【09】 侯爵令嬢、職を探す
朝に目が覚めるとリゲルは部屋にはいなかった。
昨夜は「絶対にこの線から入ってこないでくださいね!」と、ルクレツィアが刺した釘に対して「もう少し信用してくれてもいいと思いますよ」と苦笑していた。
(あきらめて魔界に帰ったのかしら?)
……いや、昨日の様子からそれはないと思う。朝食のたくさん入ったバスケットを抱えて追いかけてきた朝のように、何食わぬ顔をしてもどってくるのだろう。
階下に降りて宿の食堂でパンとスープの簡単な朝食を食べながら、さて、今日からどうしようかと考える。
まずは職を探さなければならない。
ここは生まれ育った国でもなく、隣国ルミリア王国の右も左もわからない王都ミリアッシュ。どう動けばいいものかと思いあぐねていると、宿の女主人の人の好さそうな笑顔を思い出した。
ルクレツィアは受付に立っていた女主人に「あの!」と、勢いだけで相談を持ちかけてみる。すると懇切丁寧に職業紹介所のことを教えてくれた。にこにことした笑みを絶やさない彼女の雰囲気は、国に残してきたフローラを思い出させる。
「それにしてもあんた、きれいな女の子だったんだねぇ。男の子にしては線が細いと思ったけど……。お兄さんとはあんまり似てないねぇ」
「事情があって……母親が違うのです」
咄嗟に口から出たごまかしは、兄妹ではないと知られるのも、リゲルは人間ではないと知られるのも……絶対によくはないとの判断からだった。
「ふうん。そうかい。まあ、人生にはいろいろなことがあるさ。がんばりなよ。ここは志を持って働く者にはいい国さ」
女主人は頼もしく笑う。それから職業紹介所までの簡単な地図を書いてくれた。
✧・゜:
宿を出てから石畳の大通りをしばらく真っ直ぐに歩き、三叉路を右に曲がった通り沿いの左側に建つ赤レンガ造りの古びた建物。地図によると、そこが女主人の紹介してくれた職業紹介所だった。
長年の風雨に晒されて風合いを増した重たい木造の扉。それをくぐり中に入る。
エントランスの中は侯爵家のホールのように広くて明るい雰囲気だった。
防具を身に纏って剣を携えている戦士たちがすぐに目についた。これから魔獣狩りに行くぞというような気合いが入っている。その横には黒いローブを着た魔法使い風の男女。その後ろには上下つなぎの作業着姿の少年少女。ルクレツィアと同じくらいの歳の娘や、年配のご婦人、紳士方。頭にタオルを巻いた職人風の人々もいる。年齢も様々に職を求める人々の賑やかな声が飛び交っている。かなりの活気があった。
職業紹介所は自分の特技を登録すると、それに見合った仕事を仲介してくれる、とのことだった。
受け付けで登録書を渡される。名前を書こうとしてルクレツィアの手が止まった。
本名であるルクレツィア・ローライド。
(だけど……)
ルクレツィアは追放された身である。この名前は秘密にしたほうがいい……のだろうと、考えた。
家名であるローライドを名乗ることは二度とないのかもしれない。だが、ローライド姓には未練も感傷もなかった。
(そうね……。どんな名前を名乗ろうかしら?)
しばらく考えてからルシア・アスティと記した。ルシアはルクレツィアの最初と最後の文字を繋いで。アスティとは実母であるリヘンツィアが嫁いでくる前の一族の姓だった。
(それと……特技ね)
ペンを少しだけ空中に彷徨わせてから書き出してゆく。
(まず……読み書き計算。礼儀作法。外国語、刺繍にテーブルマナー……こんなところかしら)
考えてみたら特技という特技はない……これは貴族の子女なら誰でも受ける教育だ。家族という輪からは外されてはいたものの、教育だけは受けさせて貰えていた。
一応の表向きとしては、ルクレツィアが次期当主……ということになっていたためだ。それに、ティアは真面目に授業を受けてはいなかった。もしティアが当主を継いだなら、実務は影でルクレツィアに押しつけられていたのかもしれない。そう考えるとゾッとする。
(だけどこれって特技になるのかしら?)
不安に思いながらも列に並ぶ。しばらく待っているとルクレツィアの順番がきた。受付の職員に書類を渡す。
受付の職員の青年は、書類とルシアに何度も何度も視線を往復させた。
(なにかおかしな所があった……?)
