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第七章 灯のいないステージ

発表された瞬間。


恋は、


息を止めた。


Rain Crown。


単独ライブ。


会場名。


画面に表示された文字を何度も見た。


間違いではない。


あの場所だった。


まだ何者でもなかった頃。


放課後の教室で。


灯がスマートフォンを見せてきた。


暗い客席。


数えきれないほどの光。


――2人で、ここに立とうよ。


恋は、


その写真を何度も見た。


「恋?」


隣から声がした。


顔を上げる。


「大丈夫?」


「……うん」


反射的に答えてから。


少しだけ笑った。


「いや」


言い直す。


「ちょっとびっくりしてる」


「そりゃするよ」


周りでは、メンバーたちが喜んでいた。


「やばい!」


「ほんとにここ?」


「広すぎない?」


「絶対緊張する!」


笑い声。


歓声。


16人。


その真ん中で。


恋も笑った。


嬉しかった。


本当に。


嬉しかった。


ただ。


その嬉しさの中に。


一つだけ。


どうしても消えないものがあった。


灯。


◇


その日の帰り。


恋は、いつもの分かれ道で足を止めた。


右へ行けば、自分の駅。


左へ行けば、かつて灯が帰っていた道。


今では。


立ち止まることもほとんどなくなった場所。


でも今日は。


少しだけ、左を見た。


「あそこ、立つよ」


誰もいない道へ向かって。


小さく言う。


返事はない。


当たり前だった。


恋は、右へ歩き出した。


◇


ライブまでは、3か月。


準備が始まった。


曲順。


衣装。


演出。


映像。


フォーメーション。


MC。


今までで一番大きなライブだった。


当然。


決めることも多い。


以前の恋なら。


誰がどこに立つか。


誰に何を任せるか。


先に考えていた。


でも。


今回は。


「ここ、どうしたい?」


聞いた。


「私?」


「うん」


メンバーが少し考える。


「もう少し前行きたいかも」


「じゃあ言ってみよ」


「恋が言ってよ」


「自分で言って」


「えー」


「自分の場所でしょ」


笑いながら。


それでも本人が、スタッフへ伝える。


別の日。


「この曲、誰が煽る?」


以前なら。


恋が誰かを指したかもしれない。


今回は。


「やりたい人?」


手が上がる。


「あ、私やりたい」


「じゃあお願い」


別の声。


「ここ、私ソロで歌ってみたい」


「いいじゃん」


また。


自分から声が上がる。


恋は。


それを聞いていた。


自分が何もしなくても。


というより。


自分が全部決めないからこそ。


見えるものがあった。


15人。


ちゃんと。


自分で立とうとしている。


恋は、少しだけ笑った。


「何?」


真姫が聞く。


「別に」


「また別にって言ってる」


「みんな、ちゃんとしてるなって」


「今さら?」


「うるさい」


真姫が笑う。


「恋」


「何?」


「最近」


少しだけ間を置く。


「『大丈夫』減ったね」


恋は。


一瞬きょとんとした。


「そう?」


「うん」


「それ褒めてる?」


「たぶん」


「たぶんなんだ」


「最年長だからって、何でも分かるわけじゃないし」


「便利な肩書き、急に捨てないで」


2人で笑った。


それで終わった。


真姫はもう、何も聞かなかった。


◇


ライブが近づくにつれて。


取材も増えた。


「今回の会場、天羽さんにとって特別な場所だと聞きました」


恋は、一瞬だけ迷った。


「はい」


「どういう場所なんですか?」


少し考える。


全部を話す必要はない。


でも。


隠したいわけでもなかった。


「アイドルになる前に」


恋は言った。


「友達と、いつかここに立ちたいねって話してた場所です」


「その方もアイドルだったんですか?」


「……はい」


短く答える。


「じゃあ、一つ夢が叶う?」


恋は。


すぐには頷かなかった。


「どうだろう」


「違うんですか?」


「叶うんですけど」


少し笑う。


「思ってた形とは、ちょっと違うので」


記者は。


それ以上、深く聞かなかった。


恋も。


それ以上、説明しなかった。


◇


ある夜。


家へ帰って。


恋はスマートフォンを開いた。


灯とのトーク画面。


以前のように。


毎日話すことはない。


それでも。


ときどき。


灯から短い言葉が届く。


恋から送ることもある。


別々の道を歩きながら。


完全に消えたわけではない。


恋は、文字を打った。


『立つよ』


それだけ。


会場名も書かなかった。


灯なら。


分かると思った。


送信。


しばらくして。


既読。


返事はなかった。


恋は。


画面を閉じた。


以前なら。


何で返さないの。


見てる?


