第四章 いなくなった隣
灯がいなくなった翌日も、当たり前にレッスンはあった。
いつもの時間。
いつもの場所。
いつもの鏡。
違うのは、16人になったこと。
「おはよ」
「おはよう」
恋は、いつも通りに入った。
荷物を置く。
靴を履き替える。
髪を結ぶ。
そして。
無意識に、一つの場所を見た。
いない。
分かっている。
昨日、ちゃんと別れた。
それでも。
ドアが開いたら、
「ごめん、遅れたー」
そう言って、灯が入ってくる気がした。
「始めます」
スタッフの声。
恋は鏡へ向き直った。
16人。
音楽が始まる。
◇
最初に変わったのは、フォーメーションだった。
「ここ、詰めます」
灯がいた場所。
隣のメンバーが半歩ずれる。
もう一人が、その隣へ入る。
「恋、もう少し右」
「はい」
恋も半歩動く。
それだけで。
灯がいた場所は、なくなった。
恋は足元を見る。
床には、何も残っていない。
当然だった。
人が一人いなくなっても、ステージに穴は開かない。
立ち位置を変えれば埋まる。
歌割りを変えれば曲は続く。
16人でも踊れる。
そのことが。
少しだけ、怖かった。
「もう一回!」
音楽。
恋は中央で踊る。
以前より、振りは大きくなった。
表情も自然になった。
歌も安定した。
「恋、いいね」
「ありがとうございます」
褒められる。
嬉しい。
でも。
休憩に入った瞬間。
「灯」
呼びそうになった。
声にはならなかった。
恋は、水を一口飲んだ。
◇
最初の16人でのライブ。
舞台袖。
恋は周りを見る。
一人。
二人。
途中まで数えて、やめた。
「恋?」
「何?」
「緊張してる?」
「ちょっと」
「珍しい」
聞いたことのある言葉。
恋は一瞬だけ黙る。
「……私もするよ」
笑う。
スタッフの声。
「スタンバイお願いします」
暗転。
16人でステージへ出た。
歓声。
光。
恋は中央に立つ。
曲が始まる。
身体は動いた。
間違えない。
笑える。
歌える。
客席から名前が聞こえる。
「恋ちゃーん!」
恋は手を振る。
その瞬間。
思った。
――見てるかな。
どこにいるかなんて分からない。
そもそも、来ているかも分からない。
それでも。
客席のどこかに、灯を探した。
見つからなかった。
ライブは成功した。
「お疲れさまでした!」
拍手。
スタッフから、よかったと言われた。
メンバーも笑っている。
恋も笑った。
「写真撮ろ!」
誰かが言う。
集まる。
「もっと詰めて!」
「入ってる?」
「恋、真ん中!」
「はいはい」
恋は中央へ入る。
シャッター。
一枚。
もう一枚。
写真を見る。
16人。
恋は。
数えてしまった。
◇
その夜。
スマートフォンが震えた。
画面を見る。
灯。
心臓が、一度だけ強く鳴る。
『ライブお疲れ』
それだけ。
恋は、しばらく画面を見た。
来てたの?
配信?
誰かに聞いた?
聞きたいことはいくつもあった。
でも。
『ありがと』
それだけ返した。
既読。
続きはなかった。
恋も送らなかった。
それから。
灯とは、以前のように毎日話すことはなくなった。
連絡先が消えたわけでもない。
喧嘩をしたわけでもない。
ときどき。
本当に、ときどき。
短い言葉が届く。
恋も返す。
それだけ。
歩く道が変わったというのは、
たぶん。
こういうことだった。
◇
季節が変わった。
Rain Crownは、止まらなかった。
新しい曲。
新しい衣装。
新しいライブ。
16人のフォーメーションにも慣れた。
最初は、灯がいた場所を探していた。
やがて。
探さなくなった。
それがまた、少しだけ怖かった。
恋の人気は、さらに伸びた。
雑誌。
広告。
テレビ。
外の仕事。
「天羽さんだけ、このあと別現場です」
「はい」
16人で仕事をして。
恋だけ、別の車に乗る。
「行ってらっしゃい!」
「頑張って!」
「行ってきます!」
ドアが閉まる。
車が走る。
一人になる。
窓に、自分の顔が映る。
恋はスマートフォンを開く。
『恋ちゃんかわいい』
『センターの子すごい』
『この子だけ知ってる』
『Rain Crownといえば天羽恋』
嬉しい。
ずっと、欲しかったはずの言葉。
もっとRain Crownを知ってほしい。
そのために、自分が入口になれたらいい。
そう思っていた。
なのに。
