第3話 同じ寮に行きたかったのに
「拓海! まだ帰んねえの?」
十一月の放課後。
園芸部の花壇で苗を植えていた内田拓海は、聞き慣れた声に顔を上げた。
藤原健太が、フェンスの向こうから手を振っている。
黒い学ランの下に、バスケットボール部の練習着が少し見えていた。
「……健太。部活、終わったの?」
「おう! 今日は早かった!」
健太は花壇のそばまで来ると、拓海の手元をのぞき込んだ。
「何植えてんの?」
「スイートピー。春に咲くんだ」
「へえ。まだこんなに小さいのに?」
「うん。寒い間に根を伸ばすから」
拓海は、小さな苗をそっと土へ戻した。
セーラー服の袖を汚さないように、上から作業用の上着を着ている。
スカートも汚れないように整え、膝をついて作業していた。
「あと何個?」
健太が尋ねる。
「……六個くらい」
「よし、手伝う!」
健太は鞄を置き、袖をまくった。
拓海は慌てて顔を上げた。
「えっ、でも、部活終わったばっかりでしょ?」
「終わったから来たんだって!」
「……疲れてない?」
「平気!」
健太は、にっと笑った。
「ほら、何すればいい?」
拓海は、少し迷った。
本当は嬉しかった。
健太と一緒に花を植えられる。
ただそれだけのことが、胸の奥を温かくした。
でも、健太には自分の時間がある。
付き合わせるのは申し訳ない気がした。
「……無理ならいいんだけどさ」
「何が?」
「……この苗、運んでもらえる?」
健太は、すぐに苗のケースを持ち上げた。
「それくらい先に言えって!」
拓海は、小さく笑った。
「……ありがとう」
「おう!」
二人で苗を植え始める。
健太が穴を掘り、拓海が苗を置く。
そのあと二人で土を寄せ、水をやる。
健太は力加減が少し大雑把だったが、拓海が教えるとすぐに覚えた。
「こう?」
「うん。もう少し土を柔らかくして」
「了解!」
拓海は、健太の手元を見ながら笑った。
バスケ部で走り回っているときの健太は、いつも勢いがある。
でも、苗を扱う手つきは意外と慎重だった。
「……健太、上手だね」
健太が顔を上げた。
「マジ?」
「うん。最初よりずっと」
健太は、嬉しそうに笑った。
「拓海の教え方がいいんだろ!」
拓海は、思わず俯いた。
健太は、いつもこうだ。
明るくて、何でもまっすぐ受け止めてくれる。
拓海が遠慮していると、すぐに気づく。
それでいて、何かをしてあげたという顔はしない。
(……好きだな)
拓海は、土をならしながら思った。
この気持ちが恋だと気づいたのは、夏の終わりだった。
健太がバスケの試合を終えて、真っ先に自分のところへ来てくれた日。
「勝ったぞ!」と嬉しそうに笑う顔を見て、拓海まで幸せになった。
それ以来、健太を目で追うことが増えた。
でも、その気持ちはまだ伝えていない。
健太は優しくて、誰とでも仲よくなる。
自分が特別だなんて、思えなかった。
「拓海?」
健太の声で我に返る。
「……あ、ごめん」
「何ぼーっとしてんだよ」
健太が笑った。
拓海も、つられて笑った。
最後の苗を植え終わる頃には、空が少し赤くなっていた。
「よっしゃ、終わり!」
健太が大きく伸びをする。
「ありがと。すごく助かった」
拓海が言うと、健太は満足そうに笑った。
「なあ、拓海」
「何?」
「春になったら、これ咲くんだろ?」
「……うん」
「じゃあ、咲いたら一緒に見ようぜ!」
拓海は、顔を上げた。
「……いいの?」
「何が?」
「……春も、一緒に見てくれる?」
健太は、不思議そうに首をかしげた。
「当たり前だろ。俺も植えたんだし!」
拓海は、嬉しくなって笑った。
「……うん。約束」
健太は、にっと笑った。
「おう!」
花壇の土は、まだ黒く湿っている。
小さな苗が並んでいるだけで、花は一つも咲いていなかった。
拓海は、春が待ち遠しくなった。
****
十二月。
寮の合同交流会が開かれた。
セーラー寮と学ラン寮の生徒が共用ホールに集まり、食事をしたり、ゲームをしたりする冬の行事だ。
拓海は、園芸部で育てた小さな鉢植えを会場に飾る係になっていた。
