第26話 最適化の際適化
第25話 線を引いたあとに
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画面に表示された文字を、しばらく見ていた。
公開日時。
タイトル。
見出し画像。
特に間違いはなさそうだった。
僕はブラウザを閉じた。
メールを開く。
未読が十二件。
チャットが七件。
そのうち三件は、たぶん僕じゃなくても答えられる。
一件は、できれば答えたくない。
残りを上から開いていった。
百年前の島のことを考える時間は、そこで終わった。
*
八人体制になってから、しばらく経った。
ゴミの回収漏れがあった翌日、僕は現場に改めて注意事項を伝えた。
ただ、すぐに新しいルールを作るのはやめた。
契約外のことは全部確認する。
短時間なら現場で判断する。
その二つを行ったり来たりしたばかりだった。
もう一つ何かを足せば、たぶん現場はもっと分からなくなる。
なので、とりあえず見た。
数日間。
作業完了率。
100%。
未完了。
0件。
異常報告。
0件。
残業も増えていない。
写真も揃っている。
日次報告書も出ている。
ホテルから大きな指摘もなかった。
八人でできている。
少なくとも、数字の上ではそうだった。
AIの予測は正しかった。
僕はシフト表を眺めながら思った。
やっぱり、八人でよかったのかもしれない。
十人を毎日置いていたときより、人員配置には余裕ができた。
別の現場に回った二人にも、今は仕事がある。
会社全体で見れば、その方がいい。
そう思い始めていた。
*
ホテルの担当者から連絡が来たのは、その日の午後だった。
「昨日、ありがとうございました」
「はい?」
「マシンの件です」
何のことか分からなかった。
「すみません。どのマシンでしょう」
「バックヤードで使ってる床洗浄機です。急に動かなくなって」
「ああ」
と言ったが、知らなかった。
「あれ、朝まで止まったままだったら結構困ってたんですけど、そちらのスタッフさんが見てくれたみたいで」
「そうだったんですね」
「すぐ動くようにしてくれたって聞きました。助かりました」
「ありがとうございます。本人にも伝えておきます」
電話を切った。
施工報告を開いた。
それらしい記録はなかった。
現場のグループチャットも遡った。
ない。
昨日のシフトを見る。
小峠さんはいなかった。
現場管理者に確認すると、対応したのは新人だった。
以前、小峠さんと一緒に入っていたスタッフだった。
電話をかける。
「昨日、ホテルの床洗浄機、直した?」
「ああ、はい」
「何があったの?」
「動かなかったです」
「それは聞いた」
「あ、すみません」
「いや、いいけど。何で動かなかったの?」
「パッドのところにビニールが巻きついてました。それ取って、一回電源入れ直したら動きました」
「壊れてたわけじゃないんだ」
「たぶん」
「たぶん?」
「そのあと普通に使えてたので」
「ああ」
僕は施工範囲を確認した。
「でも、あれ、うちが使ってるマシンじゃないよね」
「はい」
「うちの清掃範囲でもないよね」
「はい」
「なんで直したの?」
少し間があった。
「……動かなかったので」
「ああ」
「やらない方がよかったですか?」
「いや」
そこで言葉が止まった。
やらない方がよかった。
とは、言い切れなかった。
「危ないことはしてない?」
「してないです」
「自分たちの作業は?」
「終わってます」
「分かりました。ありがとう」
電話を切った。
施工報告をもう一度見る。
作業完了率。
100%。
未完了。
0件。
異常報告。
0件。
その下には何もなかった。
ホテルのマシンが止まったことも。
新人がビニールを外したことも。
そのおかげで朝の作業が止まらずに済んだことも。
今日、ホテルから「ありがとう」と電話が来たことも。
どこにもなかった。
*
以前作った分類表を開いた。
契約業務。
契約外業務。
ホテルの床洗浄機を復旧する。
契約外。
迷う余地はない。
右側に置いた。
その下に、前に整理したとき、どちらへ入れるか決められなかったものが残っていた。
新人教育。
契約業務ではない。
でも、契約外業務と呼ぶのも何か違う。
そもそも清掃作業ではない。
とりあえず別枠にしていた。
僕は椅子にもたれた。
過去の報告やチャットを開いた。
思いつくものを一つずつ並べていく。
新人教育。
突発対応。
台車のキャスター。
倉庫の床。
ホテルからの小さな依頼。
指示されていない汚れ。
設備の違和感。
途中で、手が止まった。
音。
以前、小峠さんが言っていた。
いつも鳴っている音が、鳴っていない。
異常なのかと聞かれて、小峠さんは困っていた。
正常とも違う。
異常とも言い切れない。
分からないから、覚えておく。
僕はメモに書いた。
いつもの音がしない。
一覧を見る。
契約業務。
契約外業務。
どちらかに入れようとすると、入るものもある。
入らないものもある。
