第177話:山の影
北方山地の空に、黒い影が浮かんでいた。
最初はただの鳥かと思った。
だがそれにしては大きい。
翼の動きが重く、空気を切るたびに低い唸りのような音が響いている。
アランは目を細めた。
「……あれ、鳥じゃないな」
ヴァルドは腕を組んだまま空を見上げている。
「鳥ではない」
影はゆっくりと円を描くように山の上を旋回していた。
やがてその姿がはっきりしてくる。
黒い翼。
岩のような皮膚。
鋭く曲がった嘴。
翼を広げれば、人の家ほどの大きさがある。
アランは息を吐いた。
「……魔獣か」
ヴァルドは短く答える。
「グラル」
その名前を聞いた瞬間、魔獣は突然高度を下げた。
空気を切る音が強くなる。
巨大な影が一直線に降下してくる。
標的は、アラン。
「おいおい、いきなりかよ」
アランは苦笑しながら木剣を握った。
ヴァルドは動かない。
ただ一言だけ言う。
「修行だ」
グラルが咆哮を上げた。
鋭い鳴き声が山に響く。
そして巨大な爪がアランへ振り下ろされた。
アランは反射的に飛び退く。
地面がえぐれる。
岩が砕け、破片が飛び散った。
「力強すぎだろ」
アランは距離を取る。
胸の奥のルミナ・コアが回転している。
光が体を満たす。
グラルは再び翼を広げ、空へ浮き上がった。
そのまま旋回しながら急降下してくる。
速い。
だが今回は、動きが見えた。
魔獣の周囲を流れる空気。
翼の動き。
落下の軌道。
そのすべてが、魔力の流れとして感じ取れる。
(……読める)
アランは足を踏み出した。
ルミナ・コアが強く回転する。
足元に光。
ルミナ・ステップ。
光の足場が一瞬だけ空中に生まれる。
そこを蹴る。
体が横へ飛ぶ。
グラルの爪が空を切る。
アランは着地しながら言った。
「……なるほど」
魔獣の動きが、さっきより遅く感じる。
魔脈と風の流れ。
それを読むことで、動きが予測できる。
グラルは怒ったように翼を大きく広げた。
そして今度は地面すれすれを滑るように突進してくる。
嘴が一直線にアランを狙う。
アランは木剣を構える。
(来る)
グラルが目前まで迫る。
その瞬間、アランは光を踏んだ。
ルミナ・ステップ。
空中に一歩。
さらにもう一歩。
体が跳ね上がる。
魔獣の頭上へ。
グラルが一瞬動きを止める。
その隙。
アランは木剣を振り下ろした。
光が剣へ流れる。
まだ小さい。
だが確かに光の刃になっていた。
「はっ!」
剣がグラルの翼へ当たる。
硬い感触。
だが翼の皮膚が裂ける。
魔獣が叫び声を上げた。
空中で体勢を崩す。
アランは地面へ着地した。
ヴァルドが小さく呟く。
「……初撃にしては上出来だ」
だがグラルはまだ倒れていない。
翼を広げ直し、怒りの咆哮を上げた。
そして再び突っ込んでくる。
今度は真っ直ぐではない。
蛇のように軌道を変えながら迫る。
アランは目を細めた。
(読みにくい)
だが胸の光は安定している。
ルミナ・コアの回転。
それが体の感覚を研ぎ澄ませていた。
グラルが迫る。
アランは動かない。
ギリギリまで待つ。
そして、魔獣の嘴が届く直前。
ルミナ・ステップ。
真上へ跳ぶ。
空中で体を捻る。
光が剣へ流れる。
「今だ」
剣を振る。
光の軌跡が空を切る。
グラルの首へ、剣が深く食い込んだ。
魔獣の体が大きく揺れる。
翼が暴れ、岩を砕く。
その巨体が地面へ崩れ落ちた。
土煙が上がる。
しばらく静寂。
やがてアランは剣を下ろした。
「……終わりか」
ヴァルドがゆっくり歩いてくる。
倒れた魔獣を一瞥する。
そしてアランを見る。
「悪くない」
アランは息を吐いた。
「魔獣退治まで修行なのか」
ヴァルドは肩をすくめる。
「戦場では日常だ」
そして静かに続けた。
「だが今の動き」
アランを見る。
「もう一つ上に行ける」
アランは眉を上げる。
「まだあるのか」
ヴァルドは頷いた。
「光魔導士の本領は」
少し間を置く。
「空中戦だ」
その言葉にアランは空を見上げた。
青い空。
さっきグラルが飛んでいた場所。
ヴァルドは言う。
「次の修行は」
岩山の頂上を指差す。
「落ちずに空を走れ」
アランは思わず笑った。
「……どんどん無茶になるな」
だが胸の光は、静かに回っていた。
ルミナ・コア。
それはまだ成長途中だ。
そしてアランは感じていた。
この力は。
まだまだ、こんなものではない。