来る?


何か言って。


そんなことを考えたかもしれない。


今は。


ただ。


届いたなら、それでいい。


そう思った。


少なくとも。


そう思えるくらいには、時間が経っていた。


◇


ライブ前日。


誰もいない会場。


客席には。


まだ光がない。


恋は、ステージの中央に立った。


広い。


想像していたより。


ずっと。


広かった。


客席を見渡す。


明日。


ここが埋まる。


無数の光。


灯が見たかった景色。


恋も。


見たかった景色。


「緊張する?」


後ろから声。


振り返る。


真姫だった。


「する」


「そっか」


それだけ。


真姫は恋の横まで来る。


でも。


中央には立たなかった。


一つ隣。


恋は少し笑う。


「真姫ちゃん、そこなんだ」


「何が?」


「真ん中来ないの?」


「そこ、恋の場所でしょ」


恋は客席を見る。


「……明日さ」


「うん」


「ちゃんと嬉しくていいのかな」


真姫は。


少しだけ考えた。


「分かんない」


恋が笑う。


「またそれ?」


「だって」


真姫も客席を見る。


「それを決められるの、灯じゃない?」


恋は横を見る。


「恋がここに立つの見て、どう思うかも分からない」


「うん」


「でも」


真姫は。


少しだけ笑った。


「灯と立ちたかったって思うことと」


「明日、16人で立てて嬉しいって思うこと」


少し間を置く。


「両方あってもいいんじゃない?」


恋は。


何も言わなかった。


しばらく。


客席を見ていた。


「……そっか」


それだけ。


真姫も。


何も足さなかった。


◇


当日。


楽屋。


メイク。


衣装。


最終確認。


「あと10分です!」


声が飛ぶ。


16人。


落ち着かない。


「やばい」


「緊張する」


「手冷たい」


「私も」


恋は。


その会話を聞きながら、少し笑った。


昔。


舞台袖で。


灯に手を温めてもらったことを思い出す。


でも。


今日は。


誰か一人の手を探さなかった。


「集まろ!」


誰かが言う。


16人が輪になる。


手を重ねる。


恋の手は。


一番下でも。


一番上でもなかった。


真ん中あたり。


誰かの手の上に。


誰かの手が重なる。


「恋、何か言って」


声が飛ぶ。


「え」


「センター」


「何か」


恋は。


16人を見る。


以前なら。


長いことを言ったかもしれない。


成功させよう。


みんなで頑張ろう。


絶対に。


何かを背負うような言葉を。


でも。


今日は。


「楽しもう」


それだけ言った。


一瞬。


静かになる。


「それだけ?」


「それだけ」


「短!」


「いいじゃん」


「恋らしくない」


「じゃあやめる?」


「やだ」


笑い声。


手を上げる。


「行くよ!」


16人の声。


重なる。


◇


暗転。


歓声。


恋は。


ステージへ出た。


光。


本当に。


あった。


一つ。


二つ。


三つ。


数えられない。


客席いっぱいの。


光。


恋は。


一瞬。


歌うのを忘れそうになった。


――あれをステージから見たい。


灯の声。


ずっと昔。


放課後の教室。


小さな画面。


写真。


「……」


恋は。


ほんの少しだけ、


客席を見渡した。


灯。


見えたよ。


心の中で。


そう言った。


そして。


前を見る。


曲は続く。


16人。


同じステージ。


誰かが歌う。


誰かが踊る。


誰かが笑う。


恋が中央にいる。


でも。


15人が恋についてきているようには見えなかった。


16人が。


それぞれ。


自分の場所へ向かっている。


たまたま。


今。


自分が真ん中にいる。


それだけ。


なのに。


それが。


前よりずっと。


嬉しかった。


◇


ライブ終盤。


MC。


恋はマイクを持った。


「今日は、本当にありがとうございます」


歓声。


「この場所は」


少しだけ。


