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始まりは最初で最後の晩餐  作者: 月森 梟
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 第二王子にも当然、政務はある。

 父である王が現役で、兄である第一王子が第一線で政務をこなしているので回ってくる仕事の量は知れている。

その上、いずれ公爵になるのでユリウスが王族として果たす役割はそう多くはないが、ユリウスは兄と同じ教育を受けて育ってきたため、権限は限られるが諜報や調査局員を動かす力がある。


 普段、穏やかな空気が流れている執務室はいま、息をすることすら躊躇われるような張りつめた空気に満ちていた。

 誰もが無意識に姿勢を正すなか。淀みない調査員の声と、ぺらり、ぺらりと紙を捲る音だけがやけに大きく響いている。


「……以上がヴァロワ伯爵家の内部調査報告となります。横領及び収賄に関わっていると思われる執事の尋問をまとめたものは明日以降を予定しております」

「わかった」


 ユリウスは紙を繰りながら冷徹な声を返した。

 人間、怒りが突き抜けると無表情になる。

 その結果、透き通る、と称されることすらある美貌が引き立っているけれど。まるで触ることで祟られることを恐れるかのように誰もユリウスの顔に目を向けようとはしなかった。


 ユリウスは凪いだ眼を調査書に落とした。


 伯爵家の大きな金の流れは伯爵、後妻、妹リリアンヌの三人分。

 そこにヴィクトリアの名前はない。

 つまりヴィクトリアは令嬢としての最低限の服飾はおろか、食事すらまともに与えられていなかったことが推し量れる。


 初めて会った夜会に着ていたドレスは古びていたし誂えたとは思えないほど身体に合っていなかった。

あれは八年前に亡くなった母か、後妻のものか、年下なのにヴィクトリアよりも体格の良いリリアンヌのものだったのだろう。

 現にあの夜、ヴィクトリアは化粧すらしていなかった。

 きっと食事も使用人と同じか、それ以下のものを食べていたに違いない。

 彼女が学園に通えたのは首席で入学し、学費を免除されていたからにほかならない。


 提出された伯爵家の帳簿にはヴィクトリアの名前があったが偽造と綻びだらけであることは明らかで。王家の管財人が伯爵家の帳簿を見た途端、鼻で笑って絨毯の上に投げ捨てたほどだった。


 ユリウスはロベリアが四日前に泣きながら告げてきた言葉を思い出す。




『ヴィクトリア様は……ひどく痩せておられます。小食の範囲で説明がつく細さではございません。きっとまともな食事ができたのは学園でだけです。そしてご本人から、折檻による傷があることを殿下に伝えてほしい、と。それで婚約が白紙になっても侯爵家の養女になれなくとも構わない、と』


 ヴィクトリアの前では泣かないように努めていたのだろう。

 ロベリアを迎えに来たロスティーニ侯爵が取り乱してしまうほどの、身を折るような状態で絞り出された慟哭混じりの言葉が……ずっと、耳の奥で響いて、消えない。


『折檻の痕は……眼を背けたくなるほどのものでした。ヴィクトリア様はまだ十七歳なのに……きっと何年も何年も、毎日のように! 血が滲んで眠れない夜があっただろうとわかるほど……』


『私は、騎士爵の娘で、幼い頃から父や父の部下の怪我を看ることもありました。けれど……あんなに細くて小さな女の子の身体に、何年も……あんなひどいことができる人間がいるって、知りたくなかった……!』


