【08】 侯爵令嬢、宿に泊まる
「兄弟なら同室だね?」
宿屋の受付に立つ女主人は、人当たりの好いにこやかな笑顔で尋ねる。
「いえ」
「はい」
リゲルは女主人へのルクレツィアの否定の答えに、素早く肯定の言葉を重ねた。
リゲルと同じ部屋に泊まることなどは、まったくもって想定さえしていなかったルクレツィア。
「別の部屋で」と言いかけるも、「宿代はどうするのですか?」と、こそりと耳元で囁かれた言葉に、はっとする。
当面の生活費に充てるためにドレスを売るつもりだった。しかし今はまだ、金銭は持ち合わせてはいない。それを思い出して……黙るよりほかはなかった。
リゲルは当然のように上着のポケットから出した銀貨を受付台に置く。
小さな声で「後で返します」と伝えたルクレツィアの言葉にも、リゲルはにっこりと微笑むのみでなにも答えなかった。
「こっちだよ」と女主人に案内された二階の部屋は、作り付けの棚と大通りを眺めることができる出窓があるだけの、飾り気もなく広くも狭くもない部屋だった。中央には簡素な寝台が二つ並べられている。
棚に鞄を置くと、ルクレツィアは片方の寝台を引き摺って距離を離した。
「そんなことをしなくても……なにもしませんよ。今はまだ」
出窓に腰をかけて長い足を組み、そんなルクレツィアを楽しそうに眺めるリゲル。蜂蜜色の瞳を細めてふふっと笑う。
「貴女との初夜は……新月の夜の満天の星空の下、我が城で婚礼の式を挙げたあと……と決めていますので」
蠱惑的にうっとりと輝かせた瞳と、まるで甘い夢を見るように上がる唇。
「……勝手に決めないで」
「それは……今日がいいということですか?」
「違います!」
とぼけてからかうリゲル。
ルクレツィアは即座に否定した。
リゲルの寝台のシーツをはぎ取ると、引き離した寝台との隙間の床に境界として敷く。
「このシーツを越えてこっちには絶対に入ってこないでね」
リゲルは大袈裟にため息をついた。
「つれないですねぇ。さっきまではあんなにも私に熱く抱きついていたのに」
「あれは……! 不可抗力です!」
✧・゜: *
部屋で少しの休憩をとったあとに、ルクレツィアはドレスを売りに行くことにした。
追放されるまで身に付けていた装飾品だけは、まだ手元に残しておきたい。母親から譲り受けた形見のペンダントもある。出来ることなら売りたくはないが……これから生きてゆくためには、手放すことも仕方がないことかもしれない。
しかし、それを売るのは最後の手段だと決めていた。
当たり前のようにルクレツィアの跡をリゲルもついてくる。
賑やかな人込み中を縫うように歩いて、大通りにある建物に古物商の看板を見つけた。
恐る恐る古くて厳めしい扉を開く。
それほど明るくはない店内には、温かみを感じるランタンが灯る。
壁に作りつけてある棚には、実用的な鎧もあれば、仮面舞踏会用とも思えるきらびやかな鳥の羽をあしらった仮面もある。大きな宝石が嵌め込まれた指輪の隣には貝で作られた素敵な首飾りも置いてあった。使い込まれた剣もあり、前身が映る大きな鏡も飾ってあれば、なにに使うかもわからない古びた木の箱もある。鉄のケトルや不思議な文字が書かれた本もある。
店内には雑多にさまざまな物が商品として置かれていた。一見すると無秩序にも思える品揃えだが、不思議とそれが魅力的に思えた。
「いらっしゃい。なにかお探しかい?」
店主は勘定台の向こうから、ルクレツィアに声をかけた。
「あの、ドレスを売りたいんだ」
着古したダボダボのシャツを着た、帽子も目深にかぶった少年……それはルクレツィアだが、そんな少年が持ち込んだとても高価な衣装に、古物商の店主は訝しげな視線を向けた。
心なしか少年の挙動も、どこかおどおどとしていて不審に思える。
しかし、身なりのいいリゲルがルクレツィアの後ろに立ち「旅の商人」だと告げ、「とある貴族から買い取ったドレスだ」と伝えた。すると店主は態度を一変させて、にこやかな笑顔をつくった。そしてかなりの色をつけてドレスを買い取ってくれた。
