第五幕 第二場 魔王(三)
(――――ああ、俺はまたあの夢を見ているのか)
ユディは、ふとそう思う。
果てなく広がる海と、形も大きさも様々な、いくつかの大陸と無数の島々。
それらを眼下にする、以前見た夢だ。
あの時、黒い点からじわじわと滲み出る影に侵食されていた大陸は、今はほぼ綺麗になっていた。
残っているのは、そもそものはじまりの黒い点――――魔王の遺体だけ。
(こうやって見ると、俺もずいぶん頑張ったよな)
ユディの胸の中に、達成感が湧き上がる。
感慨深く眺めていたのだが……少しずつ大陸が小さくなっていくことに気がついた。
(……え?)
以前、ユディの視点は徐々に低くなっていった。視界に入っていた海や島々が消えて、大陸だけがクローズアップされたのだ。
今度は反対で、視点はどんどん高くなる。
雲が眼下になり、果てなく広がっていると思っていた海に、黒い終わりが見えてきた。
(あれは……世界の果て? まさか、世界は円盤なのか?)
黒に囲われた世界は、少し歪な円形をしているようだ。
(…………いや、違うな。大陸が動いている? ……ひょっとして、回っているのか? ……世界は…………球体?)
とても信じられないのだが、ユディにはそう見えた。
同時に、ツキンと覚えのある痛みが、頭を襲う。
望まぬ知識が、またユディの脳に無遠慮に侵入しようとしているのだ。
(クソッ……うっ! …………そうだ……世界は…………星は、丸い)
ユディは…………わかった。わかってしまった。
世界の周囲にある黒は、無限に広がる宇宙。
そして宇宙には、沢山の星がある。
今、眼下に見下ろすこの星――――ユディたちの住むこの世界は、そんな星のひとつでしかなかった。
ユディの頭の中で、無理やり押しつけられた知識が、常識となる。
星を見ていたユディは、何かに呼ばれたように振り返った。
そこにあったのは…………視界いっぱいに広がる、白銀に輝く巨大なナニか。
(これは……移民宇宙船ミグラントⅧ号――――通称ハチクマだ)
銀色の船体の名前が、スラスラとユディの頭の中に浮かんだ。
――――ユディは、王都生まれの王都育ちだ。
大陸中央にある王都は海に面しておらず、ユディは海に浮かぶ大型帆船はおろか、中型の船だって見たことはない。
知るのは、せいぜい川に浮かぶ川舟くらい。
それなのに、今、ユディは海洋船を遙かに超える城塞のような大きさの船を、当たり前に宇宙船だと理解していた。
それでも、もちろん驚きがないわけではない。
ユディの心は驚愕にしびれ、なのに脳の一部は冷静に宇宙船――――ハチクマを眺めている。
身動きもならず、ジッと宇宙船を見ていれば、スッとユディの体がハチクマに近づいた。
招かれたように抵抗なく船内に吸い込まれてしまう。
松明もランプもないのに明るい船内の四角い廊下を、ユディは迷いなく進んだ。
(進んだって言っていいのか? 歩いている感じは少しもないんだが? ……なんというか、空中をすべっているみたいだ)
今のユディに、肉体の感覚はない。まるで幽霊にでもなった気分。
(これは夢だからな。意識だけでも不思議じゃない)
きっとユディの肉体は、今もあの野営地で眠っていることだろう。
そしてエドガーが、心配そうに傍に付き添っているのだ。
大きな体を丸めて、オロオロとしながら。
そう思うと、こんな状況でもホッとした。
思わず笑ってしまったユディは、急に目の前に現れた取っ手のない扉を、避けることもできずに、すり抜ける。
まず目に飛び込んできたのは、青と白に輝く星だった。
それが自分たちの住む惑星だと、今のユディは知っている。
正面のスクリーンに星が大きく映し出されているこの部屋は、展望室と呼ばれていた。
――――押しつけられた知識が、勝手に情報を与えてくる。
広々とした展望室の中央には大きな球体があった。上半分が透明な球体は、ポッドと呼ばれる高機能ソファー兼ベッドだ。完全防衛機能付きで、自動で高速移動も可能な優れもの。
ユディが見ていれば、球体の透明部分がシュッという軽い音と共に開いた。
そこには、ひとりの男が眠っている。
長い黒髪、少し黄色みを帯びた肌色。閉じられている目が、リックと同じ黒だということも、何故かユディは知っている。
特徴的なのは、頭の両脇から生える大きな二本の角だろうか。体格もユディよりは、かなり大きく感じられる。
切れ長の目のまぶたがピクピクと動いた。
『――――お目覚めですか。マスター・ハジュン』
どことも知れぬ場所から、無機質な声が響く。低い女性の声に聞こえなくもない。
「う……うぅん」
男が、呻いた。
同時に、ベッド形態だったポッドの内部が、音もなく形を変える。流線型のソファーになって、男の上半身が押し上げられた。
予想どおりの黒い目が、ゆっくり開いていく。