『あんなことができる人間は一生改心なんてしません。どうか殿下……正しく、裁いてください』




「殿下?」


 思わず力が入っていたようだ。

 紙束が歪んでいたので、力を抜く。


「続けろ」


 先ほどにもまして冴え冴えとした声に調査員が姿勢を正す。


 ヴァロワ伯爵に関しては今回の一件がなくとも財政が破綻しかけていたので調査を行う予定だった。

 確実に黒だが優先すべき領地があったため、後回しにしていたから……ヴィクトリアが苦しむ時間が一日、一日と積み重なっていったのだ。


 すべては自分達の怠慢だ。

 彼女のような想いをする人間が出ないように……自分たちは努めなければいけない。


 ユリウスは冷徹な顔のまま、奥歯を噛みしめた。

 こんな決意を告げてもヴィクトリアはきっと戸惑ったように微笑むだけだろうけれど、そう決意せずにはいられなかった。




「続いて、学園の生徒達の証言をまとめたものです。ヴィクトリア嬢の元婚約者、ナサニエル・ワトマースに関する調書を含むものとなります」


 執務室に集った調査員や諜報員、腹心としてユリウスと長年の付き合いのある家臣は報告が進むにつれ、皆、一様に俯き、その顔色を窺おうとすらしなくなった。


 同じ年頃の男女が集う貴族社会の縮図のような閉鎖的な学園内で行われた数多の出来事は、陰惨という一言で片づけられるものではなかった。

 救いようがなかったのは、下級貴族出身の教師ですらヴィクトリアを貶めることに加担していたことだ。

 だからこそ、これまで学園内での異常が明るみに出なかったのだろう。


 極めつけは、元婚約者ナサニエルだ。


 ワトマース侯爵家は厳格な家だ。

次期当主である長男と事業を継ぐ予定だった次男は厳しく育てられたが、三男のナサニエルは違った。


公にされていないがナサニエルは当主が外で産ませ、貴族としての生活をと引き取られた子であるらしい。

 故に当主の正妻はナサニエルに厳しく接することが難しく、ナサニエルは増長していったそうだ。

 ヴァロワ伯爵家に婿入りさせることにしたのも当主の意向で、最も可愛がっている息子に苦労をさせたくない一心だったようだ。


 今回、迅速にナサニエルが勘当されたのは今回の件を受け、忍耐の限界を迎えた正妻と長男と次男が動いたせいだ。

 この短い間にワトマース侯爵は長男に爵位を譲ることとなった。


 ナサニエルのしでかしたことは下らない事ばかりだがヴィクトリアを追い詰めただろう。


 暴力、暴言、公の場での粗末な扱い。

 婚約者としての義務は何一つ果たしていなかったし結婚後伯爵になるという自負すら見受けられなかった。


 そして庶子であったことでリリアンヌと同調したのもヴィクトリアの状況を悪化させる。

 婚約を結んで間もない頃に既にヴィクトリアはないがしろにされていた。

 挙句の果てにナサニエルはリリアンヌと関係を持っていたことも報告されている。


 そんな行いをしておいてこの男はその妹と共にヴィクトリアの不義をでっちあげ。ヴィクトリアを責めて夜会で突き飛ばし、公衆の面前で面罵して、弁解する間すら与えずに婚約者の……令嬢の顔にワイングラスを投げつけたのか。


 つまらない男だ。

 だがヴィクトリアの心を削ぐのには一役買っただろう

 この、つまらない男が。




「意思だけで人が殺せるなら、今日だけで貴族名鑑を刷りなおさなければいけなくなっているな」


 水を打ったように静まり返った執務室の空気に漸く目を向けたユリウスは無表情のまま軽口を叩き。

 当然のように誰も笑わなかった。


「次は……ヴァロワ伯爵家、使用人達の証言をまとめたものになります」


 ヴィクトリアに関わる報告はまだ続き、そして明日も新たな事実が語られるだろう。



 

「ヴィクトリア……」


 一日分の証言をすべて聞き終えた後、執務室にひとりになったユリウスは呻いた。


「何故君は、あんなふうに笑えたんだ、冗談を言えたんだ……ただ少し、人生を諦めただけで」


 一つ飲み下すのも苦しい怒りを飲み下し続けた末に残った感情は、義憤や同情ではなく感嘆だった。

 当然、飲み下し続けた怒りは腹か胸の奥で煮詰められたまま燃えているし、彼女に対する数多の感情も、確かにある。


 最後に残ったのが彼女への尊敬であることが……自分の想いの確たる芯であることを理解したユリウスは、ヴィクトリアへの想いがもう取り返しのつかないほどに育っていることを実感した。


 初めて彼女を論文の中で知った日も。初めて彼女と会った夜も……こんな気持ちになることは予想もできなかった。


 自分は王族として生まれ、王族として育った。

 王になることはないけれど自分の感情や価値観を揺るがす出会いに心乱されることなど……要は、恋をすることなんてないと思い込んでいた。


 ああ。そうだ。

 自分はヴィクトリアに恋をしている。

 もうどうしようもないほど、ヴィクトリアの人生に最後まで付き合いたいと心底願うほどに。 


 ユリウスは息を長く吐き出した。


 今日の執務は終わった。

 これからヴィクトリアと食事会の前に顔を合わせる予定なのだ。

 ヴィクトリアはまだ、恋をする余裕がないのだから、人生で最も強い怒りと膨れ上がった想いをうっかり見せてしまっては彼女を戸惑わせてしまうだろう。


 ユリウスは確かめるように微笑む。

 男性に使うには不適かもしれないがそう表現するしかない、花が綻ぶような笑みだった。


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