第三章 同じ夢、違う道
最初に気づいたのは、返信だった。
『今日コンビニ寄る?』
以前なら、すぐに返ってきた。
『いちご』
それだけで、通じた。
その日は。
10分。
20分。
レッスンが終わっても、既読がつかなかった。
『先行くよ』
送る。
駅へ向かう途中。
スマートフォンが震えた。
『ごめん、今日先帰る』
恋は立ち止まった。
『了解』
それだけ返した。
理由は、聞かなかった。
◇
それから。
少しずつ。
一緒に帰らない日が増えた。
「灯、今日――」
「ごめん、予定ある」
「明日は?」
「明日は大丈夫」
次の日。
「ごめん、やっぱ先帰る」
「……そっか」
灯は、レッスンには来ていた。
歌う。
踊る。
笑う。
特典会にも立っている。
ファンと話しているときは、いつもの灯だった。
だから。
恋も、何も言わなかった。
大丈夫。
灯がそう言うなら。
大丈夫。
そう思うことにした。
ある日。
レッスンが終わっても、灯は鏡の前に残っていた。
他のメンバーは、少しずつ帰っていく。
恋も一度、荷物を持った。
でも。
「灯」
「ん?」
「帰らないの?」
「もうちょいやる」
「じゃあ待つ」
「いいよ」
「何で」
「恋、明日朝早いでしょ」
「灯もじゃん」
「私は平気」
「じゃあ私も平気」
灯は、鏡越しに恋を見る。
「帰りなよ」
声は、優しかった。
だからこそ。
恋は、少しだけ傷ついた。
「……分かった」
荷物を持つ。
「お疲れ」
「お疲れ」
ドアを閉める。
恋は、少しだけ廊下に立っていた。
中から音楽が聞こえる。
何度も。
同じところ。
灯が、一人で練習している。
恋は、戻らなかった。
◇
数日後。
フォーメーションが発表された。
恋は、またセンター。
灯は、後列。
恋は自分の名前より先に、灯の名前を見つけていた。
「……」
横を見る。
灯は紙を見ている。
表情は変わらない。
「灯」
「ん?」
「……」
言葉が出ない。
頑張ろう。
違う。
次があるよ。
違う。
大丈夫。
それは、もっと違う。
「何?」
灯が笑う。
「……今日、一緒に帰ろ」
灯は一瞬だけ黙った。
「うん」
その日の帰り。
2人でコンビニに寄った。
灯は、いつものいちごミルク。
恋は何も買わなかった。
「買わないの?」
「いらない」
「珍しい」
外へ出る。
駅までの道。
恋は何度も、話そうとした。
でも。
何から聞けばいいのか、分からなかった。
「灯」
「うん」
「最近さ」
「うん」
「何かある?」
灯は前を見たまま歩く。
「何かって?」
「分かんない」
「分かんないのに聞いてるの?」
「分かんないから聞いてる」
少しだけ、沈黙。
「……考えてる」
灯が言った。
「何を?」
「いろいろ」
「だから何を」
灯は答えなかった。
恋は足を止めた。
「灯」
灯も止まる。
「私に言えないこと?」
「そうじゃない」
「じゃあ言ってよ」
「まだ言えない」
「何で?」
「まだ決めてないから」
恋は灯を見る。
胸の奥。
嫌な予感がした。
「何を決めるの?」
灯は少しだけ目を逸らした。
「決めたら話す」
「今聞きたい」
「恋」
「何?」
「今話したら」
灯は、少し困ったように笑った。
「恋、絶対何とかしようとするから」
恋は何も言えなかった。
以前、言われた言葉が戻ってくる。
――恋が何とかすることじゃないよ。
「……しちゃダメなの?」
灯は、すぐには答えなかった。
「ダメじゃない」
そして。
「嬉しいよ」
少しだけ笑う。
「でも、これは私が決めたい」
恋は頷けなかった。
「……分かった」
嘘だった。
分かっていなかった。
◇
その答えを聞いたのは、それから2週間後だった。
スタッフから連絡が来た。
『活動に関するお知らせがあります』
恋は、嫌な予感がした。
レッスンルーム。
17人。
灯が前に立った。
恋は、何も聞いていなかった。
灯は一度、息を吸った。
「私から、みんなにお話があります」
部屋が静かになる。
「私は」
一瞬。
灯が恋を見た。
「Rain Crownとしての活動を、辞退します」
言葉が落ちた。
誰も、すぐには動かなかった。
「……え?」
誰かの声。
恋は灯を見ていた。
意味は分かる。
言葉も聞こえている。
でも。
頭の中で、つながらなかった。
