第171話:無属性魔導士
北方山地の夜は早かった。
太陽が山の向こうへ沈むと、辺りはすぐに暗くなる。
帝都のような魔導灯もなく、空には無数の星が浮かび上がっていた。
アランは小屋の前の石に腰掛け、手にした木剣をぼんやり眺めていた。
昼の訓練で腕はまだ痺れている。
ヴァルドの剣は容赦がなく、まともに受ければ骨まで響くほどの衝撃があった。
だが、それ以上に気になっていたことがある。
「なあ」
アランは小屋の扉にもたれかかっている男へ声をかけた。
ヴァルドは腕を組んだまま空を見上げている。
星の光が白髪混じりの髪を照らしていた。
「何だ」
低い声が返る。
「無属性って言ってたな」
アランは言葉を選びながら続けた。
「帝都じゃ、ほとんど聞かない」
ヴァルドは少しだけ鼻で笑った。
「当たり前だ」
そしてゆっくりと視線を下ろす。
「帝国は魔法至上主義だ」
夜の空気が静かに流れる。
「火なら火、雷なら雷、光なら光」
小さく肩をすくめる。
「分かりやすい力を好む」
そしてアランを見た。
「無属性は、そのどれでもない」
アランは腕を組む。
「だから弱いってことか」
ヴァルドはすぐには答えなかった。
少しの沈黙のあと、ゆっくりと口を開く。
「若い頃、俺もそう言われた」
夜の風が森を揺らす。
「魔導学院に入ったとき、教官に言われた」
ヴァルドは当時の言葉を思い出すように呟く。
「お前は魔法が使えない」
アランは少し驚いた顔をした。
「騎士団長が?」
ヴァルドは軽く笑った。
「そうだ」
そして指で地面を叩く。
「火も出ない、雷も落ちない」
静かな声で続ける。
「魔力はあるが、形にならない」
その目に、ほんのわずかな昔の影がよぎった。
「だから落ちこぼれ扱いだ」
アランはしばらく黙って聞いていた。
ヴァルドは続ける。
「だが戦場は違う」
山の闇の向こうを見つめる。
「戦場では派手な魔法ほど目立つ」
そして小さく息を吐いた。
「目立つ魔導士は、最初に死ぬ」
アランは少し苦笑する。
「ひどい話だな」
ヴァルドは頷いた。
「ひどい」
だがその声には感情がなかった。
「だから俺は考えた」
木剣を拾い、軽く振る。
空気が静かに裂けた。
「魔法とは何か」
剣を止める。
「属性ではない」
「構造だ」
その言葉にアランは少し前の訓練を思い出す。
魔力の流れ。
魔脈。
ヴァルドは続ける。
「火の魔法は魔力を熱へ変える」
「雷は魔力を放電へ変える」
「どちらも属性が違うだけで、やっていることは同じだ」
「魔力を別の現象に変換しているだけだ」
ゆっくりとアランを見る。
「ならば」
声が低くなる。
「その変換を理解すれば、属性は必要ない」
アランは目を細めた。
「……無属性って」
「全部の前段階ってことか」
ヴァルドは頷く。
「そうだ」
そして少しだけ笑った。
「だから俺は、全部を真似できる」
その言葉はさらりと言われたが、意味は重い。
アランは思わず呟いた。
「……化け物じゃないか」
ヴァルドは肩をすくめる。
「帝都の連中も同じことを言った」
夜の空を見上げる。
「だから騎士団長にされた」
アランは少し驚く。
「出世じゃないか」
ヴァルドは首を振った。
「違う」
その目がわずかに鋭くなる。
「危険だからだ」
その言葉に、アランは眉をひそめた。
「危険?」
ヴァルドはしばらく黙った。
そしてゆっくり言う。
「俺は一度だけ」
少し間を置く。
「“あの男”と戦った」
空気が変わった。
アランの背筋が自然と伸びる。
「……グラシオンか」
ヴァルドは答えない。
だが沈黙が答えだった。
アランは息を飲む。
「勝ったのか」
ヴァルドは静かに首を振る。
「負けた」
そして続ける。
「だが死ななかった」
その言葉には奇妙な重みがあった。
アランは聞く。
「なんでだ」
ヴァルドは少しだけ笑った。
「さあな」
そして空を見る。
「気まぐれか」
「あるいは」
視線がアランへ戻る。
「誰かの研究の結果かもしれん」
アランは眉をひそめた。
「研究?」
ヴァルドはそれ以上答えない。
代わりに言った。
「昔、魔脈研究をしていた女がいた」
その言葉にアランの表情が変わる。
「……」
ヴァルドは気づいているようだった。
「優秀だった」
静かに続ける。
「光魔導士だったが、属性にこだわらなかった」
そして小さく言う。
「面白い女だった」
アランはゆっくり聞いた。
「名前は」
ヴァルドはしばらく考える。
だが結局、首を振った。
「今は関係ない」
そして木剣を投げる。
「立て」
アランは剣を受け取る。
「話は終わりか」
ヴァルドは頷く。
「終わりだ」
夜の空気が静かに流れる。
「続きは」
木剣を構えながら言う。
「お前が強くなったら教えてやる」
アランは苦笑した。
「またそれか」
そして剣を構える。
山の夜の中で、再び剣の音が響いた。
星は静かにその光景を見下ろしていた。




