表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
最底辺の甲板員、異世界の海を制す ~下っ端漁師が現代知識で成り上がる転生記~  作者: もしものべりすと


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

19/23

第19章「漁師たちの艦隊」

第二波の戦闘は、第一波とはまったく違う性質のものだった。


重戦艦は、岩礁地帯に踏み込まない。


鬼塚は、第一波で軽戦艦を犠牲にした代わりに、重戦艦の主砲を、岩礁地帯の外側から、ライン・カラの本陣に向けて、長距離砲撃する戦術に切り替えていた。


重戦艦4隻のうち2隻はすでに砲門を上空に向け、もう2隻も追従していた。


──陸の本陣を、海から焼き払う。


重戦艦の主砲は、最大射程3海里。火炎魔法弾を撃てば船腹も街並みも一瞬で焼ける、ヴァルナハト帝国海軍の象徴だった。


重戦艦の主砲は、火炎魔法弾の最大射程を、約3海里まで伸ばせる。


ライン・カラの中心部から沖合の重戦艦までは、約2.5海里。


──届く距離だった。


俺は指揮船の甲板で、潮の流れを読んでいた。


古老たちが「夜になると風が変わる」と予報していた、その風の変化が、まもなく起きる。


海面に打ち寄せる小さな波の角度が、わずかに変わり始めている。沿岸近くの海鳥が、低い高度から急に高度を上げた。これらは風向の転換が近い予兆だった。


漁師として何百回も見てきた予兆を、いまの俺は、戦術の判断材料として読んでいた。


風が南西から北東に切り替わる瞬間、潮の流れも、わずかに方向を変える。


その瞬間に、漁師艦隊の小舟は、岩礁地帯を抜けて、重戦艦の側面に取り付ける。


「ジル」


「ん」


「風が変わる時刻は」


「あと、たぶん30分」


「準備しろ」


「了解」


ジルは旗艦の艦尾に立って、号令を出した。漁師たちが櫂を点検し、帆を畳み直し、(もり)の刃を磨いた。誰一人、緊張で手が震えている者はいなかった。


むしろ漁師たちは、漁の前と同じ顔をしていた。これから魚を獲りに行く、その淡々とした顔だった。


同じ頃、海の上では、ひとつの作業が静かに進んでいた。


──電位差逆転装置の海上組み立て。


神官長アーシェが、ライン・カラの教会の地下から運び出した、500年前の契約陣の予備部材。


そして俺が、王宮の冷凍機の試作で得た、魔法石と金属塊の組み合わせ技術。


これらを統合した「移動式・小型契約陣」が、漁師艦隊の中央の旗艦の甲板に、組み上げられていた。


装置の大半は王宮で運び出した直後に分解され、旗艦の甲板に到着してからもう一度組み立て直されていた。組み立てたのは王都の文官ペルマと、レオと、ライン・カラの教会の若い神官たち。みな素人ばかりだったが、設計図と手順書をリョウが作っておいたため、何とか期日に間に合った。


王宮の地下から運び出した工具で、ライン・カラの教会の神官たち5人が、3日3晩かけて組み上げた装置だった。


サイズは、おおよそ畳3枚分。


木枠で組み上げた六角形の台座の上に、銀線で複雑な紋様を描き、その紋様の中央に台座より一段高い円形の祭壇を据えた。


中央には、ヘラ・ロッタ号の船底から回収した、半年腐食した亜鉛塊。


周囲には、神官長が持参した、500年前の儀式具。


そして全体を制御する魔法石は、王女から手渡された青い水晶の同型品。


──これが、もし機能するなら、王女の代わりに「移動式の犠牲陽極」として、海戦のあいだ、地脈の負担を分担できる。


機能するかどうかは、俺の仮説にすぎない。


けれど機能しなくても、海戦そのものが負ければ、王女の運命も終わる。


賭ける価値はあった。


風が変わった。


風が変わる瞬間、最初に変化を感じるのは、皮膚だった。頬に当たる空気の流れの方向が、ふっと一回だけ、停止する。停止する時間はせいぜい数秒。けれどその数秒のあいだ、海全体が呼吸を整え直しているように感じられる。


海の上の感覚は、漁師の体に染み付いている。風向が変わる前には、海面のさざ波の方向が一瞬乱れる。その乱れを目で確認した瞬間、空気の匂いも変わる。塩の匂いに、わずかに北の海の冷たさが混ざる。