入るけれど、何か違うものもある。
そもそも。
分けるって、どういうことなんだろう。
AとBに分ける。
そうすると、AとBができる。
でも、実際にはもう一つできる。
二つを分ける線。
僕は今まで、線の両側ばかり見ていた。
これは契約業務。
これは契約外業務。
これは正常。
これは異常。
これは必要。
これは余剰。
では。
うまく入らないものは、どこへ行くんだろう。
*
営業資料を開いた。
前にも見たページだった。
一歩先を読む現場力。
突発トラブルにも率先して対応する現場力。
お客様の声にすぐ動ける、現場主導のサービス。
「……やっぱり売ってんだよな」
声に出た。
ホテルの床洗浄機を直すことは、契約書にはない。
契約書だけを見れば、やらなくていい。
施工報告にも残らない。
完了率にも関係しない。
異常報告にも入らない。
でも営業資料の言葉に当てはめれば、たぶんこうなる。
突発トラブルにも率先して対応する現場力。
同じ行動だった。
見る場所によって、名前が変わる。
契約上は、契約外。
報告上は、何も起きていない。
営業上は、価値。
分類からこぼれた。
でも、なくなったわけではない。
むしろ、ホテルの人はそれを覚えていた。
*
AIを開いた。
入力欄に、以前使った文章が残っていた。
現在の品質を維持するために必要な配置人数を算出してください。
あのときAIは、八人と答えた。
間違ってはいなかった。
僕は文章を全部消した。
少し考えてから打つ。
過去の作業記録、現場報告、顧客からのコメントから、契約業務には含まれていないが、品質や顧客評価に影響している可能性のある行動を抽出してください。
送信。
AIが考え始める。
しばらくして、項目が並んだ。
新人スタッフへの作業補助・教育。
突発的な小規模依頼への対応。
指示されていない汚れへの自主対応。
顧客スタッフへの軽微な作業補助。
設備や備品の異常・予兆への気づき。
作業導線上の小さな改善。
いくつかには、過去の報告が紐づいていた。
僕は画面をスクロールした。
AIは、前にも同じデータを見ていた。
作業時間。
完了率。
人数。
報告。
写真。
同じデータだった。
でも、前にはこの答えは出なかった。
僕が聞いていなかったからだ。
八人でできるか。
そう聞いた。
だから、八人でできると答えた。
画面には、まだ続きが表示されていた。
僕は一度、最後まで読んだ。
それから、もう一つ質問した。
これらの行動をすべて積極的に実施する場合、現在の八名体制で契約業務への影響なく運用可能か。
AIの回答は長かった。
条件。
前提。
推定工数。
発生頻度。
全部読む前に、だいたい分かった。
常時すべてを行うことを前提にすると、八名体制では契約業務に影響する可能性がある。
「……だよな」
この前、実際にやった。
契約外の作業に時間を使って、本来の仕事が一つ抜けた。
何でも拾えばいいわけではない。
こぼれないように、全部を一つの箱へ入れる。
それでは、箱の意味がなくなる。
分けることは必要だった。
契約内。
契約外。
正常。
異常。
必要。
余剰。
線をなくせばいいわけではない。
僕はAIを閉じなかった。
新しいメモを開いた。
*
契約業務 | 契約外業務
そう書いた。
真ん中に縦線を一本引いた。
新人教育。
どこに置く。
契約業務の近くに置いた。
突発対応。
真ん中あたり。
予兆。
それも真ん中。
小さな依頼。
少し右。
指示されていない汚れ。
少し左。
床洗浄機の復旧。
右。
でも、線の近く。
きれいには並ばなかった。
五分ならできる。
三十分なら難しい。
危険ならやらない。
新人とベテランでも違う。
その日の作業量でも違う。
同じ仕事でも、昨日と今日で場所が変わる。
僕は画面を見た。
妙だった。
扱いづらいものほど、線の近くに集まっていた。
どちらでもないわけではない。
どちらかに入れようと思えば入れられる。
でも、入れた瞬間に何かが抜ける。
新人教育を契約外とすれば、減らす対象になる。
突発対応を契約業務とすれば、何でも対応しなければならなくなる。
予兆を異常とすれば、まだ起きていないものまで異常になる。
正常とすれば、気づいた意味がなくなる。
箱の中に入れることはできる。
ただ、そのとき少しだけ何かがこぼれる。
僕は縦線を見た。
こぼれたものは、線の向こうへ落ちるわけではなかった。
線の近くに残っていた。
*
八人にしたのは、何のためだったのか。
利益。
会社として利益を残す。
必要なことだった。
契約業務を優先したのは。
約束した清掃品質を守るため。
契約外の作業を確認制にしたのは。
安全。
本来業務への影響。
責任範囲。
どれも間違っていない。
画面を下へ動かす。
一歩先を読む現場力。
営業資料の言葉が残っている。
前と雰囲気が違う。
ホテルの担当者の言葉も残っている。
昨日、ありがとうございました。
今日の電話も。
僕はメモに書いた。
何を守る?
