幕間
社交期が終わると毎年、リリアンヌは憂鬱になる。
華やかで楽しい王都での生活が自分には合っていると思っているし、領地での生活は何もしなくていいけれど退屈だったせいだ。
二年前に姉と共に学園に入学してからは社交期以外もずっと王都に居られて嬉しかったけれど。今年からはもう自分はヴァロワ伯爵夫人となったのだから次の社交期に華々しいドレスを着て楽しむために一度領地に戻って領民に仕事を命じなければいけない。
姉に嵌められたせいで自分と、いつの間にか夫になったナサニエルは城に軟禁された。
屈辱だった。
けれど、城は王都のマナーハウスよりも質素だけど質の良い家具が置いてあったし。着飾ることはできなかったけれど有能そうな侍女が二人いた。
見込みがあると思ったので伯爵家で働かないかと声を掛けたら畏れ多かったのか断られてしまったけれど、気品あふれる自分に仕えるのは女として惨めな気分になるのだろうから断ったのだろう、とちょっといい気分になれた。
軟禁されている間、調査員と名乗る男が何度か尋問をしに来た。
色々なことを訊かれたけれど特に多く訊かれたのは姉のことだったので、嬉々として姉に如何にいじめられたか、口うるさく攻め立てられたかを語ったけれど。調査員は冷徹な目をこちらに向けるばかりだったので、数日ほど経ったころには、姉を如何に鬱陶しいと思っているかを語るだけになった。
家の内情について知らなかったのでわからなかったのだけれど、姉が余計なことをしたせいで父の仕事のミスが明らかになってしまったらしく。
父は伯爵をやめてヴァロワの領地の中でも行くのを躊躇うような僻地で暮らすことになったらしい。
一度だけ引き合わされた母は怒り狂ってすべて姉のせいだと言っていたけれど。姉が取り入ったのはあの綺麗で格好いいユリウス様だ。
その命令が覆るはずはなかった。
ちゃんと食料を送るしほとぼりが冷めたら迎えを寄越すと言ったら母は自分を抱きしめて良い子だと言ってくれた。
そう、おしゃれで明るくて可愛い私は良い子。
いつも口うるさくて暗くて鬱陶しい姉は悪い子。
だから姉にはいつか天罰が下って、ユリウス様に城から追い出されるの。
そうしたら魔法がとけるみたいに私のことを思い出して……きゃっ
……なんて。リリアンヌが考えていられたのは軟禁が終わって、城を出るまでだった。
快適ではあったけれど慣れない生活だったので住み慣れたマナーハウスで休めるのだと思ったら城の馬車は街道をひた走り始めた。
同じ馬車に乗っていた、消沈した様子のナサニエルを問い詰めると『こいつは何を言っているんだ』という目で見られた後、嘲笑われた。
『俺達は終わった。お前の父親は裁かれるしお前の母親は恐らく……いいや、とにかく、俺は勘当されて、貧乏神みたいなお前と結婚させられた。これからは領地の為に働かなくてはいけない。監査官が十年……張り付いた状態で、だ』
ナサニエルが何を言っているのかよくわからないけれど、とにかく負の感情が伝わってきて、思わず掴みかかって髪を引っ張ると思い切り頬を張られた。
じんじんする痛みに涙が溢れる。
こんなにも可愛い自分が涙ぐんでいるのにナサニエルは姉に向けるような眼を自分に向けて顔をそむけてしまうので腹が立った。
『予定通りじゃない。あなたは伯爵で私は伯爵夫人よ!』
父母は遠い場所に居るけれどいずれ戻ってくるだろうし、姉は可愛くないのだ。そのうちユリウス様に飽きられて追い出される。
その時私たちが伯爵夫妻だったら、姉に帰る場所はない。
以前、やってやったように玄関前で突き飛ばして泥水の中に膝をつかせてやる。
そのくらいで屈辱は晴らせないけれど未来は長いのだ。
姉は屋敷の片端の小屋に住まわせて使用人の憂さ晴らしの標的にでもしてやればいい。
そうやって、何度も何度も仕返しをして溜飲を下げてやればいいのだ。
『本当にお前は馬鹿だな。何にもわかってない。予定通りじゃない。伯爵はお前の父親のままで俺は領主代行でしかない。そして俺は勘当されたから侯爵家の三男でもない……平民も同然だ。そしてお前は平民の妻だ』
そう思っていたから……乾いた笑いを零して嘲ってくるナサニエルに掴みかかった。
ナサニエルは抗う気力もなかったのか、されるがままだった。
結局見るに見かねた護衛に取り押さえられるまでリリアンヌは泣き叫び罵ってナサニエルを殴打し続けたけれど。ナサニエルの顔が歪に腫れて自分の拳が痛んだだけだった。
ヴァロワ伯爵領は王国の東に位置し、街道を十日間、ひたすら馬車で走る。
本当は領地から馬車で一昼夜走ったところで王都行きの船に乗ればかなり楽だけれど、父が船が嫌いというのでここ五年はずっと馬車で移動していた。
本当はお金が足りないからで、それもこれも領民が愚図だから、と母が零していたので。伯爵夫人になった自分はもっと厳しく領民を躾けなければいけないと思った。
そうすれば領民はもっとちゃんと働いて、自分たちは船を使って王都まで行くことができるようになるし、綺麗なドレスや宝石だってもっと買って、ヴァロワ伯爵家の権威を知らしめることができるだろう。
