第164話:第七層 回収者
第七層の魔脈は、ようやく静まり始めていた。
先ほどまで暴れ狂っていた流れは落ち着きを取り戻し、巨大な空洞の奥では淡い光がゆっくりと脈打っている。
崩れた闇の構造体の残骸が散らばり、戦闘の激しさだけが、まだ空気の中に残っていた。
アランは槍を地面に突き立て、荒い呼吸を整えていた。
胸の奥では、《ルミナ・コア》が静かに回転している。
先ほど覚醒したばかりのその光は、爆発することもなく、ただ確かな存在として彼の内側に収まっていた。
対する闇の少年は、少し離れた場所で膝をついていた。
魔脈との半融合が剥がれたことで、体の各所が崩れかけている。
だがその目はまだ死んではいない。
憎しみとも、諦めともつかない光を宿したまま、アランを見上げていた。
そのときだった。
気配が、落ちた。
風も、音もない。
だが、空間そのものがわずかに沈んだような感覚が走る。
アランが顔を上げたとき、そこにはすでに一人の男が立っていた。
いつからそこにいたのか、まるで分からない。
黒い外套をまとった長身の男。
年齢は読み取れない。若くも見えるし、何百年も生きているようにも見える。
ただ一つ確かなのは、その男が立っている場所だけ、闇の領域の流れが妙に静かだった。
いや――
闇が、その男を避けている。
男はゆっくりと周囲を見渡した。
崩れた闇の構造体。
消えかけている魔脈の紋様。
そして、互いに向かい合うアランと闇の少年。
わずかに口元が緩む。
「……よくぞここまで育ったものだ」
低く落ち着いた声が、第七層の広い空洞にゆっくりと広がった。
「闇も」
男の視線が少年へ向く。
「そして光も」
次に、アランへ。
その瞬間だった。
闇の少年の顔が、凍りついた。
「……お、お前は……」
信じられないものを見るような声だった。
アランは眉をひそめる。
「知っているのか?」
少年は唇を震わせながら答えた。
「研究所に……連れていかれたあと……」
その視線は男から外れない。
「こいつに、闇の力を教え込まれた」
短い沈黙。
「名前は……知らない」
男はその言葉を聞くと、わずかに肩をすくめた。
「そうか」
「名乗っていなかったか」
その態度はあまりにも自然だった。
まるで昔の弟子に再会した教師のように。
だがアランの背中には、冷たい汗が流れていた。
この男は異質だ。
魔力の圧ではない。
存在そのものの重さが違う。
「つまり……」
アランはゆっくり槍を構えた。
「すべての元凶か」
男は否定しなかった。
むしろ、少し楽しそうに目を細めた。
「そうだ」
「我がお前に闇の力を与えた」
その言葉を聞いた瞬間、少年の体が震えた。
「……ふざけるな」
低い声。
「研究所から僕が逃げたときも……」
男はうなずく。
「逃亡後も追跡を止めたのは私だ」
少年の目が赤く染まる。
「……利用したのか」
闇が再び集まり始める。
半壊した体から、それでも力を引きずり出すように。
「僕を……実験に使ったのか!!」
闇の奔流が解き放たれた。
だが。
男の姿が、消えた。
次の瞬間。
少年の背後に立っていた。
まるで最初からそこにいたかのように。
そして。
胸を、貫いた。
「……っ」
声が出ない。
男の腕が、少年の胸の奥まで沈み込んでいる。
「そして」
男は静かに言った。
「その力を回収しにきた」
闇が、流れ出す。
いや。
吸われている。
少年の体から。
男の腕へ。
「ぐ……が……」
もがく。
抵抗する。
だが逃げられない。
闇の力が、次々と吸い取られていく。
「やめろーーーー!!」
アランの絶叫が響く。
だが足が動かない。
《ルミナ・コア》が警告を発している。
近づくな。
危険だ。
この存在は――
触れてはいけない。
闇がすべて吸い尽くされたとき、少年の体は静かに崩れた。
粒子のようにほどけ、空気の中へ消えていく。
最後に残ったのは、かすかな声だけだった。
「……僕は」
「道具だったのか」
そして完全に消滅した。
静寂。
第七層には、再び魔脈の脈動だけが残る。
アランの喉が乾く。
「……お前は」
声が震える。
「何なんだ」
男はゆっくりと振り向いた。
その瞳は、深い闇を宿している。
「我が名は」
一拍の間。
「グラシオン・ルミノア」
アランの心臓が強く打つ。
ルミノア。
その名は、帝国史の最初に刻まれている。
「……王族か」
男は小さく笑った。
「初代皇帝の弟」
空気が凍りつく。
アランは槍を構えた。
(闇属性)
(ならば光は吸えない)
その思考を読んだように、グラシオンが言う。
「光なら吸えない」
「その通りだ」
一歩近づく。
「だが」
その視線が、アランの胸を見る。
「お前の持つ“律”は別だ」
次の瞬間。
消える。
そして。
アランの目の前に現れる。
槍を掴まれる。
光導槍。
《ルミナ・コア》が反応する。
だが。
力が抜けていく。
槍を通して、吸われている。
「やはり」
グラシオンが静かに呟く。
「競わせると違うものだな」
光が抜ける。
アランの膝が崩れる。
「今までの闇は、中途半端だった」
その言葉を聞いた瞬間、アランの脳裏に過去の記録がよぎる。
歴史に残る闇の事件。
各地で現れた闇の使い手。
(まさか……)
(全部……)
(こいつが)
グラシオンは光導槍を持ち上げる。
闇の力を流し込む。
槍が黒く染まっていく。
光導槍が、漆黒へ変わる。
「さらばだ」
アランの視界が揺れる。
体が動かない。
「か……え……せ……」
グラシオンは振り返らない。
ただ一言だけ残した。
「また会おう」
「光の継承者」
視界が暗くなる。
アランの意識が、深い闇へ沈んでいった。




