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社交期というものはこうも忙しいものだったのか、というのがフォンリーゼ侯爵令嬢としての偽らざる感想だ。
ヴァロワ伯爵家に居た頃は自前のドレスがなかったため社交は必要最低限だったし、わざわざ妹をいじめているという問題のある令嬢を呼ぶ貴族など居なかった。
参加したとしても、妹と婚約者によって、いろいろな嫌がらせと根も葉もない噂話の標的になったのでなにひとつ良い思い出がない。
思えば、高位貴族主催の茶会や夜会に参加したことがなかった。
あの、婚約破棄された夜の城での夜会がイレギュラーだったのだ。
いま思えば自分の評判のせいもあったのだろうが、社交が大好きな継母や妹も今の自分ほど招待を受けていなかったので、そもそもヴァロワ伯爵家が『評判の悪い家』だったことがわかる。
「社交って大変なんですねぇ……」
偶然茶会で会ったロベリアはヴィクトリアにこっそりとそう零した。
ロベリアは社交期が始まるとヴィクトリアの侍女ではなくなった。
ロスティーニ侯爵の婚約者としての顔見せや結婚式の用意が本格的に始まったためだ。
いつか必ず来ることがわかっていたけれど、ヴィクトリアはロベリアとの別れが寂しかったし、ロベリアもフォンリーゼ侯爵家の家を出る時は……侯爵はともかく夫人すらもらい泣きをして涙ぐむほどだった。
騎士爵の娘で社交らしい社交をしたことがなかったせいもあるだろう。
最初の頃は予定を合わせて何度か同じ夜会や茶会に参加したものだ。
とはいえロベリアは炎を思わせる赤毛に豊満な身体をしていてどんなドレスを纏っていても華やかだったし。貴族らしからぬ素直で可愛い性格が誰からも愛された。
そしてなによりロスティーニ侯爵の溺愛ぶりはかなり有名になっていて、ロベリアもまた社交を楽しめているようだ。
「私も実感しているところよ」
ヴィクトリアも微苦笑を滲ませてそう返した。
社交をこなすうち、いろいろな噂を耳にする機会が増えた。
昨年の自分達の一件で調査局の手により、学園の生徒も何人か裁かれ、廃嫡されたり婚約解消されたり、修道院に送られたりしたらしい。
『純潔を失っているかもしれないのに、まんまとフォンリーゼ侯爵家の養女となり第二王子と婚約した』などという刺々しい噂を全く聞かなかったわけではない。
けれど、思ったよりもそんな声は少なかったし、むしろもっと反対や牽制をされるかと思っていたので、正直なところ肩透かしだった。
そうなっているのも恐らく、メアリ姫をはじめとする王族の女性たちが自分を歓迎してくれたことや、フォンリーゼ侯爵が方々で『娘自慢』をすることが大きいと感じる。
つくづく自分は幸せ者だと思いながら、まるで豪奢な紅い花束のようなロベリアと白い花束のようなヴィクトリアは並び立って茶会を純粋に楽しんだ。
「緊張しているようだな」
「そりゃ緊張していますよ」
今宵は社交期が始まってしばらく経った夏が深まる前の、王家主催の夜会。
毎年社交期の始めと終わりに二度、開催される王家主催の夜会にはほとんどすべての貴族が参加する。
下級貴族が王に謁見できる数少ない機会で。ヴィクトリアも参加したこと自体はあるが、ここ三年はナサニエルが妹と参加していたため、不参加だった。
これまでの茶会や夜会でもユリウスと共に参加し、ユリウスは当然のように婚約者だと周りに紹介していたけれど。
今夜、ヴィクトリアは第二王子の婚約者として正式に国王から宣言される。
ロベリアの行儀見習いが終わってもヴィクトリアの傍に居てくれるハンナと侯爵家の侍女であるアンが今宵もヴィクトリアを完璧に整えてくれている。
今日の装いは純白の艶やかな生地に金糸で精緻な刺繍があしらわれた豪奢なドレスで。
黒地に金糸の刺繍があしらわれた上着を纏うユリウスと並び立つととてもうつくしい一対のように見える……あまり意識していると恥ずかしくなってくる装いだ。
遠目から見れば黄色いドレスに見えなくもない今の姿は奇しくも一年前を想起させるもので。感慨深い気持ちになったヴィクトリアは傍らに立つユリウスに感謝と決意を込めて微笑みかけた。
「ヴィクトリア。自信をもってくれ……俺は君と出会う前から、ずっと執務に理解のある妻を娶りたいと思っていた。そう恩師に零したら君の論文を見せられた。俺は感嘆したよ……そして同時に絶望した。君が婿を取る伯爵家の令嬢だったからだ」
ユリウスも今日を迎えられたことが感慨深いのだろう。
唐突な吐露に、ヴィクトリアは目を瞠った。