「たくさん考えました」
灯は続ける。
「活動が嫌になったわけではありません」
「メンバーのことも」
少しだけ、声が揺れる。
「Rain Crownのことも、大好きです」
恋は聞いていた。
聞いているしかなかった。
「でも」
「この先も続けていく自分を考えたときに」
灯は、ゆっくり言う。
「私は一度ここから離れて、自分の道を考えたいと思いました」
誰かが泣いていた。
誰かが俯いていた。
恋は泣かなかった。
ただ。
一つだけ。
ずっと頭の中にあった。
――2人で、ここに立とうよ。
あの写真。
あの光。
あの約束。
スタッフが補足した。
灯の活動は、その日で終わるわけではなかった。
「来月のライブを最後に、Rain Crownとしての活動を終了します」
あと、約1か月。
終わる日が、決まった。
◇
話が終わったあと。
メンバーが灯の周りに集まった。
抱きしめる子。
泣く子。
「寂しい」と言う子。
恋は、少し離れた場所にいた。
動けなかった。
灯が恋を見る。
目が合う。
恋は視線を逸らした。
その日の帰り。
駅の前。
「恋」
灯が追いついてきた。
「待って」
恋は止まる。
振り返らない。
「話したい」
「何を」
自分でも驚くくらい、冷たい声だった。
「ちゃんと」
「ちゃんとって何?」
恋は振り返る。
「決めたら話すって言ったじゃん」
「うん」
「私、今日初めて聞いた」
「ごめん」
「何で?」
灯は黙った。
「何で私に先に言わなかったの?」
しばらくして。
灯が言う。
「言ったら、恋は止めるでしょ」
「止めるよ」
恋は即答した。
「当たり前じゃん」
「うん」
「一緒に考える」
「うん」
「何とかする」
灯が、ほんの少しだけ笑った。
「ほら」
その笑い方に。
恋は余計に腹が立った。
「何が原因なの?」
「……」
「私がセンターだから?」
「違う」
「外の仕事が増えたから?」
「違う」
「選抜?」
「違う」
「特典会?」
「違う」
「じゃあ何?」
灯は黙った。
「何なの?」
「一個じゃない」
恋の言葉が止まる。
灯は、少しだけ俯いた。
「私も、全部分かってない」
「分かってないのに辞めるの?」
「うん」
「何で」
灯は、すぐには答えなかった。
それから。
「好きだから、ずっと続けられるとは限らないみたい」
恋は何も言えなかった。
「ステージに立つのも好き」
「ファンの人と話すのも好き」
「メンバーみんなも好き」
一度、言葉が止まる。
「恋といるのも、好きだよ」
恋の目が熱くなる。
「じゃあ」
「でも」
灯が遮った。
「それだけじゃ、続けられないこともあるんだと思う」
「……」
「夢ってさ」
灯は、少し遠くを見る。
「叶わなかったら終わるだけじゃないんだね」
「どういうこと」
「途中で、形が変わることもあるんだって」
恋は、その言葉が嫌だった。
「私は変わってない」
「うん」
「まだ、あそこに立ちたい」
「うん」
「灯と」
声が詰まる。
「一緒に立ちたい」
灯は、目を伏せた。
「うん」
それだけ。
恋は灯を見る。
「私、何かできなかった?」
灯が顔を上げる。
「もっと早く気づいてたら」
「恋」
「もっと話してたら」
「恋」
「もっと――」
「これは、恋が何とかすることじゃないよ」
恋は止まった。
また。
同じ言葉。
「でも」
「全部、自分の責任にしないで」
灯の声は、強くなかった。
ただ。
まっすぐだった。
「恋がセンターだから辞めるんじゃない」
「恋が人気だからでもない」
「恋が何かしなかったからでもない」
恋は唇を噛む。
「じゃあ、何で」
「だから」
灯が少しだけ笑う。
「一個じゃないんだって」
「……ずるい」
「うん」
「分かんない」
「私も」
2人とも。
答えを持っていなかった。
◇
残された1か月は、
不思議なくらい普通だった。
灯はレッスンに来た。
ライブにも出た。
特典会にも立った。
「あと何回?」
恋が聞く。
「それ言う?」
「数えてる」
「やめてよ」
「あと3回」
「数えてるじゃん」
「だから言った」
「怖」
そんな会話もした。
コンビニにも寄った。
灯は、いちごのアイスを選ぶ。
売り場の前で何種類も見て。
結局。
「またそれ?」
「安心するんだもん」
「冒険しなよ」
「恋が買ってくれたら」
