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11.血と鉄を駆け抜けて

 蒼白い残光を背に、三つの影が濡れた路地を駆け抜けていた。

 胸を裂くような呼吸音、靴底が水溜りを叩く音、そのすべてが敵に居場所を知らせる鐘のように響く。


「こっちだ!」


 先頭を走るのはジロだった。兵装のケースを抱え、悪態をつきながら進む。

 後ろではバクが太い腕でユキヤを担ぎ、必死に後を追っていた。


 ユキヤの視界は白く点滅していた。

 神経の奥で焼け付くような痛み。脳に刺す電流のような閃光。


(頭が熱い)


 拡張知能はまだ淡々と数値をはじき出していた。


 〈脈拍:186/呼吸効率:低下中/神経損耗:27%〉


 冷徹な数式と同時に、肉体が壊れていく実感が重なり、ユキヤは奥歯を噛みしめる。


「おい、しっかりしろ!」


 ジロが振り返りざまに声を投げる。

 バクは持久力に乏しいはずなのに、汗をだらだらと流しながらも、ユキヤを決して落とさず担ぎ続けている。

 返事をする余裕のないユキヤは、吐き気を押し殺しながら短く息を吐くだけだった。


 路地の影を抜け、三人は給水塔の下に転がり込む。

 夜風に混じる錆の匂いと、遠くで鳴る警笛。

 バクが荒い息を吐きながら、ようやく身体を地面に下ろして休息する。


「少し休んだらすぐ行くぞ。完全に撒けるまで走るしかねぇ」


 ユキヤは震える指先を押さえ込むように握り込んだ。

 頭の奥では、拡張知能が静かに警告を繰り返していた。






 夜の喧騒から少し外れた路地の奥にある、古びた看板を掲げたジャックスの店。棚には壊れかけの魔導具や錆びた武具、誰が使うのかも分からない部品が無造作に並べられている。

 灯りは抑えられ、薄暗い空気の中でジャックスは煙草を燻らせながら椅子に深く腰を下ろしていた。

 外の足音や物音に敏感な耳を傾けつつも、その眼差しは過去に交わされたやり取りへと戻っていた。


 ――依頼を持ち込んできたのは、セリーヌ・クロードレイ。


 都市〈シンカイ〉でも有数の影響力を持つクロードレイ家の令嬢でありながら、彼女は親の権威を一切持ち出さずにジャックスを訪ねてきた。


 盗まれた魔導兵装、小杖の回収。

 それが依頼の内容だった。


 華やかな家柄の娘らしく整った顔立ちでありながら、瞳には確かな焦燥が滲んでいた。

「どうか、あの杖を取り戻してほしい」と。

 上流階級の人間らしく傲慢な態度であったが、それは甘えや我儘の響きではなく、自分の力で失ったものを取り返したいという、若さゆえの頑なな決意だった。


 クロードレイ家の人間なら、金を積んでギルドに直接圧力をかければ済む話だ。それをせず、わざわざスラムの商人である自分を頼るとは――利用しない手はない。


 それに、親の影に隠れず、己の名で物事を成したいセリーヌの姿勢は、ジャックスが長年追い求めているものとどこか重なった。

 この依頼を達成すればクロードレイ家に密かな貸しを作れる。

 それは裏社会で動く彼にとって、ギルドと並び立つ力を持つ後ろ盾を得ることを意味する。


 ギルドに押さえつけられぬために、そして己の目的に近づくために、これは逃せない機会だった。

 だからこそ、ギルド管轄倉庫に眠る没収品を奪い返すという、難易度の高い危険な仕事を、あの三人に任せて本当に大丈夫だったかと心配が募る。

 もちろん、彼らの生命を案じてではない。失敗したときのことを考えてだ。


「さて……どう転がるか」


 灰皿に煙草を押しつけ、ジャックスは薄暗い窓の外を見やった。

 空気の匂いで、夜が騒がしくなりつつあるのを感じる。倉庫を囲む魔術防壁が破られた時点で、ギルドが黙っているはずがない。

 今頃、彼らは血と鉄の中を駆け抜けているだろう。

 もともと、防壁を破る役目は専門の魔術師に任せるつもりだった。だが、魔術コードを軽々と組み上げるユキヤの腕を見込み、つい欲をかいてしまったのだ。

 彼なら少しの利益で働いてくれる。ジャックスにとって今後のリターンを考えれば五万などはした金である。

 彼が三万を五万に交渉し、ジャックスが折れたのも、相手に満足をさせるためだった。まさか上流階級が絡んでいるとは思うまい。


 焦りはなかった。むしろ心の奥底で、静かな熱が滾っていた。

 たとえどれほど危険でも、この依頼を果たすことが未来を切り拓く。そう確信していたからだ。


 ジャックスは椅子の背に身を預け、扉が開く音を待った。

 その先に現れる三人の影が、血にまみれているのか、それとも何も掴めず潰えているのか。


 ――こうして、その時が訪れた。扉が乱暴に開かれる。

 軋む音とともに、血と汗に塗れた三つの影が暗がりに飛び込んでくる。

 先頭はジロ。顔は蒼白で、腕には没収品の兵装ケースを抱え込んだまま離そうとしない。その後ろにはバクがいて、巨体を揺らしながらユキヤを背負っていた。ユキヤの腕はだらりと垂れ、意識は完全に途切れている。