「……だから君にとっては不名誉かつ苦しいことだとわかっていても、あの夜の婚約破棄は俺にとっては福音だったから、君に近づいたんだ」
一年越しに初めて知る真相にヴィクトリアは笑みを深めた。
たった一年、されど一年。
けれど自分はこの一年でこんなにも変わって、数多の出会いに恵まれて、恋まで知って幸せになった。
「あの夜、俺は君の傍に居たかった。君がワトマース侯爵の息子にワインを掛けられる前に庇って被りたかったし君を大広間から連れ出す役割は俺が果たしたかった」
ノーランド伯爵の息子のことを今更のように思い出す。
思えば彼には悪いことをした。
風の噂で、彼が真面目に家業に打ち込み始め、伯爵家の次女に見初められて今年結婚すると聞いたことを思い出す。
「今後は俺がすべての役割を果たすよ。誰より傍で君に寄り添って守ると誓う」
手を握ってくれるユリウスは真剣な顔をしていて。ヴィクトリアは静かな表情で最高礼をする。
しろいドレスの裾が漣のように広がって、止まる。
控室のシャンデリアに煌めく金糸は、むしろヴィクトリアの艶めく髪を引き立てる。
どこか芝居がかった、この光景を誰にも見られていないことにヴィクトリアは密かに安堵した。
姿勢を戻したヴィクトリアはユリウスに微笑みかけ。無言の返事を返されたユリウスはそっとヴィクトリアの手を取り、その手の甲にくちづける。
優しいぬくもりに絆されるように一粒だけ、ヴィクトリアの目から涙が溢れて頬を伝った。
名を呼ばれ、大広間に入る時。ヴィクトリアは微笑んでいた。
心の底からいま、ユリウスの隣に立てることが誇らしいと思っていた。
大広間に入るや否や、四方八方から視線の糸が体に絡みついてくるようだが、それも気にならない。
体に染みついた動きでカーテシーをすると一気に空気が変わった。
集う貴族の中にロスティーニ侯爵にエスコートされているロベリアを見つけて微笑み、このドレス姿を見たことがあるはずなのに涙ぐんでいるフォンリーゼ侯爵と淡々と、けれど微笑んで侯爵の涙を拭う夫人を見て密かに笑いをこらえる。
それでも聞こえてくる声はあるけれど驚くほど心が落ち着いていた。
噂は噂であって。純然たる真実は自分の中にある。
恵まれていることを羞じるよりも信じてくれる人に応えたい。
そう考えて胸を張ると苛立たしげな眼をしていたユリウスの眼差しも緩む。
歩を進める度、正装した人々が見えては隠れる。
その中にロスティーニ侯爵によく似た青年の顔が見えてヴィクトリアは目を留め。
その隣で呆然とこちらを見つめる、明らかに精一杯の正装をしてきたと思われる若い男と、此方を食い入るように見て憤怒の表情を浮かべているみすぼらしい女を見て思わず目を瞬いたけれど。
まじまじと見つめる前に、こちらに見惚れたせいだろう、気の強そうな、けれど可愛らしい令嬢に肘を入れられているノーランド伯爵令息に気づいた。
思わずちいさく笑うとユリウスが少し不機嫌そうに視界を遮ってくるのでまさか彼に嫉妬したのだろうか、と可笑しくなる。
「あの人には感謝しているんですよ」
ちいさな声でユリウスに声を掛けたけれどユリウスはわかりやすく不服そうな眼を向けてくる。
「思ったより善良な人でしたし」
「ヴィクトリア。俺は世界一君に優しい男だぞ」
「ふふっそうですね。間違いないです」
そんなやりとりをしながら歩いているととうとう大広間の貴賓席に辿り着いた。
玉座には王が座っていて列を成す貴族と謁見を行っており。王妃もまた同盟国の使者と言葉を交わしている。
「こんばんは、ユリウス、ヴィクトリア」
ちょうど休憩していたらしい第一王子がグラスを掲げて挨拶をしてくるのでヴィクトリアはカーテシーを返した。
「本当に素晴らしい出会いに恵まれたね、ユリウス。こんな状況なんだけどひとつわかったことがあって君に伝えておくよ」
第一王子がそういうのでヴィクトリアは少しその場を離れようとしたけれど。ユリウスはヴィクトリアの腕をさりげなく掴んで引き留めた。
「君に知られて困ることはないから離れなくていい。なんですか、兄上」
「……ベアトリス嬢の行方がわかったらしい」
珍しく第一王子は言いよどんだ後、ちらりとヴィクトリアを見てから小声で告げ。ヴィクトリアはその反応で、ベアトリス嬢というのがユリウスの元婚約者の名前であることを思い出した。
ベアトリスはベルム侯爵家の令嬢だ。
ユリウスとは二年前に家の都合で婚約解消したことは知っていたけれど。行方がわかったというのは穏便ではない。
記憶と印象が正しければベルム侯爵は野心的な男で、ふたり居る娘のうちの一人、ベアトリスの姉は同盟国に嫁いだことは記憶に新しい。