古老たちの予報通り、ぴったり30分後に、風向が南西から北東へ反転した。


海の表面の波頭が、一瞬、平らになり、それから新しい方向へ流れ始めた。


ジルが、号笛(ごうてき)を吹いた。


漁師艦隊26隻が、岩礁地帯の隙間から、重戦艦の側面に向かって、一斉に動き始めた。


帆を一斉に張り、櫂を漕ぐ音が、海面に重なった。漁師たちの掛け声が、低く響いた。


掛け声は、漁の歌だった。マグロの群れを追うときに、櫂を合わせるための歌。半年前、リョウがライン・カラの作業場の屋根の下で、初めて聞いた歌だった。


いま、その歌は、戦場に響いていた。


古老ヤンが舳先で太鼓を叩き、漁師たちが声を合わせて応じる。代々受け継がれた節回しが、海面の上で、不気味なほど整っていた。


重戦艦は、岩礁地帯から離れた深い海域にいた。


そこには漁師の小舟が来ない、と鬼塚は計算していた。


けれど鬼塚の計算は、漁師の小舟の機動力を、重戦艦の艦長たちの理解力で測ったものだった。


漁師の小舟は、海軍の艦長たちが「不可能」と判断する潮の流れを、自由に乗りこなした。


古老たちの海路情報は、季節風の変化も含めて、潮の流れを正確に予測していた。


海軍の艦長たちは「風と潮の予測」を、海図の行間に書かれた経験則程度にしか扱っていなかった。けれど漁師たちは、それを毎日の生死の問題として読んでいた。当然、解像度が違った。


漁師艦隊が、重戦艦の側面に取り付き始めた。


重戦艦の砲塔は、上空に向けたまま、固定されていた。長距離艦砲射撃の最中だったため、砲口が水平方向に動かせない状態だった。


これは事前に古老ヤンが「砲撃中の重戦艦は、自分の砲塔の重さで身動きが取れなくなる」と分析していた。古老は若い頃、商船の警備員として何度か海軍の艦に乗ったことがあり、その経験を覚えていた。漁師の知識は、海の上のすべてに及んでいた。


──そして、漁師艦隊は、重戦艦の艦尾に、(もり)で太いロープを打ち込み、3隻がかりで引き始めた。


重戦艦は、巨大すぎて、漁師の小舟3隻では動かせるはずがなかった。


けれど漁師たちは、「動かす」ためにロープを引いたのではない。


──「方向を、わずかに、変える」ために、引いた。


風と潮の流れに乗った状態で、わずか3度、艦の向きを変える。


すると、重戦艦は、自分の慣性で、漂流し始めた。


そしてその漂流の先には、岩礁地帯の最も浅い部分が、待っていた。


──罠だ。


重戦艦の艦長が気づいたとき、艦はすでに、岩礁の浅瀬に向かって、ゆっくりと滑り込んでいた。


艦長は急いで機関の出力を上げたが、潮の流れに逆らうには時間が足りなかった。


そして、ガリッ、という音とともに、重戦艦の最初の1隻の船底が、岩礁にこすった。


鉄の船底が岩に削られる音は、海面を伝わって、漁師艦隊の旗艦まで届いた。深い、低い、唸りのような音だった。


続いて、2隻目。


続いて、3隻目。


4隻目だけは、すばやく舵を切って、岩礁を回避した。


同時刻、旗艦の中央の「移動式・小型契約陣」が、起動した。


銀線の紋様が、青白い光をいっせいに帯びた。中央の祭壇に置かれた半年腐食の亜鉛塊が、低い周波数で振動を始めた。空気が冷えた。海上の風が、契約陣の周囲だけ、わずかに渦を巻いた。


神官長アーシェが、500年の祈りの言葉を、低く唱え始めた。


アーシェの白い指は震えていた。500年、神官たちが王女を犠牲にしてきた契約を、初めて「金属に置き換える」儀式だった。神官長は、自分の代でその慣習を断ち切る覚悟で、祈りの言葉を発していた。


