表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
最底辺の甲板員、異世界の海を制す ~下っ端漁師が現代知識で成り上がる転生記~  作者: もしものべりすと


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

17/23

第17章「神官長アーシェの告白」

出立の朝、俺は王宮の北の塔の前で、神官長アーシェに呼び止められた。


神官長は普段の白い祭服ではなく、黒い旅装に身を包んでいた。


軽量な革鎧を内側に仕込み、外套の裾には旅塵を防ぐ撥水(はっすい)処理が施されていた。神官の旅装、という珍しい姿だった。


そして男ひとりだけ連れていない、別の馬が一頭、塔の前に繋がれていた。


アーシェは、まっすぐに俺を見た。


「リョウ殿。私もライン・カラまでご同行します」


神官長の声は朝の冷気の中で、いつもより低く響いた。


俺は驚いて、アーシェを見つめ返した。


王宮の北の塔を、神官長が離れる。


これは王宮始まって以来、ほとんど例のない事態のはずだった。


「殿下のお許しは」


「いただいておりません」


アーシェは静かに答えた。


「申し上げてもいません。出てから、文を残します」


神官長の決断は、20年王宮の塔から動かなかった人間のものとは思えないほど、明瞭だった。


「殿下に咎められます」


「咎められます。けれど、それでも、ご同行する必要があると判断しました」


「理由を、聞いてもよろしいですか」


アーシェは深く息を吸った。


「リョウ殿。私は、500年の契約について、王宮で公にされていない事実を、ひとつ、知っています」


俺は黙って、神官長の言葉を待った。


「契約陣の中央には『陽極』が必要です。それは、王女様。ご存知の通りです」


「はい」


「けれど契約陣には、もう一人、別の役を担う者が、必要なのです。陽極を支える、もう一つの極──『陰極』。500年前の儀式では、陽極が王家から、陰極が、神官の血筋から、それぞれ選ばれました」


「陰極」


「陰極は、陽極の負担を、わずかに分担する役目です。けれど陰極は、陽極ほど消耗しません。むしろ、陽極の魔力の流れを管理する『回路の制御者』のような役割です」


「アーシェ様、それは……」


俺の声が、思わず微かに震えた。


「私が、陰極です。500年で17代目の陰極です」


神官長は、少し目を伏せた。


「私の血筋は、500年前、初代の陰極を出した家系です。代々、女子が一人だけ、陰極の役を継ぎます。私が陰極になったのは、25歳のときでした。それから20年、王宮の北の塔に住み、王女様の魔力の流れを管理してきました」


神官長の声は、震えていなかった。


けれど神官長の白い指は、馬の手綱を、強く握っていた。


俺は親指の付け根を擦った。


──陰極。


第八海鵬丸でも、防食回路の話で出てきた言葉だ。アノードが陽極で、カソードが陰極。アノードは消耗するが、カソードは長持ちする。けれど、両方そろわないと、回路は完成しない。


王女セレネは陽極。


神官長アーシェは陰極。


──両者は、500年の契約陣で、(つい)になっていた。


ふたりは、王宮の北の塔の中で、500年の鎖の終端に、共に身を置いていた。


セレネが「最後の鎖」と呼ばれるのなら、アーシェは「最後の鎖を支える、もう一本の鎖」だった。


「アーシェ様」


と俺は言った。


「あなたは、王女様の苦痛を、知っているだけではない。あなた自身も、500年の契約の一部だった、ということですか」


「左様です」


「分担の比率は」


「陽極が9割、陰極が1割。私は王女様の十分の一の苦痛しか、感じていません。けれど、十分の一でも、20年続けば、それなりの量になります」


神官長の声は、決して自分の苦痛を強調するものではなかった。むしろ「王女様に比べれば、私の苦痛は語るほどのものではない」と言いたげな響きだった。


アーシェの右手の袖が、わずかに引き上げられた。


袖の下から覗いた前腕には、薄黒い(まだら)模様が、皮膚の下に浮き上がっていた。


まるで、何かに焼かれたあと、傷跡が黒く残ったかのような模様。けれどそれは焼跡ではなかった。皮下に金属の塩が沈着するような、ゆっくりとした腐食の痕跡だった。


──腐食。


陽極の腐食ほど激しくはない。


けれど確かに、その肌は、ゆっくりと内側から黒ずんでいた。


「アーシェ様」


「はい」


「あなたが、ご同行される理由は」


「リョウ殿が、王女様を救う方法を見つけられた場合、その方法は、必然的に陽極と陰極の両方を、新しい仕組みに置き換えることになります。陽極だけ取り替えても、陰極が古いままでは、回路が成立しません」


