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10.危険因子

本日2話投稿です。(2/2)

胸郭は焼けつくように軋んだ。

拡張知能が次々と数値をはじき出し、それに従って動けば、神経に火を押し当てられるような痛みが走る。

頭蓋の奥で脈打つ激痛、そして胃の奥からせり上がる吐き気。

視界は白く点滅し、タカクラの巨体が二重三重に揺らめいて見えた。


刃筋はまだ正確だった。だが肉体が追いつかない。

振り下ろしたつもりの腕は遅れ、踏み込んだ足もわずかに鈍る。最適化された軌道と実際の動作に生じる決定的なズレ。

その誤差が死に直結することを、彼は理解していた。


(殺されるっ!)


胸を締め上げる恐怖が全身を駆け巡る。

タカクラの警棒が再び構え直された。次は避けられない。

直感が告げていた。


タカクラの握る魔導警棒はただの鉄塊ではない。

内部に刻まれた魔術コードが常に循環し、流し込まれる魔力に応じて硬度と衝撃力を増幅する。

流し込む魔力によっては、ただ打ち据えるだけで骨を粉砕し、かすめれば内臓まで震わせる。正面から受ければ、人の身など一撃で潰える。


理解はできていた。頭の中では数値が踊り、軌道や回避の最適解が描かれる。

だが身体は応じない。肩は鉛のように重く、呼吸は荒れ、視界は霞んでタカクラの影すら二重に揺らいでいた。


冷たい汗が背を伝う。

死が目前に迫る瞬間、喉奥から込み上げる悲鳴を必死に噛み殺した。

倉庫の冷気が、刃先の緊張と同じ鋭さで肌を刺す。


――脳裏に、オトラ婆の姿が浮かんだ。


煤けた灯りの下でコップを拭う背。しわがれた声で「生きのびることの方が大事」と言っていた。

オトラ婆の影が、刹那の幻のように揺らめく。


「……まだだ」


喉の奥で掠れた声が漏れた。

恐怖は消えなかった。だが、それ以上に濃い衝動が胸を占める。生きたい。

死ぬわけにはいかない。こんな場所で終わるわけにはいかない。


次の瞬間、ユキヤは脳内にコードを描いた。


魔術の発動にはいくつかの方法がある。

倉庫を囲んでいた防壁のように、対象に魔術コードを刻印して常時発動させる〈設置型〉。

杖や剣にコードを刻み、魔力を流して起動させる〈武具型〉。

だがユキヤが選んだのは、戦闘中にコードを組み立て、直接武器へ流し込む〈直接構築型〉だった。


本来なら熟練の術士や軍のエリートでも失敗の危険が高い、無謀な領域。

それでも彼は、脳裏に奔流する拡張知能の補助を頼りに、刹那の速度で組み上げていく。


〈コード構築:出力増幅/切断力上昇〉


蒼白い光が、魔導ブレードの刀身に奔った。


バクは息を呑んだ。目の前でユキヤの動きが一変したからだ。

戦いの中で、直接コードを組み直す、常識ではあり得ない光景に、思わず背筋が冷える。

現役の傭兵ですら避ける荒技を、今まさにこの場で。

魔力の奔流がブレードに収束する様は、火山が噴き上がる前触れのようだった。

迂闊に近づけば、自分ごと吹き飛ばされる、そう直感するほどの圧。


「とんでもねぇな」


バクが呆然と吐き出した声は震えていた。

同時に、胸の奥底で熱が疼いていた。無茶苦茶だ。


魔導ブレードの内部に刻まれた魔術回路が改変され、一気に熱を帯び、倉庫の空気を焼き裂くような唸りを発する。

刃先は先ほどよりも濃い光を纏い、揺らめく残光が紫の闇を押しのけた。


「なっ――!」


タカクラの瞳が見開かれ、驚愕のあまり身体が硬直する。

振り下ろす必殺の警棒。その軌跡を、ユキヤは全力の一閃で迎え撃つ。


轟音。

衝撃は倉庫の木箱を震わせ、壁に積もった埃を散らした。

蒼光が奔り、タカクラの腕ごと警棒を弾き飛ばす。


「ぐ……ぬッ!」


力の均衡が崩れた瞬間、ユキヤの体は自然に動いた。

拡張知能が提示する理想軌道に、今だけは肉体が追いついた。

刃は稲妻のように閃き、タカクラの胸部を斜めに切り裂いた。


甲冑をも裂く鋭さ。

血飛沫が蒼白光に照らされ、倉庫の床へ散る。


タカクラの巨躯が大きく揺らぎ、膝をついた。

致命には至らぬ。だが胸を深く抉られ、呼吸が荒く崩れる。

警棒を握る腕が震え、立ち上がることすら困難になっていた。


ユキヤは追撃しようと一歩踏み出した。

だが、その瞬間、視界が完全に白に塗りつぶされた。


「っ……!」


神経を焦がす痛みに、全身が痙攣した。

まるで脊髄そのものに焼きごてを押し当てられたような激痛が背骨を駆け上がり、脳を白く塗りつぶす。

膝は耐えきれず砕けるように折れ、床へと沈む。


走らせていた魔術コードが肉体の器を超えて暴れ、脳内の神経網を焼き切ろうとしていた。拡張知能の補助があるはずなのに、その奔流は制御を失い、全身を内側から崩壊させる。

