第137話:境界線の向こう
境界は、あまりにも曖昧だった。
封鎖線を越えた瞬間、
景色が劇的に変わるわけではない。
ただ――
音が、消えた。
「……静かすぎる」
リリアが、無意識に声を落とす。
帝国北西部・管理外区域。
観測網から切り離されたその場所は、
空気の密度そのものが違っていた。
「来る」
アランが、即座に告げる。
理由はない。
だが、確信だけはあった。
次の瞬間。
霧が、湧いた。
《ルーメン》
淡い光が広がる。
だが、霧は散らない。
光を“吸う”わけでも、遮るわけでもない。
存在だけを、曖昧にする霧。
「視界が……歪む」
「位置が、ずれる」
リリアが一歩引いた、その刹那。
闇が、跳ねた。
「――左!」
《ライトヴェイル》
微光の膜が、二人を包む。
直後、
霧の中から刃が突き出された。
弾かれる感触。
だが、衝撃は残る。
「初手から、殺しに来てるわね」
「間違いない」
アランは、前に出る。
《ミラージュ》
光の残像が、霧の中に散った。
一、二、三――
分身が走る。
だが次の瞬間、
闇の影が迷いなく本体へ向かう。
「やっぱり……」
《バッシュ》
槍の穂先から、衝撃波。
霧が押しのけられ、
闇の個体が横転する。
倒れた――
と思った次の瞬間。
別方向から、もう一体。
「数が多い!」
《ルミナ・シェル》
光の球状結界が展開され、
同時攻撃を受け流す。
衝撃が、地面に逃げる。
「この霧、敵の索敵を助けてる!」
「いや……」
アランは、息を整えながら言う。
「霧そのものが、敵だ」
言葉通り、
霧が、再び濃くなる。
通路の形が、歪む。
「通路、変わった!」
「――右へ!」
リリアが即応する。
躊躇はない。
この場では、判断の速さが命だ。
闇の個体が、連携してくる。
一体が前。
二体が側面。
「囲まれる!」
「崩す!」
アランが踏み込む。
純粋な槍術。
光を乗せすぎない、最短の動き。
《ルミナエッジ》
斬る。
切断ではなく、無力化。
だが――
倒れた個体が、霧に溶ける。
「……消えた?」
「回収されてる」
リリアの声が、硬い。
「データを取ってるわ」
つまり――
これは戦闘ではなく、試験。
その事実が、二人の背筋を冷やす。
霧が、わずかに引いた。
奥に、影がある。
構造物。
自然ではない、露骨な人工設計。
「……ここからが本番ね」
アランは、槍を構え直す。
光導槍は、震えていない。
拒まれない。
導かれない。
ただ――
境界を越えたことだけを、告げている。
管理外ダンジョン。
ここは、
帝国の想定が通じない場所。
そして――
闇が、完全に主導権を握る戦場だった。