声が止まる。


客席を見る。


「私にとって、ずっと特別な場所でした」


静かになる。


「アイドルになる前に」


「ここに立ちたいねって」


「約束した人がいます」


メンバーは、黙って聞いていた。


恋は続ける。


「その人子は今」


少しだけ、息を吸う。


「このステージにはいません」


客席のどこかで。


息を呑む気配。


「でも」


恋は笑う。


「その人がいなかったら」


「私は、そもそもアイドルになっていませんでした」


かつての教室。


応募ボタン。


灯の声。


全部。


戻ってくる。


「だから」


「今日ここに立てたことを」


一度。


言葉を止める。


「私は、ちゃんと嬉しいって思いたいです」


胸が。


少しだけ痛い。


「一緒に立ちたかったって気持ちもあります」


「今ここに、16人で立てて嬉しいって気持ちもあります」


「どっちも」


恋は笑った。


「本当です」


拍手。


恋は。


少しだけ頭を下げる。


それから。


15人を見る。


「私が前にいるから」


「15人がついてきてくれるんじゃなくて」


ゆっくり。


言う。


「16人が、それぞれ自分で歩いて」


「その中で今」


「私が、ここに立っています」


歓声。


誰かが、後ろから言った。


「センター!」


笑いが起きる。


恋も笑う。


「はい」


「センターです」


大きな歓声。


「これからも」


言いかけて。


恋は。


少しだけ止まった。


ずっと。


その言葉は。


使わなかった。


「また」


言い直す。


「また16人で」


「みなさんに会えたら嬉しいです」


拍手。


歓声。


恋は。


客席を見た。


無数の光。


もう。


一つずつ数えようとは思わなかった。


◇


終演後。


16人で写真を撮った。


「もっと寄って!」


「恋、真ん中!」


「はいはい」


中央へ入る。


15人が。


周りに来る。


シャッター。


一枚。


もう一枚。


写真が表示される。


恋は見る。


16人。


今回は。


数えなかった。


見れば。


分かったから。


全員いる。


今。


ここに。


それでよかった。


◇


家に帰ったのは。


日付が変わる少し前だった。


シャワーを浴びて。


ベッドへ座る。


スマートフォンを開く。


通知。


灯。


恋は。


一瞬だけ動けなくなった。


開く。


『見たよ』


その下。


『ちゃんと立ってたね』


恋は。


画面を見たまま。


しばらく何も打てなかった。


嬉しい。


寂しい。


苦しい。


全部。


混ざっていた。


それから。


文字を打つ。


『一緒に立ちたかった』


送る。


既読。


少しして。


返事。


『知ってる』


それだけ。


恋は。


笑った。


そして。


泣いた。


声は出なかった。


ただ。


涙だけが落ちた。


◇


しばらくして。


恋はスケッチブックを開いた。


古いページ。


あの大きなステージ。


客席の光。


2人。


灯の文字。


『いつか、ここに立とうね』


隣のページ。


少し前に描いた。


16人のステージ。


中央に恋。


周りに15人。


2つのページを。


並べて見る。


どちらも。


消さなかった。


叶わなかった夢。


叶った夢。


どちらかが間違いだったわけではない。


恋は。


ページを開いたまま。


窓の外を見る。


夜。


街の光。


一つ。


また一つ。


ずっと。


同じ場所にあるとは限らない。


消える光もある。


離れていく光もある。


それでも。


一つの灯から始まったものが。


別の場所で。


また誰かを照らすことはある。


恋は。


もう一度。


スマートフォンを見る。


灯からの。


『知ってる』


短い言葉。


それだけで。


十分だった。


一つの灯から始まった光は。


今夜。


数えきれないほど、灯っていた。



ーー続く

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