古物商の店を出るころには、夜食には丁度よい時間になっていた。
目に付いた食堂に入ろうとするルクレツィアの腕を引っ張ったリゲル。
「すこし付き合ってください」と、強引にルクレツィアを女性用の衣料品を売る店に連れていった。
「いらないわ」
ドレスを売った金で当座を凌がねばならない。いつまでも宿屋暮らしもできない。部屋を借りるにしたって資金は必要だ。余計な出費はできない。
「もう旅路ではありません。いつまでもそんな格好をしている必要はありませんよ。私も同行していますしね」
『私も云々』はさらっと流したルクレツィア。
「でも……」
ためらうとさらにリゲルは言いつのる。
「先ほどの古物商の店主の態度を見たでしょう?」
ルクレツィアを怪しみ、リゲルを信用した店主。
なにも判断材料がないのならば、見た目から得る情報と印象は大切なのかもしれない。
(確かに……これから職を探すのに、最初から怪しまれてしまっては元も子もないわね)
「……わかったわ」
街娘が着るような服と下着を数点ほど、店員に見繕ってもらう。支払おうとすると、リゲルは素早く勘定を済ませてしまった。ルクレツィアが銀貨を数枚渡そうとするも、リゲルは受け取らない。
「私の花嫁ですので」
やわらかく微笑まれ、ルクレツィアは一瞬言葉につまる。
「勝手に決めないで」
「だって約束しましたよね?」
リゲルは先ほど、空を飛んで王都まで運んでもらったときのことを言っているのだ。正確には約束ではなく、言質のようなものだが。
「あれは……!」
「まさか……嘘ではないですよね?」
蜂蜜色の瞳は眇められる。眼差しは穏やかだが、込められた圧は強い。
「……」
悪魔に咎められたルクレツィアには言葉がなかった。
無言で銀貨を渡そうとするが、リゲルは首を左右に振り、頑として受け取らない。
「……じゃあ、仕事が決まったら払います」
リゲルは肩をすくめただけだった。
店を出る前に店内で着替えさせてもらう。
外に出ると、空いたお腹をこれでもかとくすぐるような美味しそうな匂いが漂ってきた。
肉を焼いた芳ばしい油やシチューの匂い。鼻の奥に微かに残る甘い香りは、焼き立てのパイだろうか。
匂いをたどれば一軒の食堂に行き着いた。そこで夕食をとることにする。
扉には年月を経て、風合いを醸し出した木の看板が提げられている。そこには『モリーシャの台所』とあった。
店内はかなりの盛況だった。
数人の給仕さんたちが忙しそうにくるくると各テーブルを回っている。
「いらっしゃいませ!」
席まで案内してくれたのは、ルクレツィアと同じ年ごろの娘だ。
ルクレツィアの白銀色の髪と長身のリゲルは目立つようで、テーブルの間を抜けて席につくまでに、周囲から物珍しげな多くの視線を感じる。
「注文が決まったら呼んでくださいね!」
メニュー表を渡されるも、ルクレツィアにはこの食堂の料理の名称は謎だった。侯爵邸のコック長がつくる料理名ともかけ離れていたし、記された料理名を読んでも、料理の想像がつかないのだ。
『もってのほかの山の茸載せスタミナ肉』『海の藻屑の波乗り焼き』『大平原の夕日シチュー』『満月の夜空の花火花』などなど。
(これは……ルミリア王国の料理名? それとも平民の料理名? それともこの食堂だけのもの?)
「あの、おすすめって?」
ルクレツィアの質問に給仕の娘は振り返る。すぐにテーブルにもどってくると、愛嬌のある笑顔で丁寧に説明をしてくれた。
「お客さんはこの店は初めてだよね? 店のメニューは店主の趣味で少し変わってるからね。でも、味は保証するよ! 今日はこれ! 『満腹お月様の満月パイ』。つまりはミートパイなんだけど。香辛料でしっかりと味をつけた挽き肉をたっぷりと詰めこんであるの。名前のとおりに満腹になるはずだからおすすめだよ!」




