妖精のおばちゃん
家に着くと、まだ誰も帰宅していないようで、室内は真っ暗だった。
キャスは自分の部屋に戻り、服を脱いで寝間着に着替えた。
鏡を見ると、顔に化粧が残っている。
肩まである金髪に縁どられた顔は、まさにお姫様。化粧をしているから、いつもより少し大人びて見える。青い目がうさんくさげに自分を見ている。
「馬車やドレスは消えたのに、化粧は残るのか?」
さっき隊長と出くわした時、顔を隠していてよかった。そして、このまま街に行かなくてよかった。
この顔を、どう言い訳したらいいかわからない。
そしてエプロンのポケットからガラスの靴を取り出し眺めた。
「ガラスの靴も残ったな。これは魔法じゃないのかな」
そう言った途端に、ほの明るい光の玉が現れた。その中心に一人の女性が立っている。
茶色の髪を後ろでひっつめた中年の女性だ。
「どうだったキャスリー、お城のパーティーは楽しめた?」
そう言いながら寄ってくる。それと共に光が薄まっていく。
「やあ、おばちゃん。さすがに王宮の料理はうまかったよ。なんだかわからない、手の込んだ料理がいっぱいあった。片端から食べてみたよ」
「そう、よかったね。あんたの作るスープも絶品だけど、材料の質と手間が違うからね」
キャスは片方だけになったガラスの靴を、女性の方に差し出した。
「帰るとき衛兵に追われて、片方落としたんだ。これは消えなかったけど、なんで? もしかして、おばちゃんの私物?」
女性は、「おばちゃんじゃなくて、フェアリー・ゴッド・マザー」
そう言いながらガラスの靴を受け取った。
「これは十二時で消えるのとは、別の魔法で作ったのよ。動き易さ重視で精魂込めたんだからね」
キャスは思い出して笑った。
「そう言えば、走りやすかったよ」
マザーは少し首を傾げた。
「ところで、なぜ衛兵に追われたの? 何かやらかした?」
キャスは嫌そうに眉をひそめた。
「王子に絡まれたんだ。あいつ、しつこい男だな」
「ええ! 女装していたのに、なぜ? 何があったの?」
うーん、とキャスが考える。
「王子にダンスに誘われたんだ。そのあと少し庭を散歩した。そろそろ帰ろうと思って挨拶したら引き止められて、振り切ろうとしたら衛兵まで呼ぶんだぜ」
「あーあー、そうか」
マザーは何か納得したように頷いている。
「気に入られたのね。キャスは美少女だもの」
「気色悪い!」
マザーはキャスの金色の髪を一房手に取り、水色の瞳を覗き込んだ。
「こうやって簡素な身なりをしていても、あんたは極上の美人だわ。お姫様仕様で装った姿は天上の女神」
キャスが頭を後ろに引いた。
「面白がって着飾らせたくせに」
「あんたが『お城のパーティーに潜り込みたい』って言ったんじゃない。それに飾りがいがあるからね」
「給仕係とかでよかったのに」
「料理を食べたいって言ったの誰? 給仕係は運ぶだけ。食べるのは客よ」
キャスは唇を突きだした。
「で、魔法が解ける前に、王宮から戻れたのね?」
「ああ、バッチリ」
「じゃあ、よかった。ガラスの靴は記念にあげるわよ。花瓶にでもしなさい」
マザーがいきなり消え、辺りが静かになった。
キャスは手にしていたガラスの靴を、サイドテーブルの上に置いた。
それからベッドに潜り込むと、今夜食べた物を思い返した。
鱒で何かを巻いて、黄色っぽいソースを掛けたのは美味かった。
それから塩豚と豆の煮物。あれは自分でも作れるかも。今度挑戦しよう。
ムース料理は無理だ。手間がかかりすぎる。
思い出す内に眠ってしまったようだ。
目覚めると既に日差しがたっぷりと室内に差し込んでいる。
窓枠に小鳥が数匹止まっていたので、キャスは何時ものように、果物や野菜のクズを置いてあげた。
それからタライに汲んである水で顔を洗い、階下に降りた。
義母も義姉たちも、まだ寝ているようで物音一つしない。
昨夜は何時まで夜会に残っていたのだろう。
この時間に寝ているのはいつものことだけど、今日は起きてくるのが昼になりそうだ。
キャスはすぐにバケツを持って、水を汲みに出た。
井戸の水を三回運び、厨房の桶を満たす。
それから母と姉たちの洗面用の水を用意し、その後もう一回水を汲んで、掃除を始めた。
これは毎日のキャスの仕事だ。
貧乏な男爵家で、使用人は雇えないので、何でも自分たちでやらなければならない。
自分たちでというより、いつの間にか全部キャスがやることになっていた。
……おかしいとは思うが、そうなるべくしてなったというか……
三年前に、キャスが十二歳の時に父が亡くなり、財産のかなりの部分が一緒に失われた。
その日、義母は言った。
「皆で力を合わせて頑張りましょうね。キャス、あなたは我が家で一人きりの男の子よ。頼りにしているわ」
キャスは頑張った。水汲みは力が必要だからと買って出た。
そして、ある時ふと気付けば、ほぼ全部の家事がキャスの仕事になっていたのだ。
初めは文句を言ったが、しばらくして諦めた。
義姉たちが作った料理は、食べられた物ではなかった。
それに、皿をこれ以上は欠けさせたくない。
義母が掃除をすると、途中で止まって一日経っても終わらない。
結局残りはキャスがやることになる。
水汲みだって、散々愚痴を聞くのを我慢するより、自分でやったほうが早いし気持ちがいい。
つまりキャスは、向かないしやる気もない人を教育するのが、一番大変だと悟ったのだった。
今では、料理はキャスにとって趣味の一つであり、少ない予算でどこまで味を上げられるかの挑戦でもある。
今では、だ。
この境地に至るまでには、ぐれた時期もあった。
しかしぐれようが拗ねようが、毎日の家事はそこにある。
ぐれつつ、拗ねつつ、キャスはそれをこなしていた。
そんな時期に妖精のおばちゃん、もとい、フェアリー・ゴッド・マザーと出会った。
気のいいおばちゃんで、世間話や愚痴の言い合いをするうちに意気投合し、たまに昨夜のように手助けをしてくれたりする。
「お城の料理って美味いんだろうな。食べてみたいな」と言ったキャスに、「行っておいでなさいよ」とおばちゃんが笑った。
そしてお姫様に変身させてくれたのだ。
綺麗なドレスに馬車に従者。それがあっという間に整った。
そういえば、メイクアップはおばちゃんがしてくれたのだった。
最後にガラスの靴。
「そんなもの履いて歩けるもんか」と顔をしかめたキャスに、「履いてご覧なさいよ。これはあんたに合わせた特注品よ」と答えた。
履いてみると、ガラスなのに柔らかく足にフィットして、歩きやすかった。
昨夜走った時も、全く支障がなかった。おばちゃんの魔法、凄いな。
キャスは昨夜の逃走劇を思い出し、口元をほころばせた。
雑巾をギュッと絞る。
それでテーブルを拭きながら、隊長たちはどこまで探しに行ったのかなと想像した。
今日は2話投稿しています。