テーブルに花を並べていると、背後から声がした。
「拓海!」
振り返ると、健太がいた。
「……健太!」
拓海は、思わず笑った。
健太は、いつもどおり学ランを着ている。
自分はセーラー服。
同じ学校に通っていても、制服も寮も違う。
授業や部活のあとは一緒にいられるが、夜になると、それぞれの寮へ帰らなければならない。
拓海は、それが少し寂しかった。
「お前、もう準備終わった?」
健太が尋ねる。
「うん。あとこの鉢を置いたら」
「じゃあ、それ俺が持つ!」
健太は、一番大きな鉢植えを持ち上げた。
「……重いよ?」
「知ってる! だから持ってんだろ!」
拓海は、思わず笑った。
二人で飾りつけを終えると、健太は満足そうにうなずいた。
「よし! 遊ぼうぜ!」
拓海も笑った。
その夜、二人は一緒にゲームをした。
お菓子を食べ、ほかの生徒と話し、写真も撮った。
健太は、ゲームで負けると悔しそうに騒ぎ、勝つと大げさに喜んだ。
拓海も、いつもよりたくさん笑った。
交流会の終わりが近づく頃、二人はホールの端の窓際に座っていた。
「……楽しかったな!」
健太が笑う。
拓海は、うなずいた。
「……うん」
健太は、紙コップを持ち上げた。
「こういうの、毎週あればいいのに」
拓海も、小さく笑った。
「……そうだね」
少しして、健太がぽつりと言った。
「……なあ、拓海」
「何?」
「同じ寮だったら、もっと一緒にいられるのにな」
拓海は、顔を上げた。
健太は、窓の外を見ていた。
「夜もゲームできるし、宿題も一緒にできるし。寝る前に、ちょっと話すことだってできるだろ?」
拓海は、胸がきゅっとした。
自分も、何度も考えていた。
夕食が終わっても、健太と一緒に帰れたら。
明日の朝も、同じ寮から出られたら。
そんな毎日だったら、どれほど嬉しいだろう。
「……そうだね」
拓海は、静かに答えた。
健太が、こちらを向いた。
「拓海は、そういうの嫌?」
「……え?」
拓海は、慌てて首を振った。
「嫌じゃない!」
思ったより大きな声が出た。
健太が、少し驚く。
拓海は、急に恥ずかしくなった。
「……あ、その」
健太は、じっと拓海を見ていた。
拓海は、勇気を出して続けた。
「……俺も、健太と同じ寮だったら嬉しい」
健太が、ぱっと笑った。
「だよな!」
その笑顔を見て、拓海も笑った。
でも、すぐに言い添えてしまった。
「……まあ、無理なら仕方ないけど」
健太は、少しだけ眉を寄せた。
「何でそこで諦めんだよ」
「……だって、制服違うし」
「来年だってあるだろ」
拓海は、目を丸くした。
「……来年?」
健太は、少しだけ考えたようだった。
それから、にっと笑う。
「……まあ、楽しみにしとけ!」
拓海は、首をかしげた。
「……何を?」
「それは秘密!」
健太は、楽しそうに笑った。
拓海も笑ったが、何のことなのかはわからなかった。
やがて、交流会の終了を知らせる放送が流れた。
二人は、共用ホールを出た。
セーラー寮と学ラン寮へ続く廊下の分かれ道。
「じゃあ、また明日!」
健太が手を上げる。
拓海も、小さく手を振った。
「……うん。また明日」
健太は学ラン寮へ向かっていった。
拓海は、その背中をしばらく見つめていた。
本当は、もう少し一緒にいたかった。
でも、その言葉は口にできなかった。
****
翌年三月。
健太がセーラー組への変更を希望していたと知ったのは、制服選択の結果が届いた日だった。
放課後、拓海が園芸部の花壇で水をやっていると、健太がやってきた。
いつもなら元気に手を振るのに、今日は少しだけ表情が違った。
「……健太?」
拓海が声をかける。
健太は、隣へしゃがんだ。
「拓海。ちょっと話していいか?」
「……うん」
健太は、しばらく土を見つめていた。
それから、口を開いた。
「俺さ、来年セーラーになろうと思ってたんだ」
拓海は、じょうろを持つ手を止めた。
「……え?」
「十二月の希望調査、セーラーにしたんだよ」
拓海は、健太を見つめた。
一月に正式な希望を出したが、二月にはセーラー組の希望者が定員を超え、抽選になったという。