耳の奥で鼓動が爆ぜ、胸は焼けた鉄を押し込まれたかのように熱い。呼吸は裂け、喉からは声とも呻きともつかぬ音が漏れる。


視界の端から色彩が抜け落ちていく。蒼白い刃も、残光だけを残して掻き消える。

支えを失った身体は、そのまま糸の切れた人形のように前のめりに崩れ落ちた。


床に叩きつけられる寸前、わずかに浮かんだのは「生き延びたい」という熱。だが、その願いすら痛みの奔流に押し流され、暗い闇が意識を覆い尽くしていった。


静寂。


「ユキヤ!」


最初に声を上げたのはバクだった。

巨体を揺らして駆け寄り、少年の体を無造作に抱え上げる。


「ジロ! どうすんだ!」


「どうするもこうするもあるか! 今しかねぇ!」


ジロは既に木箱の陰から没収品――目当ての魔導兵装を抱え出していた。

タカクラとユキヤが斬り結んでいた間に、掴んでいたのだ。

その顔は恐怖と興奮で引き攣り、額から汗が噴き出していた。


「逃げるぞ! 置いていけ!」


「馬鹿言え!」


バクの咆哮が倉庫に轟いた。


「こいつがいなきゃ、とっくに俺たちは死んでる!」


タカクラは血に塗れ、床へ崩れていた。仮面の下の目には憎悪の炎が揺らぎ、息がある限り立ち上がろうとするだろう。

それを理解しているからこそ、バクはユキヤを抱えたまま走り出す。


「チッ……くそ、ずらかるぞ!」


ジロも兵装を抱え、別の出口へ駆けた。


背後でタカクラの荒い呼吸と血が滴る音が響いていた。

だが振り返る余裕はない。ギルド兵が到着する前に、侵入時とは別の裏口を抜けなければ全てが終わる。


三人の影は蒼白光の残滓を背に、夜の闇へと消えていった。






倉庫には再び静寂が戻った。

だがそれは死の静けさではない。血と鉄と魔力が混ざり合った濃密な気配が、なおも漂い続けていた。


タカクラは床に倒れ込んだまま、荒く、かすれる息を繰り返している。胸元からは血が溢れ、甲冑を濡らしていた。

しかしその眼だけは生きていた。憎悪に濁り、今まさに少年の顔を焼き付けている。


「……」


言葉にならぬ呟きが、血に咳き込んで途切れた。


やがて外から金属靴の音が近づき、倉庫の扉が乱暴に開かれた。

駆け込んできたのはギルド兵たちだった。数人がタカクラに駆け寄り、他は武器を構えて辺りを警戒する。

倒れた木箱や血の飛沫を見て、誰もが息を呑んだ。


「隊長! しっかり!」

「敵は? まだ近くに」


兵士たちの混乱を裂くように、低い靴音が倉庫に響いた。

全員が思わず背筋を伸ばす。


「随分と派手にやられたな」


現れたのは監督官カザマだった。

四十代半ばから五十代にかけての男。

年齢を重ねてもなお一分の隙もなく、背筋を真っ直ぐに伸ばした立ち姿は、存在そのものが兵たちを制圧する威圧感を放っていた。

髪はきっちりと後ろへ撫でつけられたオールバックで、黒に白髪が混じり始めている。その銀の筋は衰えではなく、むしろ経験と冷徹さを刻んだ勲章のように映る。

身に纏うのは濃紺の監督官用の制服。その胸元には、ギルドにおける地位を示す小さな徽章が冷たく光を返していた。


その瞳は氷のように冷たく、戦場の残滓を見下ろす視線には一片の感情もない。

床に残る蒼白い焼痕を見やり、彼は低く呟く。


「この魔力の揺らぎ……お前のものではないな」


彼は倒れ伏すタカクラに視線を落とし、その傷を一瞥する。


「お前が負けるとはな。……敵の顔は覚えたな?」


タカクラは血に濡れた喉で、かすれ声を絞り出した。


「……必ず……私が……仕留めます」


カザマは頷くと、兵士たちに鋭く命じた。


「全周を封鎖しろ。痕跡を一つ残さず洗え」


兵士たちが一斉に動き出す。

その背を見送りながら、カザマはひとり呟いた。


「危険因子は早めに潰すに限る」


倉庫の冷気が震え、夜気がさらに重く沈んでいく。

少年たちが知らぬところで、ギルドの目は鋭く彼らを追い始めていた。

ここまで読んでいただきありがとうございます。

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