「つまり」


「つまり、あなたが王女様を救うとき、私自身も、新しい仕組みの中で、置き換えられる必要があります。私は、その『置き換え』に、500年の最後の陰極として、立ち会う義務があります」


神官長の声には、覚悟があった。


俺は深く息を吐いた。


そして、もうひとつ、聞かなければならないことを、聞いた。


「アーシェ様。これまで、500年のあいだに、王女様を救おうとした人は、いなかったのですか」


神官長は、長く沈黙した。


やがて、ゆっくりと答えた。


「いました」


神官長は静かにそう言った。


「何人」


「2人」


「結末は」


「1人目は、3代目の陰極の若い神官でした。陽極の王女様と恋に落ちて、契約を破ろうとした。儀式で陽極が解放されかけたとき、陽極の代わりに、陰極の若者の体が、引き裂かれました。儀式は、新しい陰極を選んで、続行されました」


「2人目は」


「12代目の王太子でした。妹である陽極を救おうとして、王宮の禁書庫で、契約解除の方法を200年探しました。最後に1つだけ方法を見つけました。けれどその方法を試す前に、王太子は、原因不明の病で亡くなりました」


アーシェの声には、その王太子に対する、500年越しの哀悼の響きがあった。


「200年というのは、王太子1人の生涯ではありません。歴代の神官と研究者が、12代目王太子の遺志を継いで、200年研究を続けたという意味です」


「原因不明の病」


「契約を解こうとした者の周辺で、何度も繰り返し起きている現象です。神官たちは『契約陣の自衛機構』と呼んでいます。契約を解こうとする者を、陣そのものが排除する仕組みです」


俺は静かに、長く息を吐いた。


──仕組みは、それを破壊しようとする者を排除するように、設計されている。


これは魔法の話のようで、実は、すべての制度の話だった。船の上の組織でも、王宮でも、大手企業の冷凍機メーカーでも、たぶん同じだった。


古い制度は、必ず、自己保存のために、改革者を排除する仕組みを内包する。


第八海鵬丸の鬼塚体制も、まったく同じだった。


「アーシェ様」


「はい」


「あなたが、いま、俺と同行することは、その『自衛機構』の標的になることを意味しますか」


「はい」


「ご無事でいられる保証は」


「ありません。けれど、もう、保証を求めて生きることは、500年で十分でした」


神官長の声は、500年の重みを背負っていた。それは個人の決意というより、500年続いた制度の側からの決意のようにも聞こえた。


神官長は、馬上に身を乗せた。


俺はその姿を、しばらく見つめてから、自分も馬に跨った。


王宮の正門を出るとき、ペルマと、レオと、近衛騎士たちが見送りに並んでいた。


ペルマは深く頭を下げた。


「先生、ご無事のお戻りを」


「ああ」


「王宮には、私とレオが残ります。冷凍機の改良を続けながら、王太子殿下に、神官長殿のご同行について、誠実にご説明します」


レオは口元を引き締めて、敬礼した。


俺はうなずいて、馬の腹を蹴った。


王都ヴァリスを出て、街道を南へ。


ライン・カラまで、最速で4日。


鬼塚艦隊の上陸まで、あと8日。


俺と、神官長と、護衛の騎士3名と、ペルマが手配した補給馬車が2台。


こぢんまりとした隊列で、俺たちは秋風の中を走った。


街道沿いの木々はすでに葉の3分の1を落とし、馬の蹄が落ち葉を踏み砕く音が、絶え間なく続いた。神官長アーシェは、白い顔のまま、馬上で背筋を伸ばし続けていた。20年王宮の北の塔から外に出ていない女性が、馬で長距離を移動する。それがどれほどの負担なのか、俺は途中で気づいた。


