【19】 侯爵令嬢、見届ける
国王アルネルド三世の命令により近衛騎士たちに拘束されたカイン第二王子とティア、ローライド侯爵夫妻は、泣き叫びながら連行されていった。彼らが連れ出されると大広間には静寂が訪れる。
国王はその様子を壇上から見届けると、額に手を充てて、しばらく天井を仰いだ。
苦渋の決断をしなければならなかった。国王は疲れきっていた。
(カイン……。なんということだろう。どうしてこうなってしまったのか……)
深いため息は意図せずに漏れる。
宰相と宰相補佐は顔を寄せ合い、ぼそぼそと声をひそめて相談をしていた。
カイン第二王子とティアを収監する地下牢の待遇や警備、ローライド侯爵家の監視に必要な人員の割り当て、これからの裁判の日程、国内の貴族への説明……。各部署との話し合いや、早急に手配しなければならないことは山積みだ。顛末の後始末は悩ましく、頭が痛い。しばらくの間は落ち着かなく、ばたばたと忙しない日々が続くだろう。
(王位継承権第二位であったカイン第二王子殿下からルクレツィア嬢が受けた害への賠償も、ローライド侯爵家のこれからの処遇も考えなければならないが……)
宰相はルクレツィアに視線をやる。
肩を震わせて泣いているルクレツィアを、元侍女のフローラは優しく抱きしめていた。
そして、ルクレツィアの隣に立つ黒い翼の青年。柔和な顔立ちは彫像のように美しく、高貴な雰囲気を纏ってはいるが……。
宰相は悪魔 ── 堕天使というものを見たのは初めてだった。
カイゼリア王国は豊穣の女神イーシュアスを奉っている。女神イーシュアスの力を宿して、地上で女神イーシュアスの代理を務めるのが神殿の聖女たちだ。カイゼリア王国では古くから女神と聖女への信仰が篤い。国に張られている護りの結界も、周辺諸国とは比べものにならないほどに強力だ。それゆえに悪魔など、紛れ込む余地はないものと考えられていたのだが。
(魔界の公爵といっていたな。召還だされたとはいえ、結界を抜けてくるとは……「大公爵」というのもあながち嘘ではないか……)
お近づきにはなりたくないと、宰相はぶるりと身震いをした。しかしなぜ、取り引きをしたというティア嬢を売り、ルクレツィア嬢と一緒にいるのだろうか?
「さて、それでは……アスタロト公爵。いくつか尋ねたいことがあるのだが。よいか?」
国王は壇上からリゲルに声をかけた。
「もちろんでごさいます。国王陛下」
「そなたがカインにかけたという魔法だが、解いてはもらえるだろうか?」
「陛下、それは私と取り引きを望む……ということでしょうか?」
リゲルは唇に人の好さそうな微笑を浮かべると、そつなく応える。
「いや……そうではなくてだな」
「アスタロト公爵。陛下とではなく、私と取り引きをいたしましょう」
あまりにも不敬なリゲルの物言いに、宰相が口を開きかけるが、話に割って入ったのはコーネリア聖女長だった。
心配そうな国王にコーネリア聖女長は「大丈夫です」と、肯く。
「おや。神殿の聖女長ともあろうお方が、私と取り引きをお望みですか? ……まあ、よろしいでしょう。貴女の望みとは?」
蜂蜜色の瞳は妖しく輝り、警戒の色を宿す。
「取り引きとはいっても、これは等価交換です。アスタロト公爵、あなたはカイン第二王子殿下にかけた魔法を解いてください。その代わりに、私はあなたを見逃して差し上げましょう」
コーネリア聖女長は真っ直ぐにルクレツィアとリゲルをみつめる。
落ち着きを取りもどしたルクレツィアは、フローラと肩を寄せて、不安そうに事の成り行きを見守っていた。
「ほう……。私を見逃してくださると? 魔界の屈強な四十の軍団を束ねる大公爵であるこの私を? 随分と自信がおありのようですね」
リゲルの不敵な挑発にも、コーネリア聖女長は動じない。柔和な口調で続けた。
「ええ。もしアスタロト公爵が神殿との対立をお望みでしたら……神殿は全力でお相手をいたします。お互いに手痛い深手を負うことになるかもしれませんが……私たちは刺し違えてでも、あなたを滅ぼす覚悟で挑みます」
口調には似つかわしくないコーネリア聖女長の不穏な決意。ルクレツィアは驚いてしまい、不安から思わずリゲルの上着の袖口を指先でつかむ。
「ですが……ルクレツィア嬢はそれを望んではいないでしょう?」
向けられたコーネリア聖女長の眼差しは深い。その瞳にルクレツィアは、不穏な決意とは正反対の温かな慈しみを覚えた。
「はい」
ルクレツィアは精一杯にこくこくと、懸命に肯く。
(コーネリア聖女長はまるで……わたしの気持ちをわかっているみたいだわ)
ルクレツィアのその様子に、リゲルは苦笑するしかなかった。袖口に添えられたルクレツィアの指をそっと外し、自分の指と絡める。
「仕方がないですね……今回はルクレツィアに免じて取り引きをいたしましょう。等価交換で」
「ええ。ルクレツィア嬢の顔を立てて、今回は等価交換で」
コーネリア聖女長はにっこりと微笑った。
「ですが……私が魔法を解いても、カイン第二王子殿下のティア嬢に対する情が消えて、必ず心が元にもどるという保証はありませんよ。魔法は暗示をかける切っ掛けにはなりますが、そもそもまったく関心のない相手には、いくら魅了の魔法でも効果はありませんので」
「そうなのか……。それでもよい」
国王は再びため息をついた。
「さあ、ではこれで用事は済みましたね。ではルクレツィア、そろそろ帰りましょう」
「え? ちょっと待って。まだフローラに話がある……」
有無を言わさずにルクレツィアを抱きかかえると、黒い翼を大きく広げたリゲル。ふわりと空中へと浮き上がる。
これに慌てたのは宰相とフローラと当のルクレツィアだった。
「ルクレツィア嬢、まだ帰られては困る! この度の件では国としても補償の責任がある。それらの手続きがまだ……」
「お嬢様! せっかくカイゼリアにお帰りになったのに、どこへ帰るというのです? それに、なんで悪……アスタロト公爵殿と一緒に帰らなくてはならないのですか?」
「リゲル、降ろして。まだ帰れないわ! フローラに話したいことがあるの。お願い」
「私はもう、随分と待ちましたよ。いっそうのこと、このまま私の城へと連れて帰りたいくらいなのですが」
リゲルは「やれやれ」と肩を竦めると、ルクレツィアの耳元でそう囁いた。




