55話 お人好しと盃の契り
俺は鸚鵡返しに聞き返してしまう。
「相手をする……ですか?
え……まさか……」
アルベドの目が鋭くなる。
「お前、今……何を想像した。
消え去りたいか?」
俺は全力で首を振る。
「いえいえ、ですよね!」
アルベドが溜息をつく。
「エルシャに仮眠を禁止されてだな。
正直なところ、退屈なのだ。
お前は見たところ素材は良いのだろうが、
視線も動きもまるで素人だ。」
俺は軽く頭を下げる。
「はい……ですので私ごときでは、
お相手をするのには役者不足かと。」
アルベドが言葉を続ける。
「今のままではな。
お前──仮に今後、本気でガオトやステュクス、
そこにいるカリンでも良いが、
愛する女が襲われたり奪われそうになった時にどうするつもりだ?
その得体の知れない魔術で全て消し去るつもりなら、
それも間違いではないだろうがな。」
俺は喉を鳴らした。
確かに喧嘩や勝負では勝てなくても、
知見や経験からあらゆる現象が実現可能である万能魔術なら……
しかし、出来ればそれはしたくない。
アルベドが王座から立ち上がり、
消えたかと思った瞬間──
俺の目の前で腹部に拳をめり込ませる……直前で寸止めした。
「見えてはいるが、身体が反応できなかったという感じだな。
よし、修行をつけてやる。
これから毎日、遊びに来い。
ついでに何か面白いものを出せ。」
俺は全力で否定する。
「いやいや、アルベド様に修行をつけてもらうなんて恐れ多いです。
それに……毎日はとても無理です!」
アルベドがその長身で上から見おろす。
「なら、毎週だ。
一体、誰のせいで起きる羽目になったと思っている?」
俺は思わず本音が零れる。
「それは自業自得……」
「あぁん?」
「いえ……何でもありません。
それでは週に何度か……。
はい……アルベド様が存じ上げないような遊戯や食事も
ご用意させていただきます。」
アルベドが一瞬で王座に座りなおす。
「うむ、良きに計らえ。」
俺は観念して、アルベドの遊び相手になる覚悟を決めた。
そして話が終わり、カリンと共にエルシャの屋敷に向かった。
◇
エルシャと初めて会った日のように、
執事がお茶を入れてくれた。
「ふふっ、その様子ではアルベドの遊び相手になる事が決まったみたいですね。」
俺は椅子に座りながら項垂れる。
「知っていたなら、止めてくださいよ……」
エルシャが頬に手を当てる。
「これから協力関係を築くのですから、
お互いの国のトップや重鎮が誼を結ぶことは悪くないですよね?」
俺は溜息をついた。
「はぁ……間違ってはないですね。
すっかり、元のエルシャ様ですね。」
エルシャが口に指をあて、クスクスと微笑んだ。
以前と同じ笑顔なのだが、心なしか肩の荷が降りた──
そんな様子が感じ取れた。
「それで、これからの吸血鬼領とコウロウとミリルの関係についてですが……」
俺は首肯した。
「はい、そうですね。
とはいえ、これから時間はいくらでもあります。
ゆっくり、追々と決めていきましょう。」
カリンもそれに続く。
「そうですね。これからお互いの文化なども交流して、
良き隣人になれたら良いですね。」
俺とカリン、そしてエルシャがそれぞれ頷いた。
それからしばらく雑談なども交えて、
そろそろ俺とカリンはコウロウに帰ることにした。
「そういえば、エルシャ様。
人工血液の他に、試したい事があったのですが、すっかり忘れていました。」
エルシャが首を傾げる。
「それは私達、吸血鬼に対してですか?」
俺は頷く。
「はい……もしかしたら味覚を、どこまでかはわかりませんが
戻せるかもしれないと……。
ただ、人工血液よりも実験に近くなってしまうんですよね。」
エルシャが目を丸くする。
「……わかりました。でしたら私で試してください。」
俺は逡巡する。
「いいのでしょうか?
変化がないだけならまだしも、何か副作用があるかもしれませんが……」
エルシャが頷く。
「良いですよ。その場合は今まで通り、血液だけを摂れば良いのですから。」
俺は覚悟を決めてエルシャに近づき、万能魔術を唱える。
「味覚再生!」
俺は、吸血鬼の格が上がると味覚が失われる症状は
味蕾が役割を終え退化してしまうのでは、と推測した。
つまり“眠っている状態”だ。それをナノ粒子で起こす医学的魔術を作ったのだ。
「終わりました……どうでしょうか……?」
エルシャが口を開けたり閉じたりしている。
「そうですね……違和感は特にありませんが……
あぁそうだ、リンドウ様。
以前仰っていたクエン酸という酸味が強い食物があるんでしたね?
それをこの紅茶に入れていただけますか?」
俺は言われた通り、大量のクエン酸をエルシャの紅茶に入れた。
「どうぞ……味覚があれば相当に酸っぱいですが、毒ではありません。」
俺が固唾をのんで見守っていると、
エルシャが紅茶を口にした──だが、無反応だった。
「駄目だったようですね。期待させてすみません。」
俺が謝ったその瞬間。
エルシャが俺の唇を奪い──
味の感想を聞いてきた。
「どうですか?」
「とても酸っぱいです……って、えぇっ!?」
エルシャが微笑みを浮かべる。
「はい……私も酸っぱいです。」
その瞳からは一粒の涙が零れていた。
「またこの感覚を味わえるとは思ってもいませんでした。」
俺は素直な感想と戸惑いで感情の行き所をなくしている。
隣にいるカリンの表情を見る事ができない。
「それは……良かったんですが……えっと、一体……何故……といいますか……」
エルシャが両手を組む。
「リンドウ様、私からのお礼と気持ちです。
吸血鬼領の現地妻……で良いですよ?」
俺は狼狽えて口走る。
「いえ……! お気持ちは嬉しいのですが、
エルシャ様はアルベド様の母上で人妻ですし!」
エルシャが首を振る。
「もう、充分すぎる程に子は自立していますし。
主人は……アルベドが魔王になった際、色々と勘違いして増長した結果、
アルベドによって儚くなりましたので、気にする必要はないですよ。」
カリンが異議を申し立てる。
「エルシャさん、第三夫人とは言え、
妻の目の前でそれはあまりではないですか?」
エルシャがカリンの手を握る。
「カリン様……三人も四人も同じではありませんか。
それに同盟国の魔王であるアルベドの母親との縁ともなれば
今後の事を考えれば、感情以外はメリットしかないと思いますが、
間違っていますか……?」
カリンが頷きそうになる。
「間違っていないかもしれません……が、その感情が大事……
あれ……もうどうでも良くなってきました……」
俺はカリンを応援する。
「カリン、俺を諦めないでくれ!」
エルシャが今度は俺の腕を組む。
「リンドウ様は私の事はお嫌いでしたか?
色々とお役に立てる自信はありますよ。」
俺は首を振る。
「いえ、嫌いではないですし、
エルシャ様は素敵な方だと思いますが……!」
あぁ……このやり取りは前にもした気がする。
俺は今にも逃げ出したい気持ちで、この場を収拾しようとするのであった。




