【13】 侯爵令嬢、自覚する
寝台の横に椅子を置いて陣取ったリゲルは、真夜中でもルシアの傍らに付き添っていた。冷たい水で絞ったタオルを額に載せ、温くなる前にタオルを替える。スプーンですくった水や薬草茶をこまめに飲ませる。
荒い呼吸にルシアが苦しそうに魘されると、熱い手をにぎり子守唄を歌った。
朝には喉にもお腹にもやさしいパン粥を、ゆっくりとルシアの口元に運んだ。
リゲルの献身的な看病の甲斐もあってか、ルシアの熱は三日目には下がった。喉の痛みはまだ少しは残るものの、あと二日ほどすれば手習い所の仕事にも復帰できるかもしれない。
そんな日の朝のことだった ──
「おはよう、ルシア。もう起きてきても大丈夫ですか?」
「おはよう、リゲル。もう熱も下がったから。身体を慣らさなくちゃね」
「あまり無理はしないでくださいね。ほら、もっと暖炉の近くに寄って」
「そんなに心配しなくても大丈夫よ」
「パン粥も薬草茶もつくってありますから」
「いろいろと……ありがとう。いただくわね」
ルシアは寝台横の机の引き出しから、小箱を取り出していた。それを持って朝食の席へとつく。
熱いパン粥を器に盛ったリゲルは、ルシアの前に薬草茶と一緒に置く。
「さあ、温かいうちに召し上がれ」
「ありがとう。あのね、リゲルも座ってほしいの。……渡したいものがあるから」
「なんでしょう?」と首をかしげるリゲル。ルシアの隣に椅子を引き寄せた。
ルシアはそっと小箱を差し出す。
「これは? 私に?」
驚くリゲルに、こくんと肯くルシア。
「あの……なんていうか……」
(リゲルに借りをつくりたくないだけだから。ただ、それだけだから)
そうは思っていても、なんだか気恥ずかしくなってしまう。真っ直ぐに蜂蜜色の瞳を見ることができない。
「開けてもいいですか?」
ルシアはまたもや肯くだけ。
とても大切なものを扱うように。リゲルは丁寧にゆっくりと小箱の蓋を開けた。
小箱の中から現れたのは、深い緑色と紺色の絹糸、薄い黄緑色の硝子ビーズを組み合わせた髪紐。複雑で繊細な模様からは、編み込む手間の大変さが伝わってくる。
リゲルは髪紐を手のひらの上に載せた。
驚いた表情でそのまましばらくじっと見つめている。それから「これは……ルシアがつくったの?」と訊いた。
「あの、ほら、宿代とか食費とか家賃とか、ほかにもいろいろとあるけど、リゲルは受け取ってくれないじゃない? だから、その代わりじゃないけど、ぜんぜん代わりにはならないかもしれないけど……。好みとかは分からなかったから、髪色に似合うような色を選んだつもりなんだけど……。べ、別に深い意味はないの。借りはつくりたくないし、ただ、それだけだから。だから、気に入らなかったらそのまま捨ててちょうだい。でも、あの、その、もし、よかったら……」
肯く代わりにルシアは早口で捲し立てた。途中からは口だけが勝手に回ってしまい、なにを喋っているのか自分でも分からなくなった。
ただ礼だと言って渡すだけでよいはずなのに。深い意味はない。本当にそれだけのはずなのに……。どうしてこんなにも気恥ずかしくて、余計なことばかりを口走ってしまうのか。
「……ありがとう。とても嬉しい」
泣いているような笑っているような、リゲルは今までにルシアには見せたこともない表情をした。その瞬間に、ルシアの胸の鼓動は大きく跳ねる。
「この紐で私の髪を結ってくれますか?」
リゲルはルシアに髪紐を差し出す。
勝手に熱くなってしまった頬を隠そうとして、ルシアはうつむいた。戸惑いながらも肯く。
(わたし……。どうしよう……)
不意にわかってしまった。
このままリゲルの髪に触れてしまったら……。まだ迷う気持ちもある。それでも……ルシアはリゲルに手を伸ばしかける。
そのときに ──
玄関の扉が強く叩かれた。
「朝早くから失礼いたします。こちらにルシア・アスティと名乗るご令嬢はお住まいでしょうか? 私たちはカイゼリア王国からの使いの者です」
突然のことに驚いてしまい、ルシアの手は止まってしまった。
(カイゼリアから……?!)
「ルシア・アスティと名乗るご令嬢がお住まいだとうかがって参りました」
「私が出ましょう」
リゲルは立ち上がると、玄関の扉を開けた。
粉のような雪がちらちらと舞い落ちる中、そこに立っていたのは、カイゼリア王国の近衛騎士たちだった。
彼らは部屋の中にすぐにルシアを認めると、ざっと扉の外で跪く。
「その紅い瞳と白銀の髪。まさしくルクレツィア・ローライド侯爵令嬢であらせられますな。ご無事でなによりです。カイゼリア王国、国王陛下の命により、貴女様をお迎えに参りました」
ルシアは先頭の騎士には見覚えがあった。
王城でカイン第二王子に婚約を破棄され、即時に国外追放に処されたとき。カイン第二王子に異を唱えた近衛騎士長だった。
✧・゜: *
ルクレツィアはカイゼリア王国へと向かう馬車の中にひとりだった。
追放刑に処されて、国境の砦に送られたときの馬車とはまるで違う。
座席にはやわらかなクッションが張られており、身体をゆったりと横にすることができるほどに広い。カーテン付きの窓も大きく、明かりがほしければ陽の光を取り込める。揺れも少なく、長い時間座ったままでいても腰も痛くならない。
ルクレツィアはカーテンを開けて、窓の外の景色を眺めていた。葉の落ちた街道の木々は寒々しい。
ルミリア王国の王都ミリアッシュの門を出てからすでに十日ほどが過ぎている。
通常は馬車ならミリアッシュからカイゼリア王国の王都リアラインまでは、二十日と少しかかるらしい。だが、精鋭たちが集う王家直属の近衛騎士隊。騎士長は「その日数の半分ほどで帰還します」と請け合った。その言葉が事実なら、あと数日もかからずにリアラインに到着するはずだ。
迎えにきた近衛騎士長たちは、このまますぐにルクレツィアを保護し、カイゼリア王国にもどると言った。
「それは困ります。わたしにも都合が……」
ルクレツィアはフィールたちや手習い所の子どもたちを思い浮かべた。
(なにも言わずにいなくなったら……。心配と迷惑をかけてしまうわ)
「しかし、保護次第、早急に帰国させるという命を受けておりますので」
結局は騒ぎを聞き付け、心配して様子を見にきてくれた隣家の老夫婦に、手習い所への伝言を頼むことになった。
暖炉の火を消して近衛騎士たちと家を出るときには、リゲルの姿はどこにもなかった。
テーブルの上には、蓋の開けられた小箱がそのままに残っていた。




