【16】 侯爵令嬢、対峙する
✧・゜: *
塔にあるルクレツィアの部屋に暗殺者が侵入した夜 ──
「私を召還だしたのはティア嬢ですよ。それとさっきの暗殺者の手配もね」
リゲルはあっさりと告げた。
(……え?)
ルクレツィアはまじまじとリゲルをみつめる。
「それは……どういうこと?」
「そのままの意味です。私はティア嬢に召還だされて取り引きをしました」
古くから伝えられているとおりに、本来なら悪魔と取り引きをする場合の代価は己の魂です。しかし私はティア嬢の魂の代わりに、ルクレツィア、貴女を望んだ。
ティア嬢はすぐさま二つ返事で取り引きを成立させましたよ。そして……カイン第二王子の心を手にいれた。
だからといってまったく関心のない者には、魅了の魔法は効きません。カイン第二王子もティア嬢に少なからず思うところがあったのでしょう。
人間の心というものは、そういうところは少々やっかいでしてね。まあ、だからこそ魅力的だとも云えますが。
リゲルはそうルクレツィアに語った。
そこに含まれる情報量はいろいろと多く、どこから問えばいいのか……。
(だけど、ティア……なんということを……)
勝手にルクレツィアを悪魔と取り引きをする代価とし、自分の欲望を満たすために人の心を操り、ルクレツィアの生命を脅かした。
あまりにも身勝手だ。
震える両手をぐっと握りしめる。
そして、リゲル。
「……あなたはティアと取り引きをしたから……だからわたしに一目惚れをした……なんて嘘をついたの? わたしを騙して、取り引きの代価として魔界へと連れていくために?」
「私は嘘はついていませんよ」
リゲルは紅い瞳を真っ直ぐにみつめながら、宥めるようにルクレツィアの両手を包み込んだ。
「人間と違って、私たちは嘘をつくことはできません。あえて伝えないことはありますが」
「……」
「本当ですよ、ルクレツィア。私は貴女に惹かれてしまったのです」
「どうして……わたしなの?」
(それに、リゲルはどこでわたしのことを……?)
ルクレツィアにはそれも疑問だった。
(ティアに召還だされたとき? でも、取り引きの代価にするなら、もっと前……?)
「以前にも、貴女のすべてが好みだとお話ししました。私は純粋に貴女に惹かれているのです。こればかりは信じていただくほかはありません……。それとも、堕天使を信じろ……なんて滑稽ですか?」
これまでリゲルがルクレツィアのために動いてくれたこと、一緒に過ごした時間、慈しみを込めた微笑みのすべてが嘘だとは、偽りだとは思えなかった。思いたくはなかった。さっきは既のところで、命までも助けてくれたのだ。
(だけど……暗殺者はどうなった? 暗闇よりも昏い炎に包まれて、消されてしまったじゃない)
ルクレツィアの頭の中から、もうひとりのルクレツィアが語りかけてくる。
改めて突きつけられる。リゲルは堕天使で、魔界の公爵で、悪魔と呼ばれる存在なのだ。
「……」
ルクレツィアの沈黙の隙間を埋めるようにして、リゲルは旋律を口ずさんだ。以前にも何度か唄っていた子守唄。その旋律を囁くように紡ぎだす。
(この子守唄……なんだかとても懐かしい……)
無意識のうちに、ルクレツィアはリゲルの頬にそっと手を伸ばした。
リゲルは蜂蜜色の瞳を伏せる。ルクレツィアの手首をつかむと、掌に頬を擦りよせ、手首に口付けた。
「……!」
再びルクレツィアを囚えた蜂蜜色の瞳は、哀しい色を帯びている。
つきん ──
ルクレツィアの胸の奥に、小さな痛みと疼きが生まれた。
不用意に手を伸ばした薔薇の花の、トゲに指先を刺されてしまったような……。
「わたしにも……カイン第二王子殿下にしたように魔法をかけたの?」
リゲルはルクレツィアの手首を離すと、力なく首を振る。
「いいえ。先程も申し上げたように、魅了の魔法は相手にまったく関心のない者には効きません。それに、そんなことで貴女の心を手に入れても、私が虚しいだけです」
蜂蜜色の瞳から逃げるようにして、今度はルクレツィアが目を伏せる。
(リゲルの言ってることは本当? わたしはどうしたらいいの? どうしたいの?)
「この世界にいるよりも、貴女は私と一緒に魔界で暮らしたほうが絶対に幸せになれますよ。魔界の住人のほうが『人』の心がある」
紅い瞳に宿った感情を知ってか知らずか。
リゲルは蜂蜜色の瞳を妖しく輝らせて、ルクレツィアの耳元で囁いた。
✧・゜: *
「ルクレツィア、お前は自分ではなく、ティアが悪魔と取り引きをしたと……?」
そんなことは信じられないと、ローライド侯爵は首を横に振った。まるで醜悪なものを眺めるように、嫌悪を宿した目はルクレツィアを鋭く睨みつける。
ローライド侯爵の隣に立つローライド侯爵夫人も、険しい憎悪の眼差しでルクレツィアを射る。
「お父様、お母様。そんなことはすべてお姉さまの嘘です。お姉さまがわたしに罪をなすりつけようとしてるのです。悪いことを全部わたしのせいにして、カイゼリア王国に……ローライド侯爵家にもどってこようとしているのに違いありません! ああ! なんて恐ろしい!」
ティアは今にも泣き出しそうに瞳を潤ませた。ふるふると身体を震わせて、カイン第二王子にふらりと寄りかかる。その姿は肉食獣に狙われた憐れな小動物のようだ。
カイン第二王子はティアをしっかりと抱きしめると、ルクレツィアを射殺すばかりの形相で睨みつけた。
「たとえ濡れ衣を晴らしたとしても、わたしはローライド侯爵家には二度ともどるつもりはありません」
ルクレツィアは紅い瞳に静かな怒りを閉じ込めて、ティアだけをみつめている。
「わたしをわたしとして生きられないのは……もう……うんざりなの」
「静粛に! ご静粛に願います」
宰相は胸の内でため息をついた。
(まったく……告発者も被告発者も自分の娘だというのに……。ローライド侯爵はルクレツィア嬢のことを庇う気配はまるで微塵もない……)
宰相にも二人の娘がいる。もし、姉と妹がティアとルクレツィアの立場になったとしたら。ローライド侯爵のように平然と、どちらか一方だけを擁護することは難しいように思える。 というか、おそらくは出来ないだろう。
宰相は気丈に立つルクレツィアに憐れみを覚えた。
「ほかに言いたいことは?」
ルクレツィアは「いいえ」と、首を振る。「わたしは無実です。それだけです」
続いての証言は、参考人のフローラ。
「ルクレツィアお嬢様は本当に真面目で……。将来は侯爵家を継ぐために、家庭教師についてたいへん頑張っておいででした。リヘンツィア様がお亡くなりになってからは、いろいろと我慢をすることが多くても……。それが侍女である私どもにはなんともできずに……歯痒い思いでおりました。ローライド侯爵家は、お嬢様にとっては過ごしやすい環境ではありませんでした。お嬢様が不憫でした。それでも心根は真っ直ぐに、お優しくお育ちになって。そんなお嬢様が悪魔を召還だすなど、なにかの間違いです。絶対にあり得ません!」
フローラは目に涙を溜めていた。最後までしっかりと発言し、「あり得ないことだ」と強調した。