そして三月の結果通知。
「……落ちた」
健太が言った。
「来年も学ランだって」
拓海は、何も言えなかった。
健太が、セーラー組を希望していた。
そんなこと、少しも知らなかった。
「……どうして?」
ようやく、それだけ尋ねた。
健太は、少し驚いた顔をした。
「どうしてって?」
拓海は、じょうろを置いた。
「……健太、学ラン好きだったでしょ」
「うん」
「……バスケ部の友達も学ラン組に多いし」
「そうだな」
「……なのに、どうしてセーラーに?」
健太は、まっすぐ拓海を見た。
「お前と同じ寮に行きたかったんだよ」
拓海の胸が、大きく跳ねた。
「……俺と?」
「おう」
健太は、少し照れたように笑った。
「冬の交流会で話しただろ。同じ寮だったら、もっと一緒にいられるって」
拓海は、あの夜を思い出した。
窓際の席。
紙コップの温かさ。
健太が話した、同じ寮で暮らす毎日。
自分も、そうなったら嬉しいと答えた。
まさか、健太が本当に制服を変えようとしていたなんて。
「……でも」
拓海は、俯いた。
「……俺のために、そんな」
健太が、少し眉を寄せた。
「拓海?」
「……ごめん」
拓海は、小さく言った。
「健太、学ランのほうが好きだったのに。俺があんなこと言ったから……」
「待て待て!」
健太が慌てて声を上げた。
拓海は、顔を上げた。
健太は、まっすぐこちらを見ていた。
「俺がそうしたかったんだって!」
「……でも」
「お前と一緒にいたかったから、俺が決めたんだよ」
拓海は、言葉に詰まった。
健太は、少しだけ笑った。
「セーラーも、一回着てみたかったしな。お前が似合ってるから、俺も案外いけるんじゃねえかと思って」
拓海は、思わず目を丸くした。
「……俺、似合ってる?」
「当たり前だろ」
健太は、いつものように笑った。
「お前、いつもきれいに着てるじゃん。似合ってるよ」
拓海は、胸元を見下ろした。
淡い青のリボン。
今朝、自分で整えたものだった。
健太に褒められるなんて思っていなかった。
でも、嬉しかった。
「……ありがとう」
小さく答えると、健太は笑った。
「おう!」
それから、少しだけ寂しそうな顔をした。
「……まあ、抽選には落ちたけどな」
拓海は、胸が痛くなった。
同じ寮に住みたかった。
健太も、そう思ってくれていた。
でも、その願いは叶わなかった。
「……健太」
「ん?」
「……ごめんね」
健太は、しばらく拓海を見ていた。
それから、少しだけ息を吐いた。
「……だから、謝るなって」
拓海は、何も言えなかった。
健太は、土のついた自分の手を見た。
「俺さ、結構楽しみにしてたんだよ。同じ寮に行けるの」
拓海は、顔を上げた。
「ゲームだって毎晩できるし、お前が育ててる花の話も、寝る前に聞けるだろ」
健太は、少し笑った。
「……残念だったわ」
その言葉を聞いた途端、拓海の胸がぎゅっとした。
健太は、本当に一緒に暮らしたかったのだ。
それなのに、自分は謝ってばかりいる。
健太が聞きたいのは、きっとそんな言葉ではない。
拓海は、ぎゅっと指先を握った。
「……健太」
「何?」
「……俺も」
声が小さくなる。
でも、今度はやめなかった。
「……俺も、同じ寮に行きたかった」
健太が、顔を上げた。
拓海は、勇気を出して続けた。
「……だから、セーラーを希望してくれたの、すごく嬉しかった」
健太は、しばらく拓海を見つめていた。
それから、ぱっと笑った。
「……そっか!」
拓海も、少し笑った。
健太は、嬉しそうに続けた。
「じゃあ、今年もいっぱい一緒にいようぜ!」
拓海は、うなずいた。
「……うん」
制服は変わらない。
寮も別々のままだ。
でも、健太が自分と一緒にいたいと思ってくれている。
そのことを、拓海は大切にしたかった。
****
四月。
二年生になっても、二人の制服は変わらなかった。
拓海はセーラー組。
健太は学ラン組。
寮も、これまでどおり別々だった。
春になると、園芸部の花壇ではスイートピーが咲き始めた。
