最終章 最初のひとり
大きなライブから、一週間。
Rain Crownは、もう次へ進んでいた。
新しい仕事。
新しいレッスン。
新しい打ち合わせ。
恋も、いつも通り中央に立っていた。
何かが劇的に変わったわけではない。
相変わらず、数字は気になる。
メンバーの表情も見る。
「大丈夫」と言われれば、少しだけ引っかかる。
センターであることの重さも、なくなってはいない。
ただ。
前とは、少しだけ違った。
何かを見つけたとき。
すぐに自分が何とかしようとする前に。
一度。
待てるようになった。
◇
レッスンの休憩。
恋が水を飲んでいると、隣から真姫がペットボトルを差し出した。
「恋、水ある?」
「あるよ」
「そっか」
「何で聞いたの」
「最近ちゃんと飲んでるから」
「何その確認」
真姫が笑う。
恋も笑った。
少し前なら。
真姫はもう一言、何かを聞いたかもしれない。
恋も。
何か言われる前に、
「大丈夫」
と答えていたかもしれない。
でも。
今は。
それだけだった。
真姫は立ち上がる。
「行こ」
「うん」
16人が、また音楽の中へ戻っていく。
◇
次の週末。
リリースイベント。
ステージを終えて、特典会が始まった。
恋の列は、いつも通り長い。
一人ずつ。
目を見る。
「久しぶり」
「覚えてる?」
「覚えてるよ」
「この前、転職するって言ってたよね」
「そう! 決まった!」
「よかったじゃん」
笑う。
次。
「恋ちゃん、今日もかわいい」
「今日“も”なの大事」
「そこ拾う?」
「拾うよ」
また笑う。
そして。
次の人。
少し若い女の子だった。
制服ではない。
でも。
恋より少し下くらいに見える。
列に並んでいたときから、ずっと緊張していた。
手を前で握って。
何度も、周りを見ていた。
恋の前に来ても。
なかなか顔を上げない。
「初めまして?」
恋から声をかける。
「あ……はい」
「来てくれてありがとう」
「……はい」
声が小さい。
恋は、少しだけ笑った。
「緊張してる?」
女の子が、恥ずかしそうに頷く。
「してます」
「私も最初こういうの苦手だったよ」
「え?」
「人前とか」
「……そうなんですか?」
「めっちゃ緊張する」
「見えないです」
「隠してるだけ」
女の子が、少し笑った。
それだけで。
少し空気が柔らかくなった。
「今日、ライブどうだった?」
「すごかったです」
「ほんと?」
「はい」
「よかった」
そこで。
女の子が少し迷った。
何か言いたそうにしている。
恋は急かさなかった。
やがて。
小さな声。
「私も」
「うん」
「アイドルになりたいんです」
恋は、少しだけ目を見開いた。
女の子は、
すぐに続ける。
「でも」
「うん」
「たぶん、無理だと思ってて」
「どうして?」
「かわいくないし」
恋の胸が、少しだけ動く。
「歌もそんなに上手くないし」
「うん」
「ダンスもやったことなくて」
恋は、黙った。
放課後。
教室。
いちごミルク。
――歌だって、別に上手くないし。
――ダンスもやったことない。
昔の自分。
あまりにも。
似ていた。
女の子が、困ったように笑う。
「だから」
「諦めた方がいいのかなって」
恋は。
すぐには答えなかった。
夢は叶うよ。
そんなことは、言えない。
絶対大丈夫。
それも、言えない。
努力すれば何とかなる。
それだって、分からない。
アイドルになれば、楽しいことだけではない。
選ばれること。
選ばれないこと。
見つかること。
見つからないこと。
離れていくこと。
全部。
ある。
恋は。
少し考えてから言った。
「やってみたいなら」
女の子が顔を上げる。
「やってみたらいいと思う」
「……でも」
「無理かどうかって」
恋は少し笑う。
「やる前だと、意外と分かんないよ」
「……」
「私も」
一度。
言葉を止める。
「最初は、無理だと思ってたから」
女の子は。
恋を見る。
「恋ちゃんも?」
「うん」
「ほんとに?」
「ほんと」
「でも今、センターじゃないですか」
恋は、
少しだけ笑った。
「そうだね」
少し前なら。
その言葉に。
責任とか。
期待とか。
いろんなものが先に浮かんだ。
今は。
少しだけ。
素直に受け取れた。
