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「……コルセットを切ってまで食事をしている理由を訊いても?」
使用人から聞いて来たのだろう。
いちいち様になる仕草で隣に腰を落ち着けたユリウスは首を傾げて訊いてくる。
何故そんなことを気にするのだろう、と思いながらも、ヴィクトリアは蒸かした芋とからりとフライされたチキンをフォークで刺した。
この国の不敬罪は重いことは重々承知だ、むしろもう腹八分目は食べたので、望むところだと思った。
「今宵の主役にお話しするようなものではございません」
「そうか……ふふ、良い食べっぷりだ。君のような令嬢は初めて見る」
「まぁそうでしょうね」
冴えます美貌で名高い第二王子の前で平然と食事をする無作法な女などいないだろう。
「口の端、ソースがついているぞ?」
「既にワインまみれなので変わりませんわ」
そんなことを言うと手を伸ばされるので。ヴィクトリアはテーブルの上に置いてあるナプキンで雑に鼻から下を拭った。
「ははっ驚いたな。化粧は良いのか」
「残念ながら化粧は与えられておりませんの」
「なるほど……面白い。君、俺と結婚しないか」
投げられた言葉があまりにも唐突だったのでヴィクトリアは笑った。
「良いですね、いま巷で流行っている恋愛劇みたいな唐突な展開ですね。でも早まってはいけません、殿下の責任は重く、人生は長いのですから」
事情は知らないが第二王子も捨て鉢になっているのだろうか。
そう思いながらヴィクトリアは唐突な『求婚』を冗談扱いして笑った。
この国の第一王子と第二王子は年齢が十五離れている。
故に第二王子は継承権を持っているけれど結婚相手が決まり次第、王都近辺の領地で公爵になることが決まっている。
第二王子の婚約が白紙になったのも、恐らく第一王子に双子の王孫が生まれたことが遠因だ。
第二王子にもいろいろと事情があるのだろう。
「返事は?」
まるで先ほどの言葉が聞こえていなかったかのように促されて。ヴィクトリアはまじまじと第二王子の顔を見た。
「ヴァロワの益になるようなことはしたくないのでお断りします」
にっこり笑って告げると流石に驚くかと思ったけれど第二王子は笑った。
「嬉しいよ。場合によっては多少強引な手段も考えていたから」
「私の返事には殿下がお喜びになる部分はなにひとつなかったように思いますが」
てっきり聞き間違えたかと思ったけれど、聞き間違えてはいないようだ。
熱い手に手を握られて。ヴィクトリアは初めて淡い恐怖を覚えた。
これではノーランド伯爵令息を笑えない。
「俺が嫌なわけではないということだろう。つまり君がヴァロワ伯爵令嬢でなくなれば、娶ってもいいということだ」
悪い噂が付きまとう、傾きかけた伯爵家の令嬢。
それも不貞を理由に公衆の面前で婚約破棄されたばかりの自分に声を掛けてくる理由はなんだろう。
家の取り潰しが目的なら今しがたの発言は出ない。
不自然な婚約を結ぶことで炙りだしたい相手でもいるのか、それとも元婚約者への当てつけか。
考えられる理由はそんなものだが、しっくりこなくてヴィクトリアは小首を傾げた。
考えても仕方のないことだ。
もう今後の自分の人生がどうなろうと構わないと思っていた。
それなのにいざ、予想外の状況に放り込まれると色々と考えてしまう。
「戸惑っているな。そうしていると年相応で愛らしい」
「はい……戸惑っておりますわ。そうおっしゃる殿下は随分と大人びていらっしゃる」
大人の余裕を滲ませる第二王子だが、年齢は自分より二歳上なだけだ。
歩んできた人生がそうさせるのだろう、彼は随分と大人に見える。
だが、こうも予想のつかない言動を鑑みるに、言葉を交わす印象よりも内面は若いのかもしれない。
「数多の令嬢と会ってきたが、君が一番面白い」
「『面白い』で人生の重要な岐路を決めるのはいかがなものかと思いますわ」
そう言いながらも自分も人のことをとやかく言えないとヴィクトリアは密かに思った。
自分はもうどうにでもなれという気分で自由を謳歌しようとしたが、第二王子はどういう心理状態で自分に惹かれたのだろう。
考えても仕方のないことを考えそうになりながら。ヴィクトリアは第二王子を見つめ返した。
「当然、それだけではない。学園が揉み消した君の論文を恩師の伝手で読んだから君のことは君と会う前から知っていた」
「あれを……?」
「そう。俺からしてみれば変わりゆく時代を捉えた良作だった。よくぞ、国からはおろか、学園に通うまでほぼ領地から出なかった令嬢が書き上げたものだ」
国王譲りの滑らかな黒い髪に、王妃に瓜二つという整った美貌が綻ぶ。
「さぞ自らの領地の為に学んだのだろう。婿を取る伯爵令嬢でなければ、と俺は……」
あっと思う前に手を握ったユリウスが更に何か、言い掛けた時……
「お姉様! 探しましたのよ、まぁまぁ! こんな休憩室に男性とふたりきりでいらっしゃったの!?」
その思考を遮るように金切り声が響いて。ヴィクトリアは顔を顰めながらも白身魚のカルパッチョを口に含んだ。
部屋の隅に立っている赤毛のメイドも眉を顰めるのが見える。