冬の間に少しずつ伸びたつるが支柱に絡み、淡い色の花をつけている。
拓海は、毎朝花壇を見るのが楽しみだった。
ある日の放課後。
「拓海!」
健太が、花壇の向こうから声をかけてきた。
「……健太!」
拓海は、ぱっと顔を上げた。
健太は、練習着姿だった。
「部活、どうしたの?」
「今日は自主練だけ! ちょっと早く終わった!」
そう言って、花壇のそばへ来る。
「……おお!」
健太は、咲いた花を見て目を丸くした。
「これ、あのとき植えたやつ!?」
拓海は、嬉しくなった。
「……うん!」
二人で植えたスイートピー。
小さな苗だったものが、今はこんなに大きくなった。
健太は、しゃがんで花を見た。
「すげえな。ちゃんと咲いたんだ」
「……うん」
拓海は、健太の隣へしゃがんだ。
「健太が手伝ってくれたから」
健太は笑った。
「ほとんどお前が世話したんだろ」
「でも、一緒に植えたから」
拓海は、そっと花に触れた。
健太も、同じ花を見ている。
去年の十一月、二人で小さな苗を植えた。
あのとき健太が約束してくれた。
春になったら、一緒に見よう、と。
「……健太」
「ん?」
「……約束、覚えててくれたんだね」
健太は、不思議そうに首をかしげた。
「そりゃ覚えてるだろ」
拓海は、顔を上げた。
健太は、にっと笑った。
「拓海と一緒に植えた花だぞ?」
拓海は、胸がいっぱいになった。
健太は、何でもないように言う。
でも、自分にとっては、忘れられない言葉だった。
少しして、健太が言った。
「……なあ、拓海」
「何?」
「今年も、いっぱい一緒にいようぜ」
拓海は、顔を上げた。
健太は、にっと笑った。
「寮は別々だけどさ。放課後とか、休日とか、時間あるだろ?」
拓海は、胸が温かくなった。
「……うん」
健太は続けた。
「バスケの試合も、また見に来てくれよ」
拓海は、小さく笑った。
「……行きたい」
「じゃあ、決まり!」
健太が、嬉しそうに笑った。
拓海は、少しだけ迷った。
いつもなら、ここで「無理ならいいんだけど」と続けてしまう。
でも、今日は言わなかった。
代わりに、健太の顔を見た。
「……次の試合、いつ?」
健太が、目を丸くした。
それから、ぱっと笑った。
「来週の土曜!」
「……じゃあ、見に行く」
健太は、嬉しそうにうなずいた。
「おう! 待ってる!」
拓海は、思わず笑った。
自分から約束できた。
健太が嬉しそうにしてくれた。
そのことが、何より嬉しかった。
****
六月。
拓海は、バスケットボール部の練習試合を見に行った。
体育館には、シューズが床を擦る音と、選手たちの声が響いていた。
健太は、コートの中を走り回っている。
パスを受け、相手をかわし、ゴールへ向かう。
拓海は、思わず身を乗り出した。
「……健太!」
シュートが決まる。
歓声が上がった。
健太は、仲間とハイタッチを交わした。
それから、観客席のほうを見た。
拓海と目が合う。
健太が、大きく手を振った。
拓海は、少し驚いたあと、笑って手を振り返した。
ほかにも観客は大勢いた。
それでも、健太は自分を見つけてくれた。
そのことが、たまらなく嬉しかった。
試合が終わったあと。
健太は、タオルを首にかけて体育館から出てきた。
「拓海!」
「……健太。お疲れさま」
拓海は、用意していたスポーツドリンクを差し出した。
健太が、少し驚いた顔をする。
「……俺に?」
「……うん」
拓海は、少し照れながら続けた。
「この前、これが好きって言ってたから」
健太は、ボトルを見た。
「あ! そうそう、これ!」
ぱっと笑う。
「覚えてたのか!」
拓海は、うなずいた。
「……うん」
健太は、嬉しそうに飲み物を受け取った。
「ありがと!」
ひと口飲んで、大きく息を吐く。
「うまっ!」
拓海も、思わず笑った。
健太は、少し照れたように言った。
「……お前、見に来てくれると嬉しいわ」
拓海は、顔を上げた。
「……そう?」
「おう。今日も観客席にいるの見つけたら、もっと頑張ろうって思った」
拓海の頬が熱くなった。
健太は、いつもまっすぐだ。
