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最底辺の甲板員、異世界の海を制す ~下っ端漁師が現代知識で成り上がる転生記~  作者: もしものべりすと


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第18章「鬼塚海岸線を焼く」

ライン・カラ着、鬼塚艦隊上陸まで残り4日の朝。


港町の空気は、すでに戦の前夜のものに変わっていた。


ジルとボルクが俺を出迎えた。


港に到着した俺の馬車を最初に見つけたのは、桟橋で網を繕っていた古老の一人だった。男は黙って近くの少年に走らせ、少年は石畳を駆け抜けてギルドへ報告に走った。


ジルの目は、半年前の嫉妬の目から、別の何かに変わっていた。


男は背を伸ばし、肩幅の広さが、半年前より一回り増したような印象を与えた。


──指揮官の目だった。


ボルクは、肩の(さらし)を一巻きほど薄くし、手にステッキを突いて立っていた。


「リョウ。漁船15隻、改修完了だ。船底亜鉛塊は新しいやつに全部取り替えた。網は二重蛙股結びで全部繕い直し、砲術隊も古老7人から海路を叩き込まれた」


「準備期間より早かった」


「ジルが寝なかった」


ボルクは横目でジルを見て、わずかに口角を上げた。


ジルは下を向いた。


男の目の下には濃い隈ができていた。20日間、夜は2時間しか寝ていない男の顔だった。


「俺、提督ってどんな顔して指揮するのか分からなかった。だから、リョウさんが帰ってくるまでに、間違いなくは仕上げないとと思って」


「十分だ」


と俺は答えた。


「あとは俺が指揮する。ジル、おまえは副官だ。砲術隊長を兼ねる」


「副官……」


「文句あるか」


「ない、けど、嬉しいだけだ」


男の目が、わずかに濡れた。


けれどすぐに袖で拭って、男はうなずいた。


同じ朝、神官長アーシェは、ライン・カラの教会で、地元の神官たちと話していた。


アーシェは、ライン・カラの神官たちに、初めて「契約陣の構造」を説明した。


ライン・カラの教会は、港町の小さな石造りの建物だった。聖堂の中央にある大きな天秤の像が、海と空のあいだの均衡を象徴していた。神官たちは、青ざめた顔で聞いていた。


けれど話を聞き終わると、長老格の老神官が、震える声で言った。


「神官長殿。我ら、ライン・カラの教会も、王国の犠牲陽極を、新しい仕組みに置き換える試みに、命を懸けてご協力します」


老神官の声は震えていたが、目は潤んでいなかった。500年見て見ぬふりをしてきた制度の罪を、ようやく(すす)げる、という覚悟の目だった。


「ありがとうございます」


アーシェは深く頭を下げた。


──地方教会の神官たちが、王宮の禁書の話を、初めて聞いた瞬間だった。


500年閉じられていた知識が、ここでようやく、地方の神官たちに、ひとり分ずつ、開かれていった。


ライン・カラの沿岸防衛の準備を進めながら、俺は同時に、もうひとつのことを考えていた。


──電位差の逆転。


鬼塚艦隊と海戦をしながら、同時に、王女セレネを救う仕組みを、海の上で組み立てる。


二兎を追う計画だった。


けれど一兎を捨てるわけにはいかなかった。


セレネの呼吸は、いまも、刻々と弱くなっている。


通信石越しに伝わる王女の声は、3日前より、明らかに細くなっていた。


残された時間は、あと、たぶん、20日。


通信石の中で、王女は微笑みながらこう言っていた。「私は腐りますが、まだ腐りきってはいません。あなたの戦に、間に合わせます」と。


鬼塚艦隊との海戦が長引けば、王女の命が消える。


短期決戦しか、選択肢はなかった。


上陸まで残り3日。


鬼塚艦隊は、すでにロイクスフェルンを出港し、北海から南下していた。


俺は港の見張り台で、ペルマからの遠隔通信を聞いた。


「重戦艦4隻、軽戦艦8隻、補給艦4隻。火炎魔法弾を満載。提督ザール・オニズカは、軽戦艦の旗艦に乗船。先行偵察艦が、ライン・カラ沖10海里の地点に現在進入中」


「ジルの艦隊は」


「漁師15隻、王都中型補給船3隻、王国海軍沿岸警備艇10隻、合計28隻。出撃可能」


「数では、敵が圧倒的だ」


「はい。けれど、地の利はこちらにあります」


ペルマの声には、文官にしては珍しく確信が滲んでいた。


ペルマの声には、文官の冷静さがあった。


俺は深く息を吸った。


上陸まで残り2日。


俺は漁師艦隊の出撃位置を、ライン・カラ沖の岩礁地帯に定めた。


浅瀬と岩礁が複雑に入り組んだ場所で、王国海軍の重戦艦も、帝国の重戦艦も、深い喫水(きっすい)では入れない。


漁師の小舟だけが、自由に動ける海域だった。


──そこで、鬼塚艦隊を、迎え撃つ。


古老たちが、その水域の海路を、海図3枚に渡って詳細に書き起こしてくれた。海図には、潮の流れの矢印、岩礁の位置、季節風の方向、満潮干潮の時刻まで書き込まれていた。これは王国海軍が持つどの海図よりも詳しい資料だった。


戦術は単純だった。


第八海鵬丸でも、鯨を追う小舟が大型の鯨を岩礁に追い込んで、動けなくなったところを仕留める方法があった。それと、まったく同じ発想だった。


鬼塚艦隊が岩礁地帯に踏み込むのを誘い込んで、座礁(ざしょう)させ、座礁した艦を、漁師の小舟が四方から襲撃する。


漁師の小舟には、新しい武装を施していた。


──火炎魔法弾を反射する「亜鉛盾(あえんたて)」。


船腹に薄い亜鉛板を貼り付けたものだ。


これは火炎魔法弾の威力を完全に防ぐわけではない。


けれど、亜鉛板が燃える前に魔法弾の魔力を吸収して、わずかに減衰させる効果が、実験で確認されていた。


古老たちが「亜鉛は不思議な金属だ。火を吸う」と昔から言っていたのを、俺は思い出していた。


アルデロワの古老たちは、それを神秘現象として語っていたが、現代の人間には別の説明があった。亜鉛は熱伝導率が高く、表面が瞬時に酸化することで、内部への熱の侵入を遅らせる。火炎魔法弾の魔力にも、似たような干渉があるらしい。


経験則と、現代知識が、ここで初めて、ひとつに繋がった。


上陸まで残り1日の夕刻。


俺は港で、ジルと並んで立っていた。


港の桟橋に、改修された漁船が15隻並んでいた。それぞれの船底には、新しい亜鉛塊が3個ずつ取り付けられている。船腹の薄い亜鉛板も、夕日を反射して、銀色に鈍く光っていた。