妹がしたいのは不貞を働いた姉の名誉に更に泥を塗る、噂話の補強だ。
城中に響きかねない声量に第二王子が冷え切った眼を向ける。
こんな状況なのに、まるでその横顔が水晶を切り出したように硬質に見えて。ヴィクトリアは今更のように第二王子の『美貌』を実感した。
「失せろ。ロベリア。そいつとその婚約者とやらは後で絞ってやろうと思う。捕らえて『貴賓室』に通しておけ」
「かしこまりました」
第二王子は簡潔に命じ。部屋の隅に立っていたメイドは微笑んで妹に歩み寄る。
十中八九、ただのメイドではなかったのだ、と思いながらヴィクトリアはその背中を見つめ。恐らく第二王子のいう『貴賓室』は本来の意味の『貴賓室』ではないのだろうなとこっそり思った。
ということは自分への『求婚』も何か別の意味があったのだろうかと考えてしまうが……誤解しようがない。
「ちょっと! 離しなさいよ、使用人の分際で! 私はリリアンヌ! 古きヴァロワ伯爵家の血を引く、将来の伯爵夫人よ!」
その台詞にヴィクトリアは頭を抱えたくなった。
妹は困窮している伯爵家の現状も問題だらけの領地の状態もなにひとつ理解していない。
そもそも王城でメイドができるのは父の爵位が伯爵位以上の令嬢だ。
中には上位貴族に嫁ぐための行儀見習いとして王族の傍に仕えさせる場合もあるというのに。その辺りの一般常識すら継母は教育していないのだろうか。
普段、茶会や夜会に参加することもなかったので妹にどれほど教養がないか知らなかったのが災い……いいや、逆に考えると幸いした。
この国の不敬罪は重いのだ。
「お黙りなさい」
流石に打ち首はないだろうがいまの伯爵家は何らかの罰則を加えられるだけで立ち行かなくなる。
直接的な罰則もまずいが、評判が悪化するといま行われている取引や事業が停止するだけで危機的なほどに財政がギリギリなのだ。
まぁいっそ、領地を割譲されて国が管理する領地が増えた方が幸せな領民は増えそうだが……それは別として、だ。
同時に外ならぬ自分が先刻まで第二王子に不敬の限りを尽くしていたのだが。それも都合よく忘れることにする。
「はぁ!? 黙れですって! お母様に言いつけて……ッあ、あなたは……第二王子!?」
きんきんと刺々しかった妹の声が一変する。
ずっとヴィクトリアがノーランド伯爵令息と一緒に居ると思い込んでいたのだろう。
考えてみればノーランド伯爵令息は茶髪で第二王子は黒髪だ。
まさか目に入らなかったのだろうか。
ひやひやしながらも白身魚で皿をきれいにしていると急に妹はぶわりと涙を溢れさせた。
「ち、違うのです、ユリウス殿下! お姉様が連れ込んだのは違う男だったので!」
いや、何が違うというのだろう。
そして聞き間違えであってほしいけれど妹は今、第二王子の名前を呼んだ。
「ほう……ヴィクトリアが『連れ込んだ』……ヴィクトリアに声を掛けたのはノーランド伯爵令息だったように見えたが、俺の認識した事実と違うな。学園での事もその程度の認識でいたのか?」
ヴィクトリアは息を深く吐いた。
「おやめなさい、リリアンヌ」
八歳まで妹は領地で庶子として育った。
それは言い訳にならないけれど、いまの自分のようにどうにでもなればいいという精神でなければ、最低限の礼儀を身につけなければ貴族と認められない。
ましてや姉の婚約者を奪って伯爵夫人となるのなら、領地の状況や礼儀作法は把握して然るべきだ。
継母が、リリアンヌは有力貴族の顔と名前をすぐに憶えたと言っていたけれど……それは正しく言えば『顔がよくて若い、有力貴族の顔と名前』だったのだろう。
「ユリウス様! 違うのです、お助けください、このままおうちに帰ったら私は姉に虐げられてしまいます! いつもこうなのです、学園で侯爵家の子息を誑かして不貞を働いたばかりか、姉はナサニエル様に選ばれた私を妬んで……毎日……」
第二王子は話す価値もないと言わんばかりにメイドのロベリアに向かって顔を顰めてみせる。
察したロベリアが一礼し、とうとう妹の傍に立つと腕を掴んで引きずっていく。
「安心するが良い。お前と婚約者とやらは家にしばらく帰ることができないし。ヴィクトリアは外ならぬ俺が婚約者として保護する」
微笑んだ第二王子は軽い口調でそう告げた。
「何故……! こんなのおかしい! 間違っています! 私の方が可愛いのに! 化粧もしていないドレスもひどい、表情も陰気で口うるさい、こんな姉のどこが良いのですか! ユリウス様は姉に騙されています!」
呆然とした後、妹は化粧が涙で落ちるのも構わず喚き始め。
「俺に不敬を働いた以上、王室付の監査官が君達を尋問したり、学園での調査を行うだろうから……後悔をなるべくしたくないのなら正直に証言することだ」
その様を冷めた眼で一瞥した後、第二王子は笑みを深めた。
無機質な笑みを向けられた妹は本能的な恐怖からかひゅっと喉を鳴らして口を噤み。とうとうロベリアに連れて行かれた。
「俺は君達の尋問が『尋問』で済むように祈っておくよ」
心にもないことを言っていることが伝わってくる声と口調に、ヴィクトリアは黙り込んだまま水差しからグラスに水を注ぐと一気に飲み干した。




