第168話:追放
帝都の朝は、いつもより冷えていた。
ルクレディア邸の前庭に、馬車が一台止まっている。
豪華なものではない。軍の輸送用に近い簡素な馬車だった。
アランはその前に立っていた。
「……本気か」
向かいに立つのは家の執事長だった。
老人はいつも通りの落ち着いた表情を崩さない。
「ご当主様のご判断です」
「帝都から出ろ、と?」
「しばらくの間、外で静養なさるのがよろしいと」
言葉は丁寧だった。
だが意味ははっきりしている。
帝都から離れろ。
アランは小さく息を吐いた。
(……まあ、当然か)
光の核を失い、槍も奪われた。
帝国軍とも揉めている。
このまま帝都にいれば、面倒が増えるだけだ。
「行き先は?」
「北方の山地です」
執事は短く答える。
「そこに一人、旧知の方がおられます」
アランは眉を上げた。
「父の知り合いか?」
「ええ」
執事は少しだけ言葉を選ぶ。
「……元・帝国騎士団長です」
その言葉に、アランは一瞬だけ驚いた。
騎士団長。
それは帝国軍の頂点に近い地位だ。
そんな人物が、なぜ辺境にいるのか。
「変わった方ですが」
執事は静かに続ける。
「きっと、アラン様の助けになるでしょう」
数日後。
北方山地。
帝都から遠く離れた場所に、小さな石造りの家が建っていた。
周囲には森と岩山しかない。
アランは馬車から降りる。
空気は冷たく、風が強い。
「……こんなところに騎士団長が?」
半信半疑で扉を叩く。
返事はない。
仕方なく扉を押すと、軋む音と共に開いた。
中は薄暗い。
だが奥に、人影があった。
背の高い男だった。
白髪交じりの短い髪。
深い皺。
年季の入った革のコート。
そして――
とてつもなく鋭い目。
男はアランを一瞥する。
「……ほう」
低い声だった。
「ルクレディアの小倅か」
アランは少し身構える。
「あなたが、ヴァルド=セイレン?」
男は答えない。
代わりにゆっくり立ち上がる。
その動きだけで分かった。
(……強い)
今の自分では勝てない。
直感だった。
ヴァルドは数歩近づく。
そしてアランを見下ろした。
しばらく観察するように見つめる。
やがて鼻で笑った。
「なるほどな」
「話は聞いている」
そして一言。
「光を奪われた落ちこぼれだそうだな」
アランの眉がわずかに動く。
だが反論しない。
ヴァルドはさらに言う。
「槍もない」
「魔力も半分以下」
腕を組む。
「……それで?」
アランを真っ直ぐ見た。
「何をしに来た」
少しの沈黙。
アランはゆっくり答えた。
「強くなるためだ」
その言葉を聞いた瞬間。
ヴァルドの口元が、わずかに歪んだ。
「強くなる、か」
小さく笑う。
「甘いな」
次の瞬間。
目にも止まらない速度で踏み込んだ。
拳がアランの腹に叩き込まれる。
「ぐっ……!」
地面に膝をつく。
息が止まる。
ヴァルドは冷たく言った。
「その程度で?」
「グラシオンに勝つつもりか」
アランの目が見開かれる。
ヴァルドは振り返る。
「立て」
短く言う。
「修行を始める」
そして一言。
「まずは魔法を全部忘れろ」
山の風が強く吹き抜けた。
こうして――
アランの修行が始まった。