「帰ってきたか」


 ジャックスの低い声が煙の奥から響く。

 表情は大きく動かない。ただ、眼差しが一瞬鋭くなり、三人の有様を見定めた。


「死んじゃいねぇ。けど、やべぇ……完全に気ぃ失ってる」


「俺のベッドを使っていい。ユキヤを寝かせて、ポーションをぶっかけとけ」


 バクはジャックスの指示通り、ユキヤを抱えていく。

 ジロは震える指先で額の汗を拭い、乾いた笑いを洩らした。


「はは……冗談じゃねぇ。もう二度と御免だ、こんな真似は。マジで死ぬとこだった………」


 ジャックスは黙って煙草をくゆらせ、やがて灰を落とした。


「詳しく話せ」


 促されて、ジロは唇を噛みしめながら倉庫での一部始終を語り出す。

 倉庫エリアへの侵入、魔術防壁の解除、タカクラという男の強さ。そして、ユキヤが魔導ブレードを操り、タカクラを斬り伏せたこと。

 吐き出される言葉は熱に浮かされた戯言のようでもあり、同時に嘘をつく余地のない生々しさを帯びていた。


「それは本当なんだな?」


 ジャックスは片眉を上げた。


「タカクラっていえば兵士の中でも手練れ、隊長級だぞ。それを、ユキヤが?」


「俺だって信じられねぇよ!」


 ジロが叫ぶ。


「けど現にそうだったんだ! アイツはタカクラとまともにやり合って勝ったんだ!」


 沈黙が落ちる。ジャックスは頷き、腕を組んだ。


「信じられねぇが……人体改造でも受けたってのか?」


「やっぱりか、いや、そうだとしても、あいつにそんな大金があるのか」


「だから分からんのさ」


 ユキヤが、人体改造に手を出せるほど稼いでいるとはとても思えなかった。


 都市〈シンカイ〉において、人体改造は珍しいものではない。

 上層階級の金持ちやギルドの兵士たちが身体を改造し、筋力や反射速度を高めるのは珍しいことではない。

 外骨格を埋め込む者、肺や心臓を魔力炉と接続して常人離れした持久力を得る者、果ては視神経に符号を刻み込み、暗闇の中でも昼のように見通せる視界を手にする者までいる。

 ギルドの正規兵には、こうした強化を経た改造済みの兵士が多く所属している。


 そうした恩恵は富裕層や組織に属する者だけのものではない。

 スラムの中にも、自らの体を切り売りするように改造を重ね、ギルド兵や傭兵として成り上がろうとする者は少なくない。

 例えば、戦場で右腕を失った男が、義肢の代わりに旧文明の魔導義手を移植し、握力だけで鉄をひしゃげる力を得た。あるいは、若者が脳に簡易演算機構を組み込み、魔術の構築を高速化させて生計を立てる。


 それらはしばしば失敗を伴い、神経を焼かれ廃人となるか、暴走して死ぬか、あるいは人としての形を失って化け物と呼ばれる存在に変わることさえあった。

 だからこそ、貧民街に生まれた者が改造で生き延び、頭角を現すのは一握りに過ぎない。

 だが、もしユキヤがその一握りだとすれば――。


 ジャックスは深く息を吐き、背凭れに身を預ける。

 彼の心には困惑と同時に、もう一つ、冷たい予感が芽生えていた。


(このままだんまりなわけねぇよな)


 隠蔽はギルドの常套手段だ。関わった者を存在しなかったことにする。

 すると、ユキヤだけでなく自分たちもまた標的になる。


「……まずいな」


 ジャックスの声は低く、重かった。


「このままじゃ、ギルドに潰される。俺たちごとだ」


 ジロが凍りついた顔で身を乗り出す。


「はっ……マジかよ。だから嫌なんだ、ギルドに関わる仕事は!」


 そこへ、ユキヤを寝かせてきたバクが頭を掻きながら戻ってきた。妙に呑気な声で口を挟む。


「……腹減ったな。何も食ってねぇ。帰りに肉串でも買えねぇか?」


「お前は緊張感ってもんがねぇのか! それどころじゃねぇんだよ」


 ジロが怒鳴る。だがバクは真剣そのものの顔で食い物のことを考えていた。

 その落差が、張り詰めていた空気をわずかに緩めた。


 ジャックスは沈黙を続け、やがて重い決断を口にした。


「セリーヌに繋ぐ。クロードレイ家の力を借りるしかねぇな。彼女なら、ギルドの動きを一時的に止めるぐらいはできる」


 そう言って棚から取り出したのは、掌ほどの古びた金属板だった。表面には複雑な符号が刻まれ、淡く魔力が脈動している。

 魔導端末。旧文明の通信技術を応用した希少な魔導具だ。

 魔力を流し込むと符号が光り、音声や文字が空中に投影される仕組み。上流階級の家庭や情報屋が用いるもので、スラムの人間が持てる代物ではない。


 ジャックスは器用に煙草を咥えながら、端末を起動させた。青白い光が暗がりに滲む。

 ジロはげんなりとした顔で頭を抱える。


「ちくしょう……俺は降りるぞ。もう二度とやらねぇ、こんな危ない橋は」


 ジャックスは二人を横目で流し見ながら、煙をくゆらせた。


「正念場ってところか」


 彼の声は、夜の喧騒に溶けていった。

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