「――――アマテラス…………俺は、何年ダイブしていた?」
少し粗野に聞こえる声が、展望室に反響した。
『惑星暦六十四年と二ヶ月九日三時間二十一分です』
アマテラスと呼ばれた無機質な声が答える。
ユディの知識は、この声が宇宙船の人工知能――――AIだと教えてくれた。
「お、おぉ! 最長記録だな。あそこで崖が崩れなきゃ、もう少し長生きできたんだが」
『現段階での実験体の寿命としては、十分な長さでしょう。これ以上は畏れを呼びます』
「う~ん、まぁ、そうなんだよなぁ。魔法を使える世界にしたせいか、みんな迷信深くって困る…………変な宗教とか流行らなきゃいいけど」
ハジュンと呼ばれた男は、頭をガシガシとかく。
『やり直されますか?』
「止めてくれ。ようやく集落ができはじめたところなんだぞ。また一からなんて、御免だ」
心底嫌そうに、ハジュンは首を横に振った。男にしては長い黒髪が、ブンブンと踊る。
「あ~あ、早くアスモデウスが目覚めないかな。人類史は彼のお得意だろう? オノスケリスでもいい。人類の進化論を語らせたら彼女の右に出る者はいないからな」
今ハジュンが言った名前は、移民船に乗る仲間たちの名だ。どちらもコールドスリープ中で、まだ目覚めていない。
「っていうか、みんな目覚めるのが遅すぎじゃないか? どれだけ俺を待たせるんだ。……いっそ、無理やりポッドから引きずり出してやろうか」
ハジュンは、鼻にしわを寄せながらそう言った。
そう。現在ハチクマで目覚めているクルーは、ハジュンだけなのだ。他はみんな自分のポッドでコールドスリープ中。
「せっかく、住めそうな惑星を見つけて、実験体まで繁殖させているっていうのに」
愚痴をこぼすハジュンを、アマテラスが制止した。
『コールドスリープ中の人間を無理に起こすことは、宇宙航海条例第百三十二条の違反です。殺人罪と同等で、罰則は死刑もしくは無期懲――――』
「しないよ! 冗談だ」
焦ったように、ハジュンは、アマテラスの声を遮った。立ち上がって両手を突き出し左右に振る。
『それなら結構です。実際、覚醒の兆候のない人間を強引に目覚めさせる行為は、対象者の脳に九十八パーセントの確率で障害を引き起こします。人格を壊す行為で殺人も同然なのですよ』
「わかった。わかったって!」
ハジュンが一際大きな声を出す。
「まったく、冗談も言えやしない」
『申し訳ありません。私はリソースのほとんどを、宇宙船の維持管理と管制に使っているため、冗談を求められても咄嗟には対応できないのです』
無機質なはずの声が、なんとなく寂しそうに聞こえるのは、気のせいか。
「わかった! 俺が悪かった!」
結局ハジュンが謝った。
『わかっていただければ結構です』
答える声は、いつもどおり。
――――そう。これは、彼らの通常だった。
もうかなりの回数繰り返しているやり取りだ。
「あ~あ、じゃあまだ当分ひとりぼっちか。……仕方ない、またダイブしてくるか」
ダイブというのは、実験体の中に自分の意識体――――『魂』を潜入させること。こうすることでハジュンは、実験体のひとりとして彼らの暮らしを体験できるのだ。
これは、実体と意識体の研究を極めた成果であり、これにより人類の宇宙進出は大幅に進歩した。生息可能な惑星に、まず実験体を投与して、その実験体にダイブすることで安心安全に惑星開発が進められるからだ。
実験体で人の暮らしやすい環境を整え、すべての舞台が整ってから本格的な移民を開始する。
人類はこうして宇宙に足を伸ばし、拡散していた。
『――――今度は、どの実験体にダイブしますか?』
無機質な声が尋ねてくる。
仲間がまだ目覚めていないハジュンがダイブする目的は、単なる暇つぶし。やってもやらなくてもいいことなのだが、だからこそアマテラスも反対はしない。
「前は『農夫』だったからな。今度は『狩人』にしよう。……もう少し文明が発達してくれたら、もっといろいろな職業を選べるんだが」
『実験体にスキルを与えたのは、成功でしたね。おかげで進化が加速しました』
「だろう? きっともうちょっとで国ができる。そうしたら『国王』というスキルも作ろうぜ」
『それはスキルではなく身分では?』
「どっちだっていいんだよ。ここは、俺たちが作る新しい世界なんだから」
移民にはかなりの権限が与えられている。そうでなければ、誰も故郷の惑星を離れ、はるばる宇宙の果てまで移り住みはしないだろう。
『マスターのお言葉に従います』
アマテラスの同意を得て、ハジュンはソファーに深く腰掛けた。
「うん、そうしてくれ。……とりあえず行ってくる。また五十年後くらいにな」
ハジュンの寿命は長い。軽く千年を超えるくらいには。
『はい。お帰りをお待ちしています。マスター・ハジュン』
そこでこの場面は終わった。