「じゃあやめとこ」
「ケチ」
笑う。
本当に。
普通だった。
だからこそ。
恋には、分からなかった。
終わることが決まっているのに。
どうしてこんなに、いつも通りなのか。
ある日の帰り。
分かれ道で。
灯が言った。
「私ね」
「何?」
「アイドルになったこと、後悔してないよ」
恋は灯を見る。
「恋に応募させたことも」
「……うん」
「恋がセンターになったことも」
「うん」
「全部」
灯は少し笑う。
「よかったと思ってる」
「じゃあ、辞めないでよ」
恋は言った。
冗談みたいに。
でも。
灯は笑わなかった。
「それとこれは、別」
前に。
灯が自分の落選について言った言葉。
――恋が選ばれたことと、私が選ばれなかったことは別だから。
恋は覚えていた。
「……灯って、そういうの分けるよね」
「大事だから」
「私は無理」
「知ってる」
「全部混ざる」
「知ってる」
少し歩く。
恋は前を見たまま聞いた。
「あの場所」
「うん」
「覚えてる?」
「覚えてるよ」
「2人で立つって言った」
「うん」
「私、まだ立つつもりだから」
「うん」
「灯も」
灯は、しばらく黙った。
「恋が立って」
「何それ」
「恋が立ってよ」
「私の夢じゃない」
「え?」
「灯がくれたんじゃん」
恋は、足を止めた。
「あの場所も」
「アイドルも」
「最初に言ったの、灯じゃん」
灯は恋を見る。
「じゃあ半分、返す」
「いらない」
「何で」
「返却不可です」
「何それ」
「もう恋のだから」
「勝手」
「私、最古参だから」
「関係ないでしょ」
灯は笑った。
恋も、少しだけ笑った。
でも。
そのあと。
恋は小さく言った。
「灯と見たかった」
灯の笑顔が止まる。
少しだけ。
長い沈黙。
「うん」
灯は、それだけ答えた。
◇
最後の特典会。
恋は、自分の列から灯の方を見た。
でも。
人数は数えなかった。
数えたら。
何かが壊れる気がした。
終わったあと。
「お疲れ」
「お疲れ」
灯は、いつもと同じだった。
最後のライブ。
17人で、ステージに立つ。
恋は中央。
灯は少し離れた場所。
曲が始まる。
客席に光が広がる。
灯が、一度だけ。
客席を見渡した。
その顔は。
恋が思っていたより、ずっと嬉しそうだった。
――あれをステージから見たい。
昔の声が戻る。
灯は、ちゃんと見ていた。
小さな会場。
夢に見た場所ではない。
それでも。
数えきれないほどではない光を。
一つずつ。
ちゃんと見ていた。
ライブが終わる。
拍手。
歓声。
17人で頭を下げる。
それが。
17人のRain Crownとして立つ、
最後のステージになった。
backstage。
灯の周りに人が集まる。
写真を撮る。
泣く。
笑う。
恋は少し離れたところから見ていた。
やがて。
灯が荷物を持つ。
「じゃあ」
誰かがまた泣いた。
灯が笑う。
一人ずつ言葉を交わす。
そして最後に。
恋の前へ来た。
「帰るね」
恋は。
たくさん言いたかった。
ありがとう。
寂しい。
行かないで。
また一緒にやろう。
あの場所に立とう。
でも。
口から出たのは。
「……頑張ってね」
だった。
灯は少しだけ目を丸くして。
それから笑った。
「恋もね」
2人は。
それだけだった。
◇
翌日。
レッスンはあった。
恋はいつもの時間にスタジオへ行った。
ドアを開ける。
16人。
誰かが言う。
「おはよう」
恋も返す。
「おはよう」
音楽が始まる。
昨日までいた人がいなくても。
レッスンは進んだ。
3日後。
帰りにコンビニへ寄った。
アイスの棚。
新商品。
いちごミルク味。
恋は足を止める。
――灯、好きそう。
スマートフォンを出した。
写真を撮る。
灯とのトーク画面を開く。
『これ、好きそう』
打つ。
指が止まる。
以前なら。
何も考えずに送っていた。
でも。
今は。
送っていいのか、少しだけ考える。
結局。
送らなかった。
画面を閉じる。
コンビニを出る。
いつもの分かれ道。
右へ行けば、恋の駅。
左へ行けば、灯の駅。
何度もここで。
「また明日」
そう言った。
恋は、少しだけ立ち止まる。
同じだったはずの明日が。
違う明日に変わっていく。
そのことに気づくのは。
いつも。
道が分かれたあとだった。
ーー続く




