9話 フレア・ハヴォール
「ようこそいらっしゃいました。どうぞこちらへ」
マリーの住む森から6時間程馬車で走り続けて着いたのは王都の郊外にある侯爵家の別邸だった。
(……多分私に配慮をしてくださったのね)
姿を見せたくないマリーが王都の街中に居たら目立ってしまう。
その為、わざわざこちらを指定してくれたのだろう。
「どうぞ本日はこちらの部屋をお使いくださいね」
マントで全身を隠したマリーを訝しがる事もなく案内をしてくれる執事に礼をして、部屋を見渡す。
見るからにふかふかとした大きなベッドに、品のいい家具で部屋が構成されている。
何と今日はここに泊まっていいという事になっているのだ。
『まあまあまあ、久しぶりの貴族のお部屋ですわ!』
『凄いね、このお部屋で森の家の半分以上賄えちゃうよ』
『何だか広すぎてオレは落ち着かないな!』
「……少し、懐かしいです。実家と家具の好みが似ている気がします」
『そうなの?イブのお家はもっと簡素だったなぁ。効率重視って感じだった』
それぞれの部屋への感想を話しながら、持ってきた荷物を整理していく。
と言っても、予備も込めて2日分だけの荷物は大した量ではない。
「念のため持ってきたクロベルのお花……は日当たりの良いところに」
マリーの水魔法によってその鮮やかさを保ったままのクロベルは、瓶の中でその白い花弁を輝かせている。
『……それにしても、何であの男までこの屋敷に泊まるんだ。マリーと一つ屋根の下なんて許せない』
『あのねぇアーシュ。ニケはここまでマリーを無事に連れてきてくれたのよ?流石にその醜い嫉妬心はしまいなさいな』
『うるさい、エバ。気に入らないもんは気に入らないんだよ』
「アーシュ、前から思っていたけどどうしてそんなにニケさんを敵対視するんです?」
『……さすがマリー。ここまで分かり易いのに気づかない』
『流石のイブでもとっくに気づいてるのに……』
「?ジェシカとイブは理由を知っているんですか?」
―――多分、確実にマリー以外の全員はアーシュの気持ちに気がついている。
けれど、誰もそれをマリーには伝えなかった。
少しのんびりした所で扉を静かに叩く音が聞こえた。
「はい、どうぞ」
「大変お待たせ致しました。お嬢様の元へとご案内致します」
そこに居たのは先ほどの執事とニケ。
「あら、ニケさんもご一緒に?」
「ああ、呼ばれた」
「そうなんですね、では行きましょう」
マリーがニケの隣に並び歩く姿にアーシュは歯軋りを抑えられなかった。
※
「はるばるようこそお越し下さいました、占い師様」
マリー達を出迎えてくれたフレアはそれはそれは見事な作法で礼をした。
「こちらこそ、お招きありがとう存じます」
マリーも深々と礼を返し、案内された椅子へと腰掛ける。
フレアとマリーの居るテーブルとは、少し離れた長椅子へと案内されたニケは、そのまま執事と何やら会話を楽しんでいるようだった。
「貴女には本当に感謝しているの、ありがとう」
「お役に立てたのなら幸いです」
「……もうお分かりでしょうけど、私はフレア・ハヴォール。オーラン第一王子の婚約者です」
「……はい」
「あの時は素性も明かさずごめんなさいね」
「いえ、素性が分からないと言えば私の方でしょう」
マントで体だけではなくその顔も隠したマリーを眺めてフレアは頬を緩めた。
「……そんなことは、とはお返しできませんわね」
一拍の間を置いてフレアとマリーはくすくすと微笑みあった。
「人を信じる、というのはとても難しくて。貴女の占いの一押しがなければ私は挫けていたかもしれません。……正直にいえばね、私は本来占いを信じる方ではないのです。どちらかと言うと懐疑的でした」
「それでも、縋りたくなる程に心が疲れていたのですね」
「ええ――ニケ殿にね、商品を見せていただいている時に貴女の話を聞いたの。疲れているようなら紹介しようか、と」
「私、ニケ様のお陰で商売繁盛していますからね」
「ふふっ……それでもね、私貴女のお茶を飲むその時まで疑っていましたわ。これに何の意味があるのだろう……こうしている間に婚約を解消した方が心休まるんじゃないか、と。――今思えば自分の事ばかり」
