第116話:管理可能な異常
帝国魔導学院・中央会議室。
円卓の中央に設置された投影板には、淡い光を帯びた波形が静止していた。
複数の数式、重なり合う振幅。
どれも、結論を拒むように途中で途切れている。
「……理論未分類事象、か」
研究部門の男が、低く呟いた。
声に感情はない。
だが、その言葉の裏にある“扱いづらさ”だけは、誰の耳にも届いた。
「拡大傾向は?」
学院側の講師が問いを投げる。
「なし」
即答だった。
「発生地点は固定。
周囲への魔力影響も限定的です。
半径内での変質は確認されていません」
別の研究員が補足する。
「魔力密度も安定しています。
異常値はあるが、増幅も暴走もしていない」
円卓の上に、短い沈黙が落ちる。
“異常”であることは、全員が理解している。
だが――
“危機”とは言い切れない。
「危険性は?」
学院代表が、改めて尋ねた。
「あります」
研究部門の男は、視線を投影板から外さない。
「未知である以上、ゼロではない。
内部構造も、完全には把握できていません」
一拍。
「だが――」
男は、はっきりと言葉を継いだ。
「管理可能です」
その一言で、会議室の空気が切り替わった。
封鎖か。
調査か。
選択肢は、二つしかない。
「構造解析の結果は?」
「すでに空間は安定しています」
研究員が、次のデータを表示する。
「自己崩壊の兆候なし。
空間歪曲も一定範囲で固定。
構造的には……」
一瞬、言葉を選ぶ間があった。
「ダンジョンと呼ぶのが、最も近い」
誰も、その表現を否定しなかった。
「ならば」
学院側の代表が、静かに告げる。
「封鎖はしない。
管理下での調査とする」
円卓の数名が、わずかに頷く。
「実地で確認するのが、最も早い。
理論が追いつかない以上、現場の情報が必要だ」
「派遣は?」
「応用課程だ」
即答だった。
「基礎課程では力不足。
研究員だけでは、現場対応が遅れる」
誰かが、小さく息を吐く。
「実習、という名目で?」
「そうだ」
学院代表は、淡々と続ける。
「戦闘能力と判断力、両方を備えた人材が必要になる。
今回のダンジョンは、暴走していない。
だからこそ――」
一瞬、言葉を切る。
「試す価値がある」
反論は、出なかった。
未知ではある。
だが、制御不能ではない。
何より。
(律は、荒れていない)
誰も口には出さないが、その認識は共有されていた。
だから、止めない。
だから、壊さない。
「決まりだな」
研究部門の男が、静かに言った。
「管理可能な異常として扱う。
調査は、段階的に進める」
投影板の光が、ゆっくりと消える。
会議は、終わった。
だがその瞬間――
誰もが理解していた。
これは“解決”ではない。
ただの、始まりだということを。




