【05】 侯爵令嬢、朝を迎える
ルクレツィアは肩に置かれたリゲルの手を払いのけた。
自身の重い身体を、気力を振り絞ってなんとか立ち上がらせる。そして門の厚い扉に背をもたせると、再びずるずると座り込んだ。
獣は火を怖がる。松明の炎の下なら、狼や魔獣などは近よってこないかもしれない。
抱えた膝に顔を埋める。
リゲルはルクレツィアの隣に勝手に腰を降ろした。
「ルクレツィア、明日になっても村には入れないと思いますよ」
「……どうして?」
疲れきってしまい、顔を上げることすらできずに問い返す。
「こういった村ではよそ者を嫌います。盗賊の仲間かもしれないし、門番が言っていたように人に姿を変えた魔獣かもしれませんからね。村に入れてしまい、内側から門を開けられたらおしまいです」
「……」
そんなことを教えられても、村に入れてもらえなければ食べるものも寝る場所もない。ルクレツィアが森の中で食料を調達し、安全な寝床を確保し、自力で生き延びられるとは……とうてい思えなかった。
「……じゃあもっと大きな街へ行くまでだわ」
王都のような大きな都なら、商人や旅の者の往来も多い。そこまで警戒されずに済むはず。
ルクレツィアは王都を目指すことに決めた。
「私の城にくればいいのに」
呆れたように囁くリゲルの言葉にも、疲れきっていたルクレツィアは逆らうこともない。膝に顔を埋めたまま、すでにすやすやと寝息を立てていた。
リゲルはやれやれとため息をつきながらも、上着を脱いでルクレツィアの肩にかける。
艶々とした唇からは、穏やかで、しかしもの哀しい旋律を紡ぎだす。
ルクレツィアは夢の入り口に立って、どこか懐かしい唄を聴いたような気がした。
✧・゜: *
眩しさに目を覚ます。
瞼を開けると目の前に広がるのは、緑色の草が広がる地平と朝焼けの空と、まだ夜が残る空。
顔を出したばかりの太陽は、地平線の近くの空とルクレツィアを赤く照らしていた。
傍の森は黒い影となって、視界の隅に横たわっている。
ここはどこだろうかと一瞬だけ混乱するも、すぐに記憶を取りもどした。
ふと、暖かな感触に気がつく。
ルクレツィアを包むようにして上着がかけられていた。
(これは……。昨日、リゲルが着ていた上着……)
隣にその青年の姿はない。
「つっ……!」
ルクレッツィアは身体を起こそうとして思わず呻いた。
全身が痛い。歩き慣れない距離を歩いたことと、座ったまま眠ってしまったことで身体が固まっていた。
びしびしと音が鳴りそうな身体をゆっくりと動かして、痛む足と腰を擦りながら注意深く辺りを確認する。やはりリゲルの姿はどこにもない。
(諦めたのね。よかった……)
ルクレツィアはほっと安堵の息をついた。それから、扉を叩いて再び呼びかける。
「おはようございます!」
しばらくすると、塀の上から昨夜の大柄な男が顔を出した。ルクレツィアを見て驚いている。
「なんだ生きてたのか……。俺ゃ、てっきり……。あんた、よく無事だったな。昨夜はあれだけ狼のヤツらが外で騒いでたのに」
「狼?」
疲れきってしまい、すぐにぐっすりと眠り込んでしまったルクレツィアには、なんのことだかわからなかった。
井戸の水だけでも汲ませてほしいと、しばらく門番と押し問答をした。しかし結局は村に入ることはできなかった。
門番は気の毒そうな表情をしながらも「悪いが、諦めてくれ」と言った。
ルクレツィアはそれならば王都への道を教えてほしいと頼んだ。門番は「南にずっと歩けば辿り着く」と返事をした。
残り少ない水筒の水をひとくち飲み、昨日の残りの硬くなってしまったパンを力まかせに千切る。
それだけを口にしたルクレツィアは、南を目指した。
「待ってくださぁい! ルクレツィア!」
村の門が見えなくなった辺りで後ろから声がした。
その声に振り向くとリゲルが走ってくる。腕にはバスケットを抱えていた。
(……てっきり諦めたかと思ったのに!)
リゲルはすぐにルクレツィアに追いつくと、バスケットの中身を見せた。
「お腹が空いているでしょう? 食べましょう」
バスケットの中にはバターの香りも香ばしい焼き立てのパン。金色に輝く玉子焼き。厚切りの柔らかそうな鴨肉に新鮮な野菜。青林檎と紅林檎に、搾りたての果汁のボトル。
思わずごくりと喉が鳴った。
「どうしたの? こんなに?」
「城へ取りに行っていました。その間に私をおいて行ってしまうなんて」
やわらかく細められる蜂蜜色の瞳。
朝の陽の下でも、蜂蜜色の波を打つ髪も、すっとした鼻梁も艶々の唇もやはり美しい。堕天したとはいえ、元は……。
(そういえば……)
「……翼がないけど」
「ああ、昼間は隠していますよ。目立ちますからね」
ルクレッツィアの問いに、なんでもないことのように答える。
「さあ、そんなことよりも食事にしましょう」
リゲルに強引に腕をとられて、木陰へと引っ張られた。
「いらないです」
腕を振り払おうとしたときに、ルクレツィアのお腹からと大きな音がぐぐぅと鳴り響いた。
(あ……)
「大丈夫ですよ。媚薬なんて盛っていませんから」
ふふふっと笑うリゲルに、ルクレツィアはそのまま木の下まで腕を引かれた。