嬉しいことも、好きなことも、素直に口にする。
自分も、こんなふうに言えたらいいのに。
拓海は、少しだけ勇気を出した。
「……俺も」
健太が顔を上げる。
「ん?」
拓海は、ゆっくり続けた。
「……健太が頑張ってるところ、見るの好き」
健太は、目を丸くした。
それから、嬉しそうに笑った。
「……マジ?」
拓海は、うなずいた。
「……うん」
健太は、少しだけ照れたように笑った。
「……じゃあ、もっと頑張るわ」
拓海は、思わず笑った。
「……無理しないでね」
健太も笑う。
「わかってる!」
二人は、並んで体育館を出た。
帰り道。
拓海は、隣を歩く健太を見た。
試合で疲れているはずなのに、健太は楽しそうに今日のプレーを話している。
拓海は、その声を聞くのが好きだった。
でも、いつかは帰り道が終わってしまう。
また、別々の寮へ戻らなければならない。
そう思うと、少し寂しかった。
「……健太」
「ん?」
拓海は、思いきって尋ねた。
「……次の試合も、見に行っていい?」
健太は、足を止めた。
「……え?」
拓海は、緊張しながら続けた。
「……また、応援したいから」
健太は、しばらく拓海を見ていた。
それから、満面の笑みになった。
「当たり前だろ!」
拓海も、嬉しくなって笑った。
健太が、にっと笑う。
「先に言えって! 俺、めっちゃ嬉しい!」
拓海は、顔が熱くなった。
でも、今度は俯かなかった。
「……うん」
健太と一緒にいたい。
その気持ちを、自分から伝える。
少しずつなら、できるようになってきた気がした。
****
十一月。
スイートピーの花が終わり、園芸部では来年に向けた準備が始まっていた。
拓海は、去年と同じ花壇で土をならしていた。
「拓海!」
健太が、いつものようにやってきた。
「……健太」
拓海は、笑った。
「今日も手伝ってくれる?」
健太は、一瞬目を丸くした。
それから、にっと笑う。
「おう! もちろん!」
拓海は、苗の入ったケースを差し出した。
「……じゃあ、こっちお願い」
健太が、嬉しそうに受け取る。
「了解!」
二人は、去年と同じように苗を植え始めた。
健太が穴を掘り、拓海が苗を置く。
土を寄せて、水をやる。
一年経った今では、健太も苗を傷つけずに植えられるようになっていた。
「……健太、上手くなったね」
拓海が言うと、健太は得意げに笑った。
「だろ! 去年もやったし!」
拓海は、小さく笑った。
去年の今頃、二人で最初のスイートピーを植えた。
あのときは、健太に何かを頼むことさえ遠慮していた。
今は、自分から手伝ってほしいと言える。
試合を見に行きたいとも、一緒に帰りたいとも言えるようになった。
まだ緊張することはある。
でも、健太はいつも嬉しそうに答えてくれた。
作業を終えたあと、健太が大きく伸びをした。
「よっしゃ! 今年もきれいに咲くといいな!」
拓海は、うなずいた。
「……うん」
それから、少しだけ考えた。
「……健太」
「何?」
「……来年の春も、一緒に見たい」
健太が、顔を上げた。
拓海は、ゆっくり続けた。
「今年の花も、健太と見られて嬉しかったから」
健太は、しばらく拓海を見つめていた。
それから、ぱっと笑った。
「……もちろん!」
拓海も笑った。
健太は、嬉しそうに続けた。
「なあ、拓海」
「何?」
「最近、お前から誘ってくれること増えたよな」
拓海は、少し驚いた。
「……そう?」
「おう! 俺、すげえ嬉しい!」
拓海は、胸が温かくなった。
健太は、ちゃんと気づいてくれている。
自分が勇気を出していること。
健太と一緒にいたくて、自分から声をかけていること。
拓海は、少しだけ笑った。
「……俺も、嬉しい」
健太は、ぱっと笑った。
「よし! じゃあ、これからもいっぱい誘ってくれよ!」
拓海は、ゆっくりうなずいた。
「……うん」
その日の帰り道、拓海は自分から健太を冬の寮合同交流会に誘った。
「……今年も、一緒に回らない?」
健太は、即答した。
「行く!」
拓海は、思わず笑った。
「……まだ最後まで言ってない」
