書けそうだった。


 今日休みのスタッフ。


 別の曜日にしか入らないスタッフ。


 応援で来るスタッフ。


 これから入る新人。


 ホテルにも、僕が知らない人がいる。


 会社にもいる。


 全部を書くのは無理だった。


 僕は一番上の、


 現場。


 という文字を選択した。


 消した。


 ホテル。


 それも消した。


 会社。


 少し迷って、


 それも消した。


 人だけが残った。


     *


 AIを開いた。


 ここ数日で聞いたことを整理する。


 小峠さん。


 短時間なら対応する。ただし、その日のメンバーや作業量、内容によって判断は変わる。


 新人スタッフ。


 明確な判断基準がある方が楽。


 Aさん。


 原則として責任者へ確認する。過去の経験から、責任範囲を気にしている。


 Bさん。


 時間に余裕があり、自分に対応できる内容ならその場で対応する。


 ホテル担当者。


 可能な範囲でその場での対応を希望。


 ここまで書いて、止まった。


 新人スタッフ。


 書き直す。


 新人スタッフ一名は、明確な判断基準がある方が楽だと話した。


 ホテル担当者。


 書き直す。


 ホテル担当者一名は、可能な範囲でその場で対応してもらえるとありがたいと話した。


 Aさん。


 これも。


 現場スタッフ一名は、過去の別現場での経験を理由に、原則として責任者へ確認すると話した。


 文章が長くなった。


 面倒だった。


 でも、短くすると、


 現場は。


 ホテルは。


 新人は。


 すぐにそうなった。


 僕は入力欄を見た。


 まだAIには送っていない。


     *


 小峠さんの、


「まあ、いいんじゃないですか」


 を思い出した。


 あれは、


 賛成。


 なのか。


 反対ではない。


 なのか。


 どうでもいい。


 なのか。


 今のままでも困っていない。


 なのか。


 分からない。


 新人の、


「その方が楽です」


 も同じだった。


 本当に明確なルールが欲しいのか。


 管理側の僕に聞かれたから、そう答えたのか。


 自分で判断して失敗したくないのか。


 単純に質問が長くて、早く仕事に戻りたかったのか。


 分からない。


 ホテルの担当者の、


「ありがたいです」


 も。


 その人個人の感覚なのか。


 ホテルの運用上の希望なのか。


 その二つが同じなのか。


 分からない。


 僕はAIへの入力欄に戻った。


 現場スタッフは――


 打った。


 消した。


 ホテル側は――


 打った。


 消した。


 スタッフは――


 そこまで打って、


 また消した。


 AIは、まだ何も答えていなかった。


 僕がまだ、質問を作れていなかった。


     *


 全員に聞けばいい。


 少し考えた。


 無理だった。


 人数の問題だけではない。


 僕が聞けば、


 僕に答える。


 小峠さんが聞けば、


 小峠さんに答える。


 ホテルの上司が聞けば、


 また違う答えになるかもしれない。


 匿名アンケート。


 一瞬思いついた。


 それも何か違う気がした。


 質問を書くのは、結局僕だった。


 選択肢を作るのも僕だった。


 自由記述にしても、


 何について書いてください、


 と決めるのは僕だった。


 全員の声を集める。


 きれいな言葉だった。


 でも、


 どこからどこまでを全員と呼ぶのか。


 そこでまた止まった。


     *


 自分の小説を開いた。


 第8話。


 少しスクロールする。


 会議室。


 国。


 言葉。


 故郷。


 島民。


 そこで手が止まった。


「失礼ですが、皆様がおっしゃる『島民』は、それぞれ同じ人でしょうか。」


「ああ」


 声が出た。


 島民。


 便利な言葉だった。


 その先には、


 エリンがいた。


 ラーシュがいた。


 マッティがいた。


 同じ島に住んでいた。


 同じ人ではなかった。


 少し上へ戻る。


 フィンランド。


 スウェーデン。


 そこにも、きっと人がいた。


 僕はまだ、その人たちを書いていなかった。


 ブラウザを閉じた。


     *


 仕事の画面に戻った。


 契約業務 | 契約外業務


 線は、まだそこにあった。


 その周りには、


 新人教育。


 突発対応。


 予兆。


 小さな依頼。


 さらにその周りには、


 小峠さん。


 あの新人。


 Aさん。


 Bさん。


 ホテルの担当者。


 名前の分からない人たち。


 まだ話していない人たち。


 これからここで働くかもしれない人たち。


 僕は新しいメモを開いた。


 何かを書こうとして、


 誰が


 と打った。


 そこで、止まった。


 カーソルは、


 「誰が」


 のあとで点滅していた。



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