「アーシェ様、無理はしないでください」


「ご心配なく。私は、いまの自分が、思った以上に強い気がしています」


神官長の声は、わずかに笑っていた。


20年塔に閉じ込められた人間が、外の空気を初めてまっすぐ吸ったときの、独特の解放感が、その声に滲んでいた。


道中の野営の夜、神官長は、もうひとつ、俺に告白した。


焚き火の前で、神官長は、青い水晶のような小さな石を、手のひらの上で転がしていた。


火の光が石の中で淡く屈折して、夜の闇の中に、青い小さな星座のような光を散らしていた。


「リョウ殿」


「は」


「実は、契約解除の方法を見つけた、12代目の王太子の遺した禁書を、私は読みました」


俺は驚いた。


「禁書?」


「王宮の禁書庫の最奥にある、開かずの間に、その本はあります。代々の神官長だけが、ひとり、開けることを許される。私も、ある夜、衝動的に開けました」


「内容は」


「『犠牲陽極を再定義せよ。電位差を逆転させれば、契約陣はその役目を終える』──と、あります」


アーシェの声は、夜の焚き火の周りで、ほとんど祈りのように響いた。


「禁書には続きがあります。『電位差を逆転させるためには、より大きな陽極となる存在を、契約陣の外に用意せねばならぬ。その存在は、王国全土の規模に匹敵する魔力の流れを、外部から作り出す装置でなければならぬ』」


「外部から作り出す装置」


「禁書では、それは『地脈に対抗する別の地脈』『陣に対抗する別の陣』と書かれていました。けれど12代目王太子も、200年の研究者も、その『別の地脈』をどう作るかは、見つけられませんでした」


俺の心臓が、跳ねた。


──電位差。


──逆転。


これは、漁師の言葉ではない。


けれど、漁師にとっても、馴染みの深い概念だった。


アノードとカソードのあいだに流れる電流の方向を、逆にする。


そうすれば、アノードはもう、消耗しない。


──それが、亜鉛塊を腐らせない方法だ。


俺は、焚き火を見つめた。


火の粉が、夜空に向かって、いくつも舞い上がっていった。


漁師が、海の上で、犠牲陽極の電位差を逆転させる方法。


──たぶん、ある。


仮説は、俺の頭の中で、すでに芽生え始めていた。


けれどその仮説を、海の上で、鬼塚艦隊との戦闘の中で、検証することになる。


これは、人類史上、たぶん最も奇妙な海戦になる。


鬼塚艦隊との海戦は、表向きは、王国の沿岸防衛戦。


けれど実質は、500年続いた契約陣の電位差を、海の上で逆転させるための、巨大な実験装置の起動式。


──そう考えていたとき、神官長が、焚き火越しに、ぽつりと呟いた。


「リョウ殿は、12代目王太子の生まれ変わりかもしれません」


「と、おっしゃると」


「いえ。比喩です。けれど、200年研究して見つけられなかったものを、漁師の流儀で、半年で形にしようとされている。──それは、生まれ変わりという言葉でしか、説明できない種類の符合です」


俺は答えなかった。


ただ、焚き火に薪をひとつ、追加した。


火が、また、強く立ち上った。


焚き火の向こう側、遠くの樹影の中で、夜行性の獣の目が一瞬光った。けれどすぐに闇に消えた。


神官長は、青い水晶を、もう一度、手のひらの上に転がした。


「リョウ殿、私は、あなたに失礼を申し上げました。生まれ変わり、などと」


「失礼ではありません」


「あなたは、12代目王太子の生まれ変わりではありません。あなたは、ライン・カラの一漁師として、自分の頭で、自分の手で、ここまで来た方です。それを誰かの転生と呼ぶのは、あなたへの侮辱です」


神官長は、深く頭を下げた。


俺は親指の付け根を擦って、答えた。


「気にしていません。漁師は、誰かの転生と呼ばれても、誰かの先祖と呼ばれても、結局やることは、同じです」


「同じとは」


「その日の海を、その日の腕で、生き延びる」


アーシェは長く目を閉じた。


やがて、目を開いて、ゆっくりとうなずいた。


「その流儀で、王女様を、ぜひ、お救いください」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