城の馬車は休まず走った。
夜に馬車の中で休む間も常に御者と騎士が居て。息苦しい気分を味わった。
許しがたかったのはや宿場町がある場所で休まずにずっと馬車の中で寝かされ、お菓子はおろか粗末な食べ物を一日二回しか与えられなかったことだ。
けれどいくら文句を言っても御者と騎士は此方を射るような眼を向けて来るばかりで。しまいにリリアンヌはナサニエルに止められることになった。
結婚してからわずか十日足らずでリリアンヌはナサニエルを嫌いになった。
両親と姉が居た頃はナサニエルが好きだったけれど、いまのナサニエルは姉以上に口うるさくて乱暴で、あれだけ王子様みたいで格好いいと思っていたはずの顔も、本物の王子様を見てしまうとぱっとしない微妙で残念な顔だと思うようになった。
とはいえ、結婚しているけれど外に恋人や愛人がいる貴族が珍しくないことをリリアンヌは知っていたので。来年の社交期になれば『伯爵夫人』としていい男をつまみ食いできると思って、我慢することにした。
あわよくば、姉に飽きたユリウス様に声を掛けられたりして……
なにせ自分は姉よりも可愛くて豊満で、同じ金の髪をしているのだ。
あの姉が婚約までいけたのだ。
もしかして略奪愛の末の結婚だって……
そうなったらナサニエルに価値はない。
速攻離縁して自分はユリウス様の妻になるのだ。
そんな、不自由な十日間を過ごし、ほどほどにいい気分で邸宅に着いたら……邸宅は妙に暗かった。
いつものように馬車の世話をしに来る馬丁が駆け寄ってこないのは寄ってくる馬丁が年老いた男になっているせいだと気づく。
新たな『伯爵夫妻』が帰還したというのになっていないと思ったので、あとで女官長に言って馬丁全員に罰を与えることにした。
こういうことは最初が肝心だ。
ナサニエルは力ない足取りでフラフラと馬車を降り、薄暗い邸宅に向かって歩き始めてしまう。
どうやら彼にエスコートするつもりはないようだ。
待っているのも馬鹿らしいのでリリアンヌは腹を立てながら馬車を降り、玄関扉を恭しく開く従僕が出てこない事に驚いた。
毎回、社交期から帰った時は馬車停めから玄関、そして玄関ホールまでお出迎えの使用人がいたというのに。玄関先で漸く動きがあったと思ったら祖父の代から仕えているという老執事がのそのそと現れて扉を開ける。
ちらりと扉の向こうに見えたのはナサニエルが連れてきた若い侍女だ。
若い侍女を見たナサニエルはだらしなく鼻の下を伸ばしていて。一方の若い侍女はナサニエルに微笑みかけた後、こちらを見下すように見てせせら笑うので。リリアンヌは大股で玄関に入り、侍女の頬を平手で打った。
それからは……憂鬱になることばかりだった。
頼りになった女官長もお気に入りの侍女も料理人も覚えきれないほどたくさんいた使用人も処罰されたり国からの追徴と伯爵家の借金をどうにかするために解雇せざるを得なかったという。
新たにリリアンヌ付きの侍女になった女は馬や牛の世話しかしたことのない、ただの田舎女だったし。かつては領地一番の腕前だった料理人を雇っていたのに、いまはスープくらいしか作れない料理女に変わった。
庭師はひとりもいなくなったので庭はあっという間に荒れ放題になり。馬丁は先ほど見た年老いた男一人きりだ。
それでもどうにかなるのは、いい馬は軒並み売られて二頭しか残っていないからに他ならない。
可愛く整えられた自室はがらんとしていて。溢れんばかりにあったオーダーメイドのドレスやお気に入りの宝石もすべてなくなっていた。
いまのヴァロワ家に泥棒が入ったとしても盗めるものはほとんどないだろうと思うほどに価値あるものはすべて国に持っていかれていた。
そんな……どれもこれも赦しがたい事ばかりだったけれど、なにより気に入らなかったのはナサニエルにすり寄ったあの侍女だ。
あの夜、リリアンヌに頬を打たれた侍女はあろうことかナサニエルにすり寄り、自分は『伯爵夫人』として当然の行いをしただけなのにナサニエルはリリアンヌを責めて、領地に戻って三日経ったのに寝室を共にしようともしない。
いつか、ナサニエルが居ない時に苛め抜いて追い出してやろうと思っていた矢先。城から監査官が派遣されてきた。
これからヴァロワ伯爵領を立て直すための召使いが漸く来たのだ。
これで大丈夫、あとは領民が頑張ってくれれば以前のような生活が送れる。
そう……思っていたのだが。
着替えもまともにできないまま、どこか薄汚れていく自分たちの前に現れた、かっちりとした制服と二人の部下を連れた若い男は、まるで彼こそが屋敷の主のような威厳を纏っていた。
「初めまして。王都での仕事が多く、遅れてしまいました。私はマイルズ・ロスティーニ。国の命を受けて派遣された監査官です」
丁寧な挨拶にナサニエルが怯えた眼をする隣で、柔和に微笑む彼の笑みに見惚れた自分は……ほんの数分後に彼の正体が悪魔に等しいことを知ることになる。
芽の出かけた芋ひとつのありがたみすらわかってしまう生活の、始まりだった。