「それは仕方のない事だと思います」
「ありがとう……あのね、貴女のあのお茶を飲んだ時――オーラン様との沢山の楽しい記憶が一気に溢れ出したの。その時までは思い出しもしなかったような小さな事まで……そうしたらね、彼の事をもっとよく見て居ようって思えるようになったのよ」
「そう、なのですか?」
マリーは占い結果の出たクロベルのお茶を飲む事はできない。
だから初めて聞く感想に驚いた。
「ええ。本当に不思議で素敵な体験だった――貴方の事、本当はオーラン様にも教えたいくらい」
「え!それは……」
「勿論言わないわよ?……貴方も隠したいものがあるんでしょう?ああ、いいの答えなくて。――けれどね、占い師様。貴方にとっては私はただの客人の一人だろうけど……もし、貴方に困り事ができた時、私きっと力になりますわ。そのくらい感謝しているの」
「そんな……」
「ここは、素直に受け取って頂戴な」
「……ありがとうございます。では、もし困り事が出来たらまずフレア様の元に参りますね」
「それでいいわ」
満足気に笑ったフレアは優雅さはそのままにテーブルに置かれた紅茶を持ち上げ口に含んだ。
その動作ひとつひとつが洗礼され、美しい。
マリーも出来る限りの作法を思い出しながら紅茶を頂いた。
ふわりと鼻に抜ける、甘やかな香りが嬉しい。
「美味しい……」
「あら、嬉しい。これはルートヴァルク産なのだけど私のお気に入りなの」
「ルートヴァルク……」
(グレンの母国……)
『ああ……どうりで懐かしい味がする!この原料はこちらの国では取れないからな……』
「取り寄せていらっしゃるんですか?」
「ええ、そうなの!メイラー商会ってご存知?……最近メイラー元会長のご子息が代表になってね、こちらにも流通量が増えたのですって。以前ニケ殿がお試しで持ってきてくださったのだけど、とても美味しくて。それから定期的に仕入れていただいてるの」
「メイラー……」
『そうか、アレンの奴頑張ってるんだな……!』
メイラー商会。
それは、グレンの生家だ。
あの夜会の日、グレンは父と二人で参加していた。
――そうして、グレンは死に、彼の父は奇跡的に生き残った。
アレンはグレンの双子の弟だ。
夜会の日、どちらも長旅が面倒でくじ引きで来る方を決めた、と以前グレンが教えてくれた事がある。
来たのが自分で良かった、と笑いながら。
※
「ふー……」
部屋に戻ったマリーははち切れそうになったお腹を撫でながらベッドの上へと横になっていた。
あのお茶会の後、部屋を移動し夕食もフレアと一緒に食べた。
フレアとマリーはすっかり打ち解け、楽しい食事会となった。
ちなみにニケも一緒に、と誘われていたが疲れたから一人で取りたいと断っていた。
侯爵令嬢相手に遠慮も何もないその姿にマリーは思わず笑ってしまった。
「とても、良い方でした」
『そうね、とても出来たお方だわ』
「エバもそう思いました?」
『イブも、良い人だなって思った。王子は恵まれてるね』
『……そうだね、本当に優しくて……はぁ』
「どうしましたジェシカ?」
『うーん、ちょっと自己嫌悪!気にしないで大丈夫』
『なんだジェシカ、やっぱりキミ王子の事好きだったのか?』
『はあ!?違うわよ!……ただ、ちょっと思う所があっただけ!』
『ふぅ〜ん』
『何よグレン』
『別に、何でもない』
ちくちくと喧嘩を始めたジェシカとグレンの声を聞きながらマリーはアーシュへと声を掛ける。
「アーシュはどう思いました?」
『……そうだね、オーランとお似合いだと思うよ』
「オーラン……」
『……オーラン様と、お似合いだと思うよ』
ごほん、と言い直したアーシュにマリーはあの夜の日を思い出す。
“初めまして、アーシュです。
すみません、僕はこの家の執事見習いで……。
此処に同席するのは場違いなのですが、何かお困り事があった時のお手伝いが出来れば、と主人から申しつけられています”
にこやかに細められた、アメジストの瞳。
この国ではさほど珍しい訳では無いけれど、王族と同じ色で縁起の良いとされた、その瞳。
(ねえ、アーシュ。貴方は本当に執事見習いだったのですか?)




