キャラメルペテン師
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【キャラメルペテン師】
■人数:2人
■形式:掛け合い
■登場人物:男女
________
彼女と会うのは、決まって仕事帰りだった。
駅から少し離れたバーで、たまたま隣に座る。
それだけの関係だ。
名前もちゃんとは知らない。
女「反応遅いね、今日。疲れてる?」
グラスを傾けながら、当たり前みたいに言われた。
男「……そんなに分かる?」
女「分かるよ」
少しだけ笑う。
女「さっきから、半拍ずつ遅れてる」
言われてみれば、そんな気もする。
今日は一日頭が重かった。
男「まあ、そんな感じかも」
女「でしょ」
あっさり頷く。
女「ねえ」
男「何」
女「こういうときってさ、ちょっと優しくされると楽になるでしょ」
男「どうかな」
女「なるよ」
迷いなく彼女は言い切った。
それから少しだけ間を置いて、
女「今だけ、ちょっと優しくしてあげてる」
軽く笑う彼女の声は、まるで砂糖水のように甘ったるい
男「…そういうこと誰にでも言ってる?」
女「言ってるよ」
即答だった。
その言葉の軽さが胸に残る。
底に残る粒子はどう溶けていくのだろう。
次に会ったのは一週間後だった。
同じ時間、同じ席。偶然にしては出来すぎているのに、どちらもそれには触れなかった。
女「この前さ」
男「何?」
女「君と話したあと、ちょっと元気になった」
男「へえ」
女「だから、また会えてよかった」
さらっと言う。
また、軽い言葉だった。
男「そういうの、誰にでも言ってる?」
女「言ってるよ」
彼女は迷いなく答える、先週と変わらない会話だ。
息を吸う音が聞こえ、チラリと目線を送ると時間が止まった。
女「でもね……君には、ちょっとだけ多めかも」
その視線が、ほんの少し長かった。
それだけで、十分だった。
気づけば、バーに通うようになっていた。
理由なんてない。
ただ、会えば少し楽になる。
いなければ、少し物足りない。
それだけのことなのに__
女「ねえ」
男「何」
女「君ってさ、優しいよね」
男「普通だろ」
女「ううん」
小さく首を振る。
女「ちゃんと見てる感じする」
その言い方が、妙に残る。
女「そういうとこ、多分私好きだよ」
軽く言う。冗談みたいな調子で。
でも、そのまま流せるほど軽くはなかった。
何も言葉は出ない。
女「ねえ」
男「何」
女「今の、ちょっと嬉しかった?」
男「……まあな」
女「でしょ」
満足したみたいに彼女は笑う。
どこまでが軽口で、どこからがそうじゃないのか。
分からないまま、都合のいい方だけを拾っていく。
女「ねえ」
男「何」
女「私がさ、君のこといいなって思ってるって言ったら……どうする?」
男「…どうもしない」
女「信じない?」
男「半分くらいだな」
女「へえ」
少し楽しそうにする。
女「じゃあ、その半分でいいや」
その半分が、少しずつ増えていく。
女「ねえ」
ある日、グラス越しにこっちを見る。
女「君といるとさ、ちょっと楽」
それだけの言葉に、胸が高鳴る。
女「こういうの、続いてもいいかもね」
未来がある言い方をする。
でも、約束ではない。
それでも、勝手に続くものだと思ってしまう。
女「ねえ」
男「何」
女「なんかさ」
少しだけ笑う。
女「こういうの、ちょっと特別かも」
それを聞いたとき、決めた。
____
帰り道、立ち止まる。
男「なあ」
女「何」
男「俺、お前のこと好きだわ」
言い切る。
彼女は、少しだけきょとんとした顔をした。
女「……そっか」
それだけだった。
男「っ…いや、そっかじゃなくて」
動揺で声が裏返った。
男「お前だって、そういう感じだっただろ」
彼女は少しだけ考えるみたいに間を置いて、
静かに言った。
女「……でもさ“嫌いじゃない”って、別に“好き”って意味じゃないよね」
そのままの調子だった。いつもと変わらない…
俺は言葉が出なかった。
女「“元気になった”ってやつも、別に君のおかげって言ってないし」
女「“多めに言ってる”ってやつも、ゼロじゃないって意味でしょ」
全部、そのままだった。
どこも間違っていない。
なのに、全部違う意味で受け取っていた。
男「なんで」
やっと出た言葉がこれだ、情けない。
男「なんでそんな言い方するんだよ」
彼女は少しだけ困ったみたいに笑った。
女「だって、その方が喜ぶでしょ」
あっさり言う。
女「前にさ、同じこと言って怒られたことある。思わせぶりだって」
少しだけ肩をすくめる。
女「でも、よく分かんないんだよね。どこがそうなるのか」
そのまま、こっちを見る。
女「だから見てるの…私の言葉をどういうふうに取るのか」
言葉が出なかった。
女「ごめんね…」
小さく言う。
女「…でもさ」
少しだけ間を置く。
女「君といるのは、ほんとに嫌いじゃないよ」
その一言が、また残る。
男「…帰るわ」
数歩、歩く。
それで終わるはずだった。
終わらせるつもりだった。
でも、足が止まる。
頭の中に残っているのは、さっきのやり取りじゃなかった。
「嫌いじゃない」も「特別」も「楽」も。
彼女はただの事実を置いただけだ。
そこに「愛」というデコレーションを施し、勝手に恋心に火をつけ煮詰めていたのは、自分の方だ。
甘く聞こえたのは、俺が…そう聞きたかったからだ。
…ゆっくり振り返る。
まだ、彼女はそこにいた。
男「なあ」
彼女がこっちを見る。
女「なに?」
少しだけ息を吐く。
さっきみたいに、間違えないように。
男「…俺といるの、嫌いじゃないんだろ」
彼女は少しだけ首をかしげて、
「うん」と頷く。
男「楽なんだろ」
女「うん」
男「じゃあさ」
一瞬だけ止まる。
でも…今度は逃げない。
男「それ、もう少し続けてみない?」
彼女は少しだけ目を丸くして、それから少しだけ笑った。
女「私が君を好きになるかもしれないってこと?」
男「かもな」
ちゃんとした答えじゃない。
でも、それでいい気がした。
彼女は少しだけ考えて、
女「じゃあ…見てみる」
軽く言う。
その言い方が、いつもと同じで、それが妙に残った。
彼女をペテン師にしたのは、俺だった。