『この子だけ知ってる』
その言葉だけが、少し引っかかった。
恋は画面を閉じた。
◇
次の特典会。
恋の枠は、早くに完売した。
他のメンバーには、まだ受付中の枠がある。
恋は一覧を見る。
16人の名前。
完売。
残りわずか。
受付中。
自分の名前。
そして。
その下に並ぶ、15人の名前。
一人ずつ見てしまう。
誰が完売している。
誰がまだ残っている。
誰のSNSが伸びている。
誰が最近、元気がない。
誰が後ろになった。
誰の歌割りが減った。
以前より。
ずっと細かく、
見るようになった。
ある日。
一人のメンバーが、レッスン後も残っていた。
鏡の前。
一人で何度も振りを確認している。
恋は、ドアのところで止まった。
あの日の灯と重なった。
「ねえ」
声をかける。
「ん?」
「大丈夫?」
相手は、少し驚いた。
「大丈夫だよ」
恋の胸が、小さく痛む。
同じ言葉。
「ほんと?」
「ほんと」
笑う。
恋は、その笑顔を見る。
灯も笑っていた。
大丈夫だと言っていた。
そして。
いなくなった。
「恋?」
呼ばれて、我に返る。
「……一緒にやろ」
「え?」
「そこ。私も確認したい」
「恋、もうできてるじゃん」
「いいから」
荷物を置く。
鏡の前に並ぶ。
「ここから?」
「うん」
音楽。
2人で踊る。
一回。
もう一回。
相手が笑う。
「ありがとう」
「何が?」
「付き合ってくれて」
恋は。
少しだけ安心した。
◇
それから。
恋は前より周りを見るようになった。
疲れていないか。
悩んでいないか。
一人になっていないか。
声をかける。
一緒に残る。
スタッフにも相談する。
「この子、ここもっと映った方がいいと思います」
「この歌割り、合うと思います」
「この企画、この子得意です」
最初は、ただ。
15人のことをもっと知ってほしかった。
自分だけではなく。
Rain Crownを。
16人を。
見てほしかった。
ある日の取材。
「天羽さんにとって、センターとは?」
恋は少し考えた。
以前なら。
分かりません。
まだ勉強中です。
そう答えていた。
でも今は。
一つだけ。
思うことがあった。
「グループを見てもらうための場所だと思います」
「自分が目立つ場所、ではなく?」
「もちろん、目立たないと意味ないですけど」
恋は少し笑う。
「私を見てRain Crownを知ってもらって」
少しだけ、間を置く。
「そこから、他の15人も見つけてもらえたら」
「それが、一番嬉しいです」
記者が微笑む。
「天羽さんは、本当にメンバー思いなんですね」
恋は少し照れた。
「そんなことないです」
そう答えた。
でも。
本当は。
少しだけ、違った。
メンバー思い。
もちろん、それもあった。
でも。
恋の中には、ずっと残っていた。
――あのとき。
もっと早く気づいていたら。
もっとちゃんと話せていたら。
もっと。
何かできていたら。
灯は、違う道を選ばなかったのだろうか。
答えは分からない。
灯自身が選んだ道だと、
分かっている。
「これは恋が何とかすることじゃない」
そう言われたことも。
覚えている。
それでも。
心は、そんなに綺麗に整理できなかった。
だから。
恋は見るようになった。
15人を。
一人ずつ。
誰も見落とさないように。
誰も一人にしないように。
もう二度と。
「大丈夫」という言葉を、
そのまま信じてしまわないように。
◇
夜。
仕事が終わる。
恋は、一人で駅へ向かう。
あの分かれ道。
右へ行けば、恋の駅。
左へ行けば、灯が帰っていった道。
以前はここで、
少しだけ足が止まった。
今は。
止まらない。
右へ曲がる。
スマートフォンが震えた。
恋は、ほんの少し期待して画面を見る。
仕事の連絡。
「……そりゃそうか」
小さく笑う。
灯はもう、
Rain Crownにはいない。
でも。
恋の中では。
いなくなった人がいた場所だけが、
なかなか消えなかった。
だから。
恋は歩く。
前へ。
名前を呼ばれる場所へ。
中央へ。
Rain Crownのセンターへ。
灯がいなくなってから。
恋は、もっと強くなった。
もっと上手くなった。
もっと人気になった。
そして。
もっと、周りを見るようになった。
それが。
優しさだけから始まったわけではないことを。
恋は、まだ知らなかった。
ーー続く