海は静かだった。


けれど水平線の向こう、空の色が、わずかに暗かった。


帝国艦隊から立ち上る煙突の煙の影が、夕焼けの中に、薄く透けて見えた。


ジルが、低く呟いた。


「リョウさん」


「ん」


「俺、漁師として死ぬのは、平気だ」


「死ぬなよ」


「死なない。ただ、もし死んでも、それは漁師として死んだことになる、それだけの話だ」


ジルの声は、半年前の彼自身が聞いたら、信じられないほど落ち着いていた。


「死ぬな」


俺は同じ言葉を、もう一度、繰り返した。


ジルは少し笑った。


「リョウさんは、ほんと、繰り返す人だな」


「大事なことは、繰り返す」


「分かった。死なない」


ジルは大きく息を吸って、海風を肺いっぱいに取り入れた。


上陸の朝。


ライン・カラの空は、低い雲に覆われていた。


風は南西から北東へ、強さは中程度。


古老たちは「今日は嵐にはならんが、夜になると風が変わる」と予報していた。


鬼塚艦隊は、霧の中から姿を現した。


まず先行偵察艦が3隻。船体は黒く塗られ、煙突から細い煙を立ち昇らせていた。


そのあと軽戦艦8隻が、扇形の陣形を組んで、ライン・カラの港に向かって近づいてきた。


軽戦艦の砲門は、すでに開かれていた。火炎魔法弾の魔力残光が、砲口の奥で、橙色に脈動していた。


重戦艦4隻は、後方で待機。


──予想通り、鬼塚は重戦艦を浅瀬に入れる勇気を持たなかった。


軽戦艦と先行偵察艦で、まずライン・カラ近郊の海岸線を「焼く」つもりだった。


そして火炎魔法弾の最初の一斉射撃が、ライン・カラの北の漁業集落に、降り注いだ。


上空で炎が膨らみ、空気が熱で歪み、瓦屋根を貫いた魔法弾が、家屋の中で爆ぜた。


集落は、燃え始めた。


漁師の家、小さな雑貨屋、ヘラ・ロッタ号が以前繋留されていた桟橋の小屋。


木造の家々が、次々と火に包まれた。


海の方を向いた火の手が、夕日と区別がつかなくなるほど、橙色に揺れた。


けれど住民は、すでに事前避難で、内陸の山岳寺院に移されていた。


──ジルとボルクが、3日かけて避難させた。


鬼塚艦隊は、誰もいない集落を焼いた。


焼いた炎の煙が、空に立ち上った。


鬼塚艦隊の旗艦の甲板で、煙を見ていたであろう、ひとりの男の歓喜の顔が、目に浮かぶようだった。


鬼塚は、それを「成功」だと思っただろう。


──「住民が逃げて、ライン・カラの食料供給が止まる」と。


けれど、ライン・カラの住民は、逃げてはいなかった。


山岳寺院に集結して、第二波の戦闘に備えていた。


沿岸の岩礁の影に潜伏していた漁師艦隊が、ここで初めて、海面に姿を現した。


俺の指揮船からの号令で、漁師たちは一斉に(かい)を漕ぎ始めた。手漕ぎと帆走を併用した小舟は、岩礁の複雑な水路を、目をつぶってでも通り抜けられるほど熟知していた。古老7人の海路情報が、ここで生きた。


28隻の小舟が、岩礁の隙間から一斉に出てきて、軽戦艦の側面に取り付いた。