「だから」
恋は言う。
「なりたいなら、応募してみたら?」
女の子は、まだ迷っている。
「怖いです」
「怖いよね」
「落ちたら」
「落ちるかも」
「……」
恋は笑う。
「でも、受かるかもしれない」
女の子が、少しだけ目を丸くした。
恋自身も。
その言葉を口にしてから気づいた。
昔。
聞いた。
――落ちるだけだよ。
――縁起悪。
――受かるかもしれないし。
灯の声。
恋は。
ほんの少しだけ、胸が温かくなった。
「時間です」
スタッフの声。
女の子が慌てる。
「あ、最後に」
「うん?」
「私」
一度、息を吸って。
「恋ちゃんみたいになりたいです」
恋は。
一瞬だけ。
何も言えなかった。
それから。
笑った。
「じゃあ」
女の子を見る。
「なってみて」
女の子は。
驚いたあと。
初めて。
ちゃんと笑った。
「はい」
そのまま。
列を離れていく。
恋は、少しだけその背中を見ていた。
次の人が来る。
「恋ちゃん!」
「あ、ごめん。お待たせ」
また。
一人ずつ。
会話が続く。
◇
特典会が終わったあと。
恋は。
スマートフォンを開いた。
灯とのトーク画面。
少し迷って。
送る。
『今日ね』
少しして。
既読。
『なに』
恋は続ける。
『アイドルになりたいって子が来た』
返事。
『へえ』
『なんて言ったの』
恋は。
少し考える。
『やってみたらって』
しばらくして。
『私と同じじゃん』
恋は。
画面を見た。
笑う。
『ほんとだ』
返す。
少しして。
また。
『責任取れるの』
『それ昔の私も思った』
『じゃあ取って』
『どうやって』
既視感。
恋は笑った。
プロローグ。
応募画面。
――じゃあ責任取る。
――どうやって。
恋は。
少しだけ考えて。
文字を打った。
『灯が最初だったんだね』
返事。
『何の?』
『私のファン』
既読。
少し間。
『今さら?』
恋は、
思わず声を出して笑った。
『だってあの頃まだアイドルじゃなかったし』
『予約したじゃん』
『最古参』
また。
少し間。
そして。
届いた。
『最初のひとりね』
恋の指が。
止まった。
最初のひとり。
昔。
教室で。
同じことを言われた。
――一人じゃん。
――最初の一人ね。
あのとき。
恋には。
「一人しかいない」
という意味にしか聞こえなかった。
たった一人。
小さい。
少ない。
何も始まっていない。
でも。
違った。
一人しか。
ではなく。
一人目だった。
そこから。
二人目。
三人目。
少しずつ。
増えて。
今。
数えきれないほどの光になった。
恋は。
画面を見る。
灯。
恋を最初に見つけた人。
恋より先に。
恋がここに向いていると言った人。
恋より先に。
恋の未来を見た人。
その人は。
今。
Rain Crownにはいない。
でも。
いなかったことにはならない。
恋は。
文字を打った。
『ありがとう』
送信。
既読。
返事は。
来なかった。
恋は。
それでよかった。
◇
次のライブ。
舞台袖。
16人。
誰かが言う。
「今日もよろしく、センター」
恋は笑った。
「はいはい」
「軽い」
「ちゃんとやるよ」
「頼んだ」
「全部は無理」
一瞬。
静かになって。
誰かが笑う。
「知ってる」
恋も笑った。
暗転。
ステージへ出る。
歓声。
光。
恋は中央に立つ。
目の前には。
たくさんの人。
この中にも。
今日初めてRain Crownを見る人がいるかもしれない。
恋を見て。
Rain Crownを知る人。
そのまま恋を好きになる人。
15人の誰かを見つける人。
いつか。
来なくなる人。
また戻ってくる人。
別の夢を見つける人。
いろんな人がいる。
全員を。
恋がつなぎ止めることはできない。
その必要もない。
それでも。
今日。
ここで。
誰か一人に何かが届くことはある。
曲が始まる。
恋は笑う。
客席。
一つ。
光が灯る。
その隣に。
また一つ。
さらに。
その先へ。
灯は。
いつか消える。
ずっと同じ場所にあるとは限らない。
でも。
一つの灯が誰かを照らして。
照らされた誰かが。
また別の誰かを照らす。
そうやって。
光は続いていく。
その始まりは。
たった、
ひとりだった。
ーー完