そこで手が止まった。
利益。
品質。
安全。
契約。
顧客評価。
スタッフ。
全部書けた。
全部書けるから、余計に分からなかった。
僕は「何を守る?」を消さなかった。
代わりに、別のところに書いた。
線を守る。
その下に、
線を引いた理由を守る。
二つを並べた。
同じように見えた。
でも、同じではない気がした。
*
新しい運用案を作り始めた。
契約外の依頼が発生した場合。
その場で対応。
管理者へ確認。
対応しない。
三つに分ける。
判断材料。
安全性。
想定所要時間。
本来業務への影響。
ここまで書いて、手が止まった。
「これ、前とそんな変わんないな」
結局、短時間ならやっていい、を細かくしただけだ。
項目をもう一つ増やそうとした。
依頼内容。
さらに。
対応理由。
さらに。
顧客影響。
さらに。
緊急度。
画面を見た。
「絶対入れないな」
現場の顔が浮かんだ。
特に小峠さん。
最初の二日くらいは入れてくれるかもしれない。
三日目から怪しい。
一週間後には僕が電話する。
「小峠さん、入力お願いします」
「項目多いんですよ」
言われていないのに、声まで浮かんだ。
僕は増やした項目を全部消した。
少し考える。
現場対応メモ。
それだけ書いた。
異常ではない。
クレームでもない。
契約内か契約外かも、その場では決めなくていい。
気になったこと。
頼まれたこと。
やったこと。
やらなかったこと。
あとで誰かが見られるようにする。
入力欄は一つ。
写真は任意。
必須項目を増やそうとして、やめた。
まだ作らない。
メモだけ残した。
*
人数の表を開いた。
十人。
八人。
以前は、その差ばかり見ていた。
二人。
今は別のものが気になった。
八人の作業時間。
八人全員の予定を、契約業務で埋める。
効率はいい。
無駄も少ない。
でも。
新人に教える時間は、どこに入る。
ホテルのマシンが止まったとき、五分立ち止まる時間は。
いつもと違う音の前で、耳を澄ます時間は。
僕はAIに条件を追加した。
契約業務を所定時間内に完了する。
新人教育に必要な時間を確保する。
突発的な小規模対応のための余力を確保する。
顧客評価に寄与している非定型行動を完全には失わない。
安全性を損なわない。
この条件で、必要な配置人数と運用方法を再計算してください。
送信した。
AIが回答する。
固定人数だけでなく、曜日別の作業量や新人配置の有無、過去の突発対応頻度によって必要な余力を変える案が出てきた。
八人の日。
九人相当の工数が必要な日。
八人でも、予定作業を詰めすぎなければ成立する日。
平均必要工数を人数換算した数字も出てきた。
8.6人。
「人間を0.6人置けるかよ」
思わず笑った。
もちろん、AIが人間を0.6人に切ろうとしているわけではない。
平均値だった。
僕は数字を消さずに残した。
前なら、8.6を見て九人にするか、八人にするかを考えたと思う。
今は、その0.6が何なのかの方が気になった。
新人に教える時間。
立ち止まる時間。
何かが起きたときに動ける時間。
何も起きなければ、使われない時間。
余白。
そう書いた。
こぼれていたのは、仕事だけじゃなかった。
時間もだった。
*
画面には、さっきの分類が残っていた。
契約業務 | 契約外業務
真ん中の線。
その近くに、言葉が集まっている。
新人教育。
突発対応。
予兆。
小さな依頼。
床洗浄機の復旧。
別の画面には、
正常 | 異常
さらに、
必要 | 余剰
僕は三本の線を見た。
どれも必要だった。
分けなければ、管理できない。
でも、分けると何かがこぼれる。
そして、こぼれるものはいつも、線から遠いところにあるわけではなかった。
むしろ。
線のすぐ近くにあった。
僕はメモに書いた。
線の近く。
少し考えた。
線のふち。
違う気がした。
線の境目。
それも少し違う。
線の、きわ。
そこで手が止まった。
きわ。
変換する。
際。
僕は、その一文字を見た。
際。
もう一つの画面には、AIの回答があった。
最適化。
最適化すると、線ができる。
必要と余剰。
契約内と契約外。
正常と異常。
そして、その線の際に残るものがある。
僕はメモに、
最適化
と書いた。
その下に、
際
と書いた。
しばらく見た。
それから、一文字入れ替えた。
際適化。
赤い波線が出た。
「ですよね」
辞書にもない。
たぶん、誰にも通じない。
僕自身、まだよく分かっていない。
説明を書こうとした。
やめた。
際適化。
その四文字だけ残した。
*
運用案をまとめた。
現場対応メモ。
余白を含めた人員設計。
契約外対応の三段階。
まだ穴はたくさんある。
例外も出ると思う。
たぶん、また何か起きる。
それでも、一度現場に試してもらおうと思った。
グループチャットを開く。
文章を書く。
お疲れ様です。
現場運用について一部ルールを変更します。
そこまで打って、止まった。
前にもやった。
僕が考える。
僕が決める。
現場に送る。
うまくいかなければ、また僕が直す。
送信ボタンの上に指を置いた。
押さなかった。
文章を全部消した。
連絡先を開く。
小峠さん。
電話をかける。
数回鳴って、つながった。
「はい、お疲れ様です」
「お疲れ様です。小峠さん」
「はい」
「ちょっと相談していいですか」
「何ですか?」
「新しいルール作ろうと思ってるんですけど」
少し間があった。
「またですか」
「……またです」
電話の向こうで、小峠さんが笑った。