アーシェの祈りは、王宮の北の塔で、王女セレネの祈りと共鳴していた。


──陽極と陰極の対が、海上で、新しい場所に、置き換えられようとしていた。


俺は青い水晶を、契約陣の中央に置いた。


水晶が、淡く青く光った。


そして、地脈の流れが、わずかに、海上の契約陣の方向に、引かれ始めた。


──仮説は、機能した。


神官長アーシェの腕の黒い(まだら)が、わずかに薄くなった。陰極の負担が分散したのだ。


海上の契約陣が、地脈の流れの一部を、王女から自分の方へと、引き寄せ始めた。


王宮の北の塔で、王女の体内魔力の負荷が、わずかに軽くなった。


王女は、初めて、20年ぶりに、深く息を吸った。


胸が大きく上下した。20年、ずっと浅い呼吸しかできなかった胸が、いま、肺の底まで空気を入れた。王女の頬に、ほんのわずか、血の色が戻った。


そばに付き添っていた侍女が、王女の表情の変化に気づいて、目を見開いた。


「……王女様、お顔の色が」


「いいえ、まだ、油断は、できません」


王女は、静かに微笑んだ。


「けれど、リョウ殿の手が、海の上で、私の鎖の一部を、引き受けてくださったようです」


王女の声には、20年聞かれることのなかった、若い女性の声色が混ざっていた。


海戦は、地形戦から、組織戦へと、移り変わっていた。


重戦艦3隻が座礁したいま、鬼塚艦隊は、もはや艦隊としての形を保っていなかった。


残された4隻目の重戦艦と、軽戦艦の旗艦だけが、まだ動いていた。


重戦艦は岩礁地帯から離れた深海域に退避。軽戦艦の旗艦は、その後ろに付かず離れず、戦況を(うかが)っていた。残った2隻と、補給艦4隻だけが、鬼塚の手元に残された戦力だった。


数では、まだ鬼塚側が上だった。


けれど、戦況の主導権は、すでに漁師艦隊の側にあった。


ジルが、第二陣の出撃を準備していた漁師たちに、声を張り上げた。


「いまから、最後の一押しに行く! 弓隊と銛隊は左舷に集合! 通信石持ちは、リョウさんの指示を細大漏らさず受け取れ!」


漁師たちは黙々と、それぞれの持ち場に散った。


──そしてその旗艦の甲板に、ザール・オニズカ提督が、立っていた。


俺は望遠鏡で、その男を見た。


距離、約1.5海里。


男の顔は、確かに、鬼塚毅だった。


半年で、男はわずかに痩せていた。けれど、鋭い目と歯で煙草を噛む癖は、第八海鵬丸の頃と、まったく変わっていなかった。


男は望遠鏡で、こちらを見ていた。


距離は1.5海里あるのに、男の表情が、はっきりと見えた。煙草を歯で噛む癖、顎の角度、肩の力の入り方、すべてがあの夜の第八海鵬丸の艦橋と同じだった。海を隔てて、半年と一万キロを越えても、男はあの男のままだった。


おたがいの望遠鏡が、おたがいの瞳を捉えた瞬間。


俺と、男の視線が、海を挟んで、合った。


──気づいた。


──鬼塚は、いま、俺がリョウであり、リョウが来島カズマであることを、認識した。


男の顔が、わずかに歪んだ。


怒りと、認知できないものへの困惑が、同時に浮かんだ顔だった。男の頭の中で、半年前のロイクスフェルンの軍港に流れ着いた朝と、いま目の前にいる漁師艦隊の旗艦と、第八海鵬丸の嵐の夜が、無理やり繋がろうとしていた。


鬼塚の手が、煙草を口元から外して、ぐしゃりと甲板に投げ捨てた。


けれど、それは恐怖の表情ではなく、怒りの表情だった。


──「使えねえ甲板員が、いま、俺を負かしてやがる」、という顔。


鬼塚は、軽戦艦の旗艦の砲塔を、漁師艦隊の旗艦──俺が立っている船──に向けて、低く構え始めた。


海戦の最終局面が、ここから始まろうとしていた。


そしてその最終局面で、俺と鬼塚は、ついに、海の上で、直接対峙(たいじ)することになる。


漁師艦隊の旗艦と、鬼塚艦隊の旗艦は、岩礁地帯の最後の縁で、にらみ合った。


距離、約1海里。海面の波頭は、夕日でわずかに赤く染まりつつあった。


沖合では、座礁した重戦艦3隻が、大きく(かし)いで、それぞれの船底から黒煙を上げていた。漁師たちが投げ込んだ火薬が、艦内の弾薬庫の一部に引火していた。


俺の手元には、ジルが餞別にくれた網針が、ベルトに差してあった。


鬼塚の手元には、火炎魔法弾の発射ボタンが、握られていた。


道具の差は、そのまま、ふたりの男の人生の差だった。


男は壊すために道具を握る。


俺は繕うために道具を握る。


そして、海は、両方の道具を、平等に試す場所だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