取り付き方は、漁師流だった。鯨を捕獲するときの「(もり)打ち船」の動きだ。並走しながら、銛の代わりに、火薬を仕込んだ筒を、軽戦艦の砲門に投げ込む。砲門の中で火薬が破裂し、軽戦艦の砲塔が、内側から黒煙を吹いた。


軽戦艦の艦長たちは、慌てた。


海面の小舟は、軽戦艦の砲口より低い位置にあった。砲口が水平にしか向かない構造の艦では、海面すれすれの相手には対処できない。


重い艦は、浅瀬では小回りが利かない。


火炎魔法弾の主砲は、上空に撃つには有効だが、真横から接近する小舟には、角度が合わない。


──そして座礁の罠が、ここで発動した。


軽戦艦の何隻かが、漁師の小舟を追って、岩礁の中に踏み込んだ。


そして、岩礁に船底をこすって、動けなくなった。


──罠だ、と気づいた艦長は、すでに包囲されていた。


戦闘の第一波は、ほぼ完璧に、漁師艦隊の作戦通りに進んだ。


軽戦艦のうち3隻が座礁、2隻が炎上、1隻が降伏。


残りの2隻は岩礁地帯から逃げ出して、後方の重戦艦の影に隠れた。


漁師艦隊の損失は、小舟2隻沈没、戦死者11名、負傷者30名以上。


沈没した2隻は、火炎魔法弾を直撃で受けた。亜鉛盾は減衰効果はあったが、直撃には耐えられなかった。


数の上では、漁師艦隊の勝利だった。


けれど、いま俺たちは、まだ前哨戦を終えただけだった。


けれど、勝利の喜びを噛みしめる暇はなかった。


鬼塚艦隊の主力、重戦艦4隻と、提督が乗船する軽戦艦旗艦は、まだ、海の沖合にいた。


鬼塚は、第一波を犠牲にして、第二波の準備を整えていた。


──「使えねえやつは捨て駒にする」という、男の流儀通りに。


そして残された主力で、第二波の上陸戦を仕掛けるつもりだった。


重戦艦の砲口は、上空からの艦砲射撃で、ライン・カラの内陸まで火炎魔法弾を届ける性能を持つ。


──ライン・カラの本陣そのものを、焼く。


鬼塚はそのつもりだった。


焼けた集落の煙の柱は、すでに山岳寺院から見える距離まで立ち昇っていた。住民たちは煙を見ながら、自分たちの家が焼かれていく音を、遠くから聞いていた。それでも誰一人、山岳寺院から動かなかった。リョウの作戦を、町ぜんたいが信じていた。


漁師艦隊の出撃から3時間後、ジルが息を切らして、俺の指揮船に登ってきた。


「リョウさん」


「言え」


「重戦艦4隻と旗艦が、岩礁地帯の手前1海里まで進出してる。火炎魔法弾の射撃準備、もう始まってる」


俺は親指の付け根を擦った。


そして、低く呟いた。


「鬼塚毅、いま、こっちが見えてるな」


男の煙草を歯で噛む癖が、海を隔てて、ふたりの間に張り詰めていた。


旗艦の甲板に立っている、ひとりの男の影が、俺の網膜の奥に、はっきりと焼きついていた。


距離にして約2海里。望遠鏡を使えば男の表情まで見える距離だ。けれど望遠鏡は使わなかった。たぶん使わなくても、男の顔は鮮明に思い浮かんだ。10年見てきた顔だ。

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