8話 王都へ
その朝、マシューからの手紙に暫く返信が出来ないとマリーは認めた。
彼女が茶葉生産に集中する時はそういった返事をすることがあるので怪しまれはしないだろう。
ニケとの待ち合わせは商会前だ。
(暫くこのお家ともお別れね)
戸締りをした扉を一度指で軽く撫でた。
「……よし!じゃあ向かいましょうか」
数日分の荷物が入った鞄を持ち上げるとマリーは森の外へと向かった。
「それでは、よろしくお願いします。ニケさん」
「――……ああ」
「それにしても、あの、この馬車は……」
マリーの目の前には、毛並みのいい馬が引いた立派な馬車が停まっている。
「……依頼者からだ。あんたは大切な客人だから、と」
「………にしても……」
「これでも妥協はしてもらった。せめて家紋は無いもので、と」
「それは……ありがとうございます」
「御者も居るからな。俺はとりあえず馬で並走する」
「え!一緒に乗らないんですか?」
「……それじゃあ護衛にならないだろう」
「大変じゃないですか?」
「ここから王都まで行き慣れてる。あんたが気にすることじゃない」
「……ありがとうございます」
ぎこちなく差し出された手を取りマリーは馬車へと乗り込んだ。
「閉めるぞ」
優しく閉じられた扉にニケの優しさをマリーは感じる。
『ぶっきらぼうだけど優しいのよね〜、ニケって』
『そうねぇ、無愛想ではあるけれど、嫌な方じゃないわよね』
『出た。ジェシカとエバの異性談義』
ジェシカとエバにイブは呆れたような声を出す。
『イブはさ、男性の好みとかないの?生きてれば17歳だし好みの一つや二つあるでしょ?』
『……イブ、そういうの分かんない。死んだの7歳だし、今だってそんなに男の人見る機会ないし』
『理想でいいのよ?描くのは自由なのだから。私はマシュー様の全てが好みなのですけど』
2人の猛追にイブは戸惑うような唸り声を上げている。
「まあまあ、2人ともそのくらいで……」
『……お兄ちゃん』
マリーが止めようとしたその時、イブは微かな囁きのような声で答えた。
『理想とか分かんないけど!小さい時はお兄ちゃんみたいな人と結婚したいって思ってたよ!!これでいい!?』
『イブ……』
『まぁ……』
珍しいイブの大声にジェシカとエバも言葉を失った………かとマリーは思ったが。
『そっか!イブのお兄さんって夜会には来てなかったのよね?ね、どんな方?気になる気になる!』
『私、生前お会いした事がありますわ!でもお話しした事はご挨拶程度しか……詳しく教えて下さいませ』
『ううう、この2人本当こういう話グイグイ来る……や、優しいんだよ、凄く。イブはさ、生きてる頃からこんなんで、全然貴族令嬢らしく振る舞えなくて……お父様もお母様も良く困ってたけど――お兄ちゃんはそんなイブを見捨てないでくれたの。イブの苦手な事とか、好きな物とか否定しないでくれたの』
「それは、嬉しいですね」
『うん、うん!嬉しかった!イブは本が好きで、本ばかりで……それ以外は全然駄目で……だけどお兄ちゃんが駄目なんかじゃないんだよって言ってくれたから』
『最高のお兄さんね』
『そうですわね、私の兄様にも見習って欲しかったくらいですわ』
『いい兄上だったんだな!』
『俺もお会いした事があるが……幼い頃から聡明そうな方だったな』
『うん!お兄ちゃんは頭も良くて、優しくて……あ〜、でも、そうだ』
「?」
『イブ……喧嘩したっきりなんだよね、お兄ちゃんと。イブが完全に悪かったから謝りたかったな』
「そう……だったんですね」
『何で喧嘩を?』
『グレン!ぐいぐい聞きすぎよ』
『いいよ、ジェシカ。う〜ん……イブねぇ、あの日夜会に行くのお兄ちゃんに止められてたの。それを振り切って行っちゃったから』
『……なぜ、止められたのかお聞きしてもいいのかしら?』
『うん。あのね、イブを引き取ってくれる男の人を探す為だったから……お父様とお母様は不安だったんだと思う。イブじゃまともな婚約者なんか出来ないんじゃないかって。だから、幼い内にでも嫁ぎ先を見つけたかったんだと思う……流石にイブにその理由を直接言ってはこなかったけど』
「そんな……」
『だからお兄ちゃんは何度も行かなくていい、行くなって止めてくれたの。その日はお兄ちゃんはどうしても一緒に行けない用事があって、だから尚更。――でもさぁ、イブも役に立ちたかったんだよね。将来お家を継ぐお兄ちゃんに利があることを、幼いながらにしたかったの』
『イブ……わたし今イブを思いっきり抱きしめたいよ』
『……ありがとう、ジェシカ。嬉しい』
『……マリー。右腕で思い切り左腕を包んでくれないかしら?』
『あ!ずるいエバ!いいな〜腕同士は。右脚じゃどうにもならないもの』
『……っふふ!エバとジェシカは面白いね!』
イブのくすくすと笑う声に、それでもマリーの胸は苦しくなった。
イブの健気さと、あの夜の残酷さが込み上げてきて。
あの夜会で、イブもイブの両親も死亡している。
―――たった一人、残されたその兄は。
「……用事が終わったら、お墓参りもしましょうね」
『……そうね、久しく行ってなかったものね』
「……ごめんなさい、王都を離れてしまったから」
『あらやだマリー。それはみんなで決めた事でしょう。何で謝るのよ』
『そうだよ。それにあのまま王都に居たら君が気にしなくても俺は耐えられなかった』
『そうそう!お墓参りより平穏が大事なんだから』
『オレも王都より今の生活のほうが断然好きだな!あの頃はずーっと誰かがマリーを監視しているみたいな生活だった』
『……ねぇ、そう言えばあの土の下にはイブ達自身も居るでしょ?自分のお墓参りって凄い事だよね。意味がわからない』
ぶつぶつと考え事をし始めたイブはこうなると暫く自分の世界から帰ってこない。
本が好きで、考える事が好きで――そして優しいイブ。
マリーはマントを少しだけ捲り、左腕に視線を落とした。
マリーの体よりも肌が白くて、柔らかい、丸みを帯びた爪が可愛い手。
「………」
マリーは暫くそうしてイブの手を見つめ続けていた。




