第165話:失われた力
帝都の上空に広がっていた異様な歪みは、静かに消えていった。
巨大なダンジョンとして展開していた魔力構造は、まるで最初から存在しなかったかのように霧散し、帝都の街には奇妙な静寂が戻っていた。
軍はすぐに調査隊を送り込んだ。
崩れた石畳、焼け焦げた地面、魔力の残滓。
それらが戦いの激しさを物語っていた。
そして――
瓦礫の中で、一人の少年が発見された。
「こっちだ! 生きているぞ!」
担架が運ばれる。
白い外套をまとった治療魔導士たちが駆け寄る。
その少年は、深く気を失っていた。
「アラン!」
その声が響いたとき、周囲の兵士たちは思わず振り返った。
金髪を揺らしながら駆け寄ってくる少女がいた。
リリア・アルヴァイン。
彼女は膝をつき、アランの顔を覗き込む。
「……よかった」
微かに息をしているのを確認し、安堵の息を漏らす。
だがその表情はすぐに曇った。
アランの体からは、ほとんど魔力が感じられなかったからだ。
「急いで医務棟へ!」
担架が持ち上げられ、アランは帝都の軍病院へ運ばれていった。
その頃、帝国軍本部では激しい議論が起きていた。
「例の少年はどこだ」
「すぐに拘束すべきです」
「ダンジョンの中心にいたのは奴だ!」
怒号が飛び交う。
だがその場の空気を断ち切るように、扉が開いた。
皇帝直属の伝令官が入ってくる。
そして静かに告げた。
「陛下の勅令である」
部屋が静まり返る。
「アラン・ルクレディアに対する一切の干渉を禁ずる」
ざわめきが広がる。
「な……」
「なぜだ」
「皇帝陛下が……?」
伝令官は淡々と続ける。
「これは皇帝の意思である」
「違反した場合、反逆と見なされる」
それだけ言うと、彼は踵を返して去った。
残された将軍たちは、悔しそうに歯を食いしばる。
「……くそ」
「従うしかないのか」
「たかが少年一人に……」
憤りが部屋の中に渦巻いていた。
数日後。
アランは病室の天井を見上げていた。
ゆっくりと意識が浮かび上がってくる。
「……ここは」
体を動かそうとする。
だが。
力が入らない。
胸の奥を探る。
《ルミナ・コア》。
そこにあったはずの光が、感じられなかった。
「……嘘だろ」
自分の魔力を確かめる。
ほとんど残っていない。
まるで体の中心が抜け落ちたような感覚だった。
「……持っていかれたのか」
あの男。
闇の中に現れた存在。
そのとき、扉が静かに開いた。
入ってきたのは、年老いた執事だった。
ルクレディア家の古参執事。
「お目覚めですか、アラン様」
「……執事長」
彼は深く一礼する。
「ご当主様がお待ちです。帝都の屋敷に来ております」
アランは眉をひそめた。
「……父上が?」
「はい」
執事は静かに言った。
「お会いになっていただきたいとのことです」
帝都のルクレディア邸。
重厚な書斎の扉が開く。
その奥に、一人の男が座っていた。
ガルシア・ルクレディア。
六大公爵家の一つを率いる男。
威厳に満ちた存在だった。
「来たか」
低い声。
アランは歩み寄り、跪く。
ガルシアはしばらく黙って彼を見ていた。
そして。
「……よくやった」
その一言だった。
アランは思わず顔を上げる。
父が褒めるなど、滅多にないことだった。
だがガルシアの表情は変わらない。
「お前はあのお方と対面した」
静かな声。
「それだけで十分だ」
アランの胸がざわつく。
「あの男は……、何者なんですか」
ガルシアは少しだけ視線を落とした。
「帝国を影から守る存在」
それ以上は語らない。
アランはさらに聞こうとする。
だが。
「槍のことなら諦めろ」
その言葉が先に落ちた。
アランの手がわずかに震える。
「……取り返すつもりです」
ガルシアは小さく鼻で笑った。
「不可能だ。お前とあのお方では格が違う」
沈黙。
やがてアランは別のことを聞いた。
「……あの闇の少年は、誰だったんですか」
ガルシアの目がわずかに細くなる。
「私の息子だ」
アランは息を呑んだ。
「闇属性は」
ガルシアは続ける。
「数世代に一人、我が血筋に現れる」
「そのときは引き渡す盟約になっている」
「誰に」
アランは知りながら聞いた。
ガルシアは静かに答える。
「あのお方にだ」
部屋が重い沈黙に包まれる。
「……つまり、最初から決まっていたんですね」
ガルシアは淡々と言う。
「それが血の責務だ」
そしてアランを見下ろした。
「お前もいずれ理解する。将来はあのお方に仕えるのだ」
その言葉に、アランの拳が強く握られる。
だが。
表情には出さない。
「……わかりました」
静かに答えた。
ガルシアは満足そうに頷く。
「このことは、当主しか知らぬ」
「他言は無用だ」
「……はい」
アランは頭を下げた。
だが胸の奥では、別の感情が燃えていた。
(あの槍は……、必ず取り戻す。あの男から)
静かな決意だけが、そこに残っていた。