ユリウスは元婚約者について語ることはなかったし王族への紹介もまだしていなかったようなので特に気にしていなかった。
ベアトリスも社交を好まない令嬢だったらしく。
現ユリウスの婚約者という立場になっても、噂はおろか、陰口ですら彼女の名前を聞くことはなかった。
思い耽っていたヴィクトリアはユリウスと目が合うと微笑んだ。
ユリウスは気遣ってくれたようだが、自分でも驚くほど動じていなかった。
「何を思ったか、家を飛び出して行方知れずになっていたんだが……俺の諜報がベアトリス嬢が、リーゼの国立農工技術研究機関の末端の研究所で働いていると伝えてきたんだ」
「……リーゼ」
何も聞いていないふりをしようと思っていたのに、第一王子の言葉にヴィクトリアは思わず呟いた。
ヴィクトリアは国立農工技術研究機関にも機関に関わる数多の研究所にも何度も足を運んだが研究所で働く同世代の女性を見た記憶はなかった。
「楽しそうに働いていたそうだ。聞き込みはできなかったが、技師になりたいようだ。ベルム侯爵は見当違いな場所を探しているからきっと、もう彼女が見つかることはないだろう」
「それはなにより」
ユリウスは頷いてヴィクトリアに微笑みかける。
「ヴィクトリア。念のため言っておくが、彼女とは何もなかったし、彼女は俺と結婚する気がなかった。侯爵家を出で支配的な父から逃げるためだけに、適齢期に俺と婚約をして学園卒業と同時に家出したんだ」
「おいおいユリウス、初耳だぞ」
「そういえば言っておりませんでした」
不要なのに弁解してくれるユリウスをヴィクトリアは眩しそうに見つめた。
きっとユリウスはベアトリスのこともそうやって救ったのだ。
「安心しました。私とは結婚してくださるおつもりなのですね」
くすくす笑ってそう告げると冗談が通じなかったのか、腕が腰に回る。
「君が逃げた場合は地の果てまで追いかけるからな」
「ふふ、冗談に聞こえませんよ、ユリウス様」
「本気だからな」
「わかっていますよ」
癖になってしまったそんなやりとりを小声で交わしてから目を上げるとにまにまとした第一王子の笑みとかちあって。ヴィクトリアは気を緩めすぎたと思って目を伏せた。
頬どころか耳まで熱い、と思いながら久しぶりに感じる純粋な羞恥を持て余す顔すら、ユリウスが堪能するように見つめてくるので。こちらに気づいて手を振るメアリ姫に近寄るふりをしてユリウスから離れた。
宴も酣となった頃。
大臣が手を叩くと大広間はしんと静まり返り、国王が玉座から立ち上がる。
「皆。今宵はよく集まってくれた。同盟国の使者の皆も夜会を楽しまれているだろうか」
国王の声は朗々と響き、返事の代わりに万雷の拍手が返される。
「さて。皆の話を中断させてもらったのは外でもない。王族の婚姻に関わることをこの場を借りて皆に報告する」
その言葉にひたりと水を打ったように大広間が静まった。
ヴィクトリアは圧されるような数多の視線を感じながらもユリウスの隣で微笑みを保ったまま王の言葉を待った。
「まず。メアリは隣国ヴェルシャールの第一王子と婚約し、来年王子妃として輿入れする」
皆予想していなかったのだろう。
ざわめきと囁きが波のように押し寄せてくる。
「そして次にユリウスはフォンリーゼ侯爵家令嬢ヴィクトリアと婚約し、この夏に婚姻を結び、グレイス領領主フォングレイス公爵となる」
そのざわめきが治まったところで王が告げ。先ほどよりも大きなざわめきが大広間を覆った。
恐らく第二王子の婚約及び婚姻は予想通りだったのだろう。
だが受け継ぐ領土が予想外だったに違いない。
悪名高きグレイス領の名が王から告げられた途端、大広間はどよめき、なかなか落ち着かなかった。
「そして我はあと五年ほどで第一王子に王位を禅譲しようと思う。我が父は南の地で暮らしたが、王妃は西の水路の街、リーゼで暮らしたいらしい。我こそはと思う風光明媚な街を持つ者は書記官に伝えてくれたまえ」
ざわめきが治まらないうちに王はあっさりとそう告げていつもの威厳たっぷりの様子はどこへやら微笑み。その様を見て第一王子が頭を抱え、そんな第一王子を見たユリウスが珍しく声を上げて笑った。
そしてそんなユリウスを見てヴィクトリアは微笑んだ。
まだ何も始まっていないけれどこの先何があっても大丈夫だと思った。
【終】
ここまでお付き合いいただき、誠にありがとうございました!
なんとなくここで終わると美しいと感じたのでこれにて本編は終わりです。
番外編として妹夫婦の物語を1万字、主人公夫婦の結婚式の物語を明日以降に投稿いたしますのでお付き合いいただけると幸いです。
今後も心赴くままに書いていきます。




