第四幕 第一場 聖女の悩み(二)
鬱々としていたユディは、いつの間にか下を向いていたらしい。
宿屋の受付としては褒められた姿ではないが、こんな時間に新たな客はもう来ないだろうし、外出している宿泊客も真っ直ぐ食堂に向かうだろう。
(こんなスキル、本気でいらなかったのに)
眉間にしわを寄せながら、視界に入った自分の爪を見る。
少し伸びてきていることに気づいて、切るかなとか考えて……だから、目の前に来ていた人物に気づかなかった。
「うぉっ! なんだ?」
突然頭をわしゃわしゃと撫でられて、思わずユディは叫んでしまう。
「……エドガー! くそっ、やっぱりお前か。おい、止めろ!」
顔を上げる前に大きな手の感覚だけで、ユディは相手が誰だかわかった。
それがなんだか悔しくて、整った顔をジロリと睨みつける。
なのにエドガーは、かまわずユディの頭を撫で続けた。
「エドガー!」
「ペーター先輩に言われたんだが――――」
怒鳴ってもこたえた様子もなく、何故かペーターの話題を出してくる。
「あ?」
「――――ユディが下を向いている時は、何を言うよりギュッと抱きついてやるのが一番なんだそうだ。……俺もそうしようと思ったんだが、さすがにいやがられるかなと思ってな。頭を撫でることにした」
――――なんだそれ?
ユディは、ポカンとした。
わしゃわしゃわしゃわしゃと、エドガーの手は止まらない。
呆然としながら撫でられて……ユディの頬は、段々熱くなった。
(つまり、俺はエドガーに慰められているってことか?)
――――恥ずかしい。
慰められていることもそうなのだが、自分が落ちこんでいることを知られていることも、そしてそんな時の対処法を、子どもたちに把握されていることも。
みんなみんな、恥ずかしい。
「…………止めろ」
赤くなった顔を隠すように俯いて、ユディは小さな声で呟いた。
「元気になったか?」
「なった! だから、止めてくれ!」
顔を覗き込まれて、慌てて背ける。
(こんな顔を、見られてたまるもんか!)
心の中で、叫んだ。
エドガーは、今度は素直に手を止める。
ただジロジロと見つめてくる視線はそのままだ。
「おい?」
これ以上何か言いたいことでもあるのだろうか?
幾分熱の引いた顔を不審げに歪めながら、ユディはエドガーを睨みつけた。
「――――ユディは、可愛いな」
ところが、返ってきたのはそんな言葉。
「は?」
「可愛くて、真面目で、努力家で、みんなに愛されている。もちろん俺も大好きだ」
急に褒められても、戸惑うばかり。しかも、まったく嬉しくない。
(三十路過ぎた男に可愛いとか……馬鹿にしているのか?)
「いったい何だってんだ?」
「俺の正直な気持ちだ。伝えた方がいいと思って」
意味がさっぱりわからない。
エドガーは、いたって真剣な表情だ。嫌みや冗談を言っているような雰囲気は、どこにもない。
(…………ひょっとして?)
「お前、それで俺を元気づけようとしているつもりなのか?」
「本心を伝えているだけだ」
それは、そうなのかもしれないが、ユディを褒めることで気持ちを上向かせようとしているのは、間違いないだろう。
しかし、そうだとすれば、あまりに不器用だった。
(真面目とか努力家とかはともかく、可愛いなんて……俺は絶対褒め言葉とは思えないのに)
ユディは、呆れると同時になんだか可笑しくなる。
ペーターに聞いた通りの慰め方とか、正直すぎる褒め言葉とか……もっとスマートな方法がいくらでもあるだろうに。
不器用な優しさが、でも、存外心地よかった。
――――だから、聞いてやる。
「それで、何か用なのか?」
エドガーの目的は、ユディの持つ『聖女』の力だ。彼の不器用な親切の根底には、それがある。
そんな下心ありきの好意なんて、ありがたくもなんともなかったのだが……でも、先ほどまで鬱々としていたユディの心は、今間違いなく晴れていた。
(だったらその礼として、こいつの望みを叶えてやってもいいよな)
ユディの言葉を聞いたエドガーは、一瞬傷ついたように顔を顰めた。何かを言いたそうに口を開きかけ、ギュッと閉じる。
やがて、小さく頷いた。
「ああ。ロニとも話し合ったんだが……賢者の浄化を頼めないかなと思って」
――――やっぱり下心があったのだ。
チクンと小さな胸の痛みをユディは感じた。
それを振り払うように、笑みを浮かべる。
「いいぞ」
二つ返事で引き受けた。
エドガーは、驚いたように目を見開く。
「いいのか?」
「もちろん」
先日、ローレンスが妹のアンジェラを連れてきた。
そのこと自体はかまわないのだが、問題だったのはアンジェラが瘴気まみれだったこと。
魔王討伐に行ったわけでもないアンジェラが、何故瘴気など纏っていたのか?
瘴気は魔王に呪われた証だ。しかし呪いは他人にうつらない。
それなのにアンジェラは瘴気で真っ黒だったのだ。
(これが、どれほど大事なのか……俺だってわからないわけじゃない)
『聖女』になんてなりたくない。それはユディの本心だ。
ただこの事態を看過して知らない顔が出来るほど、ユディは身勝手ではなかった。
エドガーやローレンスとも一緒に暮らしてきて、多少なりとも親しみが湧いている。
彼らのためになるのなら、聖女のスキルを使うことにためらいはなかった。
「賢者を浄化して、アンジェラさんがどうして呪われたのか解明しよう」
ユディはきっぱりとそう言った。