不安に駆られたルシアがおずおずと口を開きかけたとき。
「ルシア・アスティさん。失礼ですが……あなたは貴族のご出身ですか?」
青年は真っ直ぐにルクレツィアを見た。どことなく探るような視線だった。
ルクレツィアの鼓動が跳ねる。
「いえ、あの……」
どう答えてよいのかわからずに迷って口ごもる。誤魔化したほうがよいのか、それとも本当のことを話すべきか。
(……いや、だめ。きっと追放された貴族なんてどこも雇ってくれないわ)
ルクレツィアは半分だけ本当のことを混ぜることにした。
「貴族とはいっても名ばかりの家柄で……。ですから、こうして仕事を探しにきたのです」
「ふむ……。どちらのご出身ですか?」
「隣国のカイゼリア王国です」
書類になにかを書き付けていた青年の手がふと止まった。
「カイゼリア王国ですか……。私はカイゼリアに親族がいるのですが、侯爵家のご令嬢に珍しい銀色の髪に、ルビーの色の瞳を持つかたがいると聞いたことがあります……」
社交界のデビュタントにも参加をさせてもらえなかったルクレツィア。身体が弱いという嘘の理由で屋敷に閉じ込められていた。
カイン第二王子と婚約をしているときにも、夜会や舞踏会には参加を禁止されていた。その理由はおそらく、ルクレツィアを孤立させてティアを侯爵家の顔とするため。カイン第二王子の婚約者として、ルクレツィアとティアをすげ替えるためにも、それは都合よく働いた。
(それなのに、わたしのことを知っている人がいる……)
ルクレツィアはそのことに驚き、予想外のことに内心は慌てていた。だが、ここで焦っては余計に怪しまれる。
「あの……。ローライド侯爵令嬢のルクレツィア様のことだと思います。わたしもお会いしたことはないのですが、同じ銀色の髪と瞳の色だということで……お噂は聞いたことがあります」
そう言ってにこやかに微笑む。
「……ご親戚では?」
「いえいえ! とんでもないです! なんの縁も縁もありません! たまたまです! たまたま!」
思い切り否定するルクレツィアの迫力に気圧されたのか、青年は「そうですか」と、また書類に目を落とした。羽根ペンにインクを浸けると、書類にサラサラとなにかを記入している。
「はい。受け付けました。明日にでもまた来てください。ルシアさん向けのお仕事をお探しできていると思います」
✧・゜: *
宿に帰るなりルクレツィアは寝台に突っ伏した。
「はぁ……疲れた」
体力を使ったわけではないが、精神的にひどく疲れていた。気力を削られたようにも思える。
それでも……ローライド侯爵家の中で、極力ティアたちを視界に入れないように、かかわらないように息をひそめて生きているよりは……。
まだ仕事が決まったわけでもない。だけどこれからは、自分の稼いだお金で好きなことをして、好きなものを美味しく食べて、好きな時間を過ごすことができる。誰になんの気も使わなくていい。自分のやりたいことをなんでもできる。
そう考えるとなんだか……胸の奥の奥のほうから、ワクワクと高揚する気持ちが湧き上がってくることに気がついた。
カイゼリア王国から追放をされたときには不安だらけだったが、それと同時に、身体中に巻かれた鎖を解かれたような解放感を覚えた。
こんなにも胸の高鳴りを覚えたのはいつ以来だろうか。
(追放も……悪くはないわね?)
枕を抱えて仰向けに転がると、天井を見上げながらルクレツィアはふふっと笑った。
✧・゜: *
宿では簡単な朝食を摂ることはできるが、夕食は付かない。外に食べに行くことになっていた。
その夕食の時間になってもリゲルはもどってはこなかった。
(本当に……諦めたのかしら?)
ほっとしたような、それとは反対に心がざわめくような気もしてしまう。
窓からは夕陽に照らされた橙色の雲が見えた。にぎやかで活気のある夕方の大通りの喧騒は、二階の部屋にまでとどいてくる。
(ここは知り合いも誰もいないルミリア王国の王都だから。わたしは薄暗い部屋にひとりだから。だからひとり分だけ空いた空間が……なんだか寂しいような気がする……だけ)
ルクレツィアはそんな考えに戸惑い、迷いを払うように大きく頭を振った。
ルクレツィアのお腹がくうぅと頼りない音を立てる。
今日はいろいろと動き回った。その分だけ体力と気力を使い、お腹が空いたのだ。
侯爵家にいたときには、いくらお腹が空いていても、父や義母、ティアと一緒のテーブルにつくと食欲はきれいさっぱりとなくなってしまった。
(だけど今は……)
ルクレツィアはお腹に手を充てる。くうぅと鳴る度に、手のひらに振動が伝わってくる。その振動を愛おしげに感じていた。
昨夜に食べた『モリーシャの台所』の『満腹お月様の満月パイ』は、本当に夜空に浮かぶ満月のように円くて大きかった。半分に分けてリゲルと一緒に食べたのだ。
今までに食べたどの料理にも負けないように、とても美味しく感じた。
ルクレツィアは少し考えて、今日の夕食は店で焼いたパンと肉を買ってきて部屋で食べることにした。
夜になってもリゲルはもどってはこなかった。




