ガラスの靴
ヤバい。キャスは一瞬焦った。
だが、すぐに思い返す。今の姿と、あの姫君を結びつけて考える者はいないだろう。
フッと笑って、「へえ、大変だな」と余裕で返した。
「ご苦労なこった。国中の娘に靴を履かせて試すそうだ。いや、国中の女って言ってたかな?」
やっぱり、しつこい男だ。ちょっと尋常じゃないな、とゾッとしながら疑問を口にした。
「なあ、老婆の足にぴったりだったら、その老婆が王妃になるのかな」
「靴のサイズが合う女なんて山程いるだろうさ。顔を見て明らかに違ったら、省くんじゃないのか?」
「まあ、そうだろうな。探すのは兵たちかな。気の毒になあ」とキャスはため息混じりに言う。
シリーはにやにやとしながら、ビールを煽った。
「国中の女が色めき立っているぜ。見ものだね」
シリーが言っていた通り、舞踏会の翌日からガラスの靴を持った捜索隊が、国内を回り始めていた。
街の広場が会場になり、女たちが試し履きするために列を作る。
会場周囲には屋台や大道芸人までやってきて、どの町でもお祭り騒ぎだという。
予想に反していたのは、今だに一人も、ガラスの靴に合う女性がいないことだ。
シリーが「なぜだろうな。もしかしたら、すごい大足の女で、三十センチあるとか、逆に小足で二十センチしかないとかか?」と首を傾げる。
取り巻きのギムが「どっちも数人ならいるさ。それが一人もいないってことは、足の形が変わっているんじゃ無いか?」
「どんなだよ」
「例えばさ、すごく幅が狭くて、こう……」
手の平を前に出し、親指を内側にギュッとすぼめて、「こんなふうに細い足とか、逆に横に平たくて」と言いながら指を大きく広げて見せた。その挙句、嫌そうに言う。
「そんな女が王妃って嫌だな。細い方だとよろよろしていそうだし、広い方だと……なんか、嫌だ」
皆が想像を口にすればするほど、足はおかしなことになっていき、人間なのか? というところまで行きついた。
「でも王子はその女が気に入ったんだろ? 足以外はまともなんじゃないか?」
シリーがそう言うと、皆は納得できていない表情のまま頷く。
キャスは黙って聞いていたが、すごく複雑な気分になった。
「おい、面白いもん見たぜ」
そう言いながら店に飛び込んできたのは、他の町に仕事で出かけていたパイクだ。
「今評判のガラスの靴が、仕事先の町に来ていたんだ。俺は最前列で見ていたけど、あんなもん履ける人間居るのかな?」
「どんなだった?」
「本当に本物のガラスだった。全部がだぞ。わかるか?」
皆想像したようだ。
シリーが一番に声を上げた。
「足の甲の部分がガラスで飾られているとかじゃないのか? 全部って、靴として無理が無いか?」
「そう、それだよ。全面カッチコチのガラス製でさ、あれじゃ履くことができても、歩けないよ。しかも……」
パイクは気を持たせるように、言葉を切った。
全員が一歩パイクの方に詰め寄っていく。
「なんだよ、勿体つけずに言えよ」
「履き口が、むっちゃくちゃ狭いんだ」
全員が想像したようで、「うえっ」とか「はあっ?」というような声がてんでに上がる。
キャスだけが別の意味で驚いていた。
そんな変な形じゃなかったはずだ。
「そんなだから、足を入れることすらできないんだ。合わせるどころの話じゃないよ。その場にいた皆が、『こんな靴を履ける人間がいるもんか』って、ものすごく盛り上がってた」
「楽しそうだな、俺たちも見物に行くか」とシリーがボソッと言うと、全員が賛成した。
キャスの住む町に靴がやって来たのは、その二日後だったが、その日までに靴を履けた者はいなかった。
キャスはシリーたちとではなく、義母と義姉たちの付き添いとしてその場に出かけた。
街に着くと、広場の真ん中に会場が設けられていた。一メートルくらいの高さの木製の台が設けられ、そこに上って靴を試すようだ。
その前に女たちが並び、靴の試し履きの順番を待っている。
周囲には噂通り、屋台や大道芸人が出ており、ほとんど祭状態だ。
「靴が合った人はこちらに、それ以外は帰るように。残って騒ぐことは許さないからそのつもりで!」
あの時の隊長が、ビロードのクッションに乗せたガラスの靴を、高々と上げて叫んだ。
「まあ、なあに騒ぐって。変な注意ね」
義母がいぶかし気に言う。事情を知っているキャスは、口元がムズムズするのを拳で隠した。
靴の試し履きが始まり、前方から不満の声が次々と上がり始める。
「こんなの無理よ。なんなのよ、これ!」
「これが履けるのは人間じゃ無いわ。森の妖怪か何かね」
列の後ろの方にいる女たちは首を捻っている。
その罵声の中、列は凄い勢いで前に進んでいく。
「なんだか変ね。誰も靴を履こうともしていないじゃないの。屈みもしていないわよ」
背伸びをして様子をうかがっていたキンバリーが、こっちを向いて言う。
キャスは列を離れて、試し履きの様子を遠目に眺めた。靴を見るなり諦める者が多いようだ。その分、文句を言う者は多いが、それは靴の試し履き係の両横に並ぶ、兵たちが引き受けている。
義姉たちの元に戻って、「見ただけで、履けないと思った人が多いみたいだよ」と告げた。
「まあ、やってみないで諦めるなんて、根性無しね。あなたたち、絶対に履いてみるのよ。いいわね」
義母は義姉たちに言い聞かせている。
「すごく大きいとか、すごく小さいとかかしら。キャス、見えた?」
「いいえ、見えなかったです。でも、もうすぐ見えてくるでしょう。あっという間に列が短くなっているから」
列が進みガラスの靴が見えてきたが、透明で光っているので、離れたところからでは形がはっきりしない。
それから大して経たずに順番が回って来た。
「さあ、二人とも気合を入れてね」
そう言い置いて、まずは義母が台の上に上がり、靴の前に進み出た。
そして一瞬靴を見つめてから、黙って横にどいた。
義姉二人とキャスは驚いた。
「えっ、どういうこと?」
そう言いながら、キンバリーが続いて上がって行った。そして彼女も黙ったまま横にどいた。
「まあ、あんなに根性無しとか言っていたのに、なあに? 私は履いてみるわよ」
メイリーはカツカツと荒々しい足音をたてて階段を登り、キャスはその後ろに従う。
そして靴を見て絶句したメイリーは、そこでどいたりはしなかった。
靴を手に取ると、足をそこに思いっきり突っ込む。足幅の半分くらいの狭い履き口に、つま先だけが何とか入った。
「あ、ちょっと。そんな無茶をしたら、ガラスが割れてしまう」
係の兵が、慌てて制止しようとする。
「だけど靴なんでしょ。それにこれを履けるか試しに来ているのでしょ。だったら履いてみるしかないわ」
無茶苦茶だが、言っていることは正しいような気もする。
だけど、ガラス相手に無茶をしたら、危険なのは試した本人だ。
キャスは慌ててメイリーの足元にしゃがみこんだ。
どこからどう見ても、この靴にメイリーの足は合っていない。
キャスが靴を抜き取り、ビロードのクッションの上に戻した。その時、目の前の隊長が「えっ」と声を上げた。
周囲の兵や、まだ台の上に残っていた義母や義姉たちの目が靴に向けられ、そのまま釘付けになっている。
キャスも改めて靴を見た。
履き口が広がっている。
いつの間にか靴は普通の形に変わっていた。