「言わなくてもわかるって!」
健太は、楽しそうに笑った。
拓海も笑った。
今度の交流会は、自分から誘った。
それだけで、去年とは少し違う気がした。
****
十二月。
冬の寮合同交流会。
共用ホールは、去年と同じように賑わっていた。
拓海は、園芸部の展示コーナーに、小さな花の写真を並べていた。
春に撮ったスイートピーの写真。
その中には、健太と二人で花壇の前に立っている写真もあった。
健太が花を指さして笑い、拓海も隣で笑っている。
写真を見ると、その日のことを思い出す。
「拓海!」
背後から声がした。
振り向くと、健太がいた。
「……健太!」
拓海は、ぱっと笑った。
「準備終わった?」
「うん。もう大丈夫」
「じゃあ、一緒に回ろうぜ!」
健太は、当たり前のように隣へ来た。
二人は、共用ホールを回った。
ゲームに参加し、飲み物を買い、友人たちと話す。
去年と同じような交流会だった。
でも、拓海には去年よりずっと楽しく感じられた。
自分から健太を誘った。
健太も、嬉しそうに来てくれた。
それだけで、胸が温かくなる。
交流会の終わりが近づく頃、二人は園芸部の展示コーナーへ戻った。
健太は、スイートピーの写真をじっと見ていた。
「……懐かしいな」
拓海は、うなずいた。
「……うん」
健太が、写真を指さした。
「これ、俺らで植えたやつだろ?」
「そう」
「ちゃんと咲いて、よかったな」
拓海は、小さく笑った。
「……うん」
健太は、写真を見つめたまま言った。
「……なあ、拓海」
「何?」
「去年さ、同じ寮に行きたいって言っただろ」
拓海は、顔を上げた。
健太は、少しだけ笑った。
「結局、行けなかったな」
拓海の胸が、きゅっとした。
「……うん」
健太は、写真を見つめた。
「でも、今年もいっぱい一緒にいられた」
拓海は、ゆっくりうなずいた。
「……うん」
健太が、こちらを向いた。
「お前が誘ってくれるようになったからな!」
拓海は、少し驚いた。
「……そうかな」
「そうだって!」
健太は、嬉しそうに笑った。
「試合も見に来てくれるし、放課後も一緒に帰ろうって言ってくれるし」
拓海は、胸がいっぱいになった。
健太は続けた。
「……俺さ」
「……うん」
「拓海に誘われると、すげえ嬉しいんだよ」
拓海は、顔を上げた。
健太は、まっすぐこちらを見ていた。
その目が、いつもより少し真剣だった。
拓海は、胸がどきどきした。
「……健太」
「ん?」
「……俺も、嬉しい」
健太は、静かに聞いていた。
拓海は、ゆっくり顔を上げた。
「健太が誘ってくれるのも、花壇を手伝ってくれるのも、試合のあとに俺を見つけてくれるのも」
言葉にすると、胸が熱くなった。
それでも、続けた。
「……全部、嬉しい」
健太は、しばらく拓海を見つめていた。
それから、少しだけ笑った。
「……そっか」
そのとき、交流会の終了を知らせる放送が流れた。
生徒たちが、片づけを始める。
拓海と健太も、展示の写真を回収した。
健太は、二人で写ったスイートピーの写真をそっと手に取った。
「……これ、いい写真だな」
拓海は、小さく笑った。
「……うん」
健太が、写真を返す。
「来年も、一緒に撮ろうぜ!」
拓海は、うなずいた。
「……うん」
片づけが終わると、二人は共用ホールを出た。
セーラー寮と学ラン寮へ続く廊下。
去年と同じ場所だった。
健太が、いつものように手を上げた。
「じゃあ、また明日な!」
拓海は、うなずこうとした。
でも、できなかった。
また明日。
そう言って別れるのは、いつものことだ。
明日も学校で会える。
来週も、一緒に花壇の作業ができる。
来年の春には、また二人でスイートピーを見られる。
それでも。
今夜は、まだ帰りたくなかった。
去年も、同じことを思っていた。
あのときは、言えなかった。
健太の背中を見送ることしかできなかった。
でも、今は違う。
拓海は、ゆっくり手を伸ばした。
健太の学ランの袖をつかむ。
「……健太」
健太が振り向いた。
「ん?」
拓海は、少しだけ俯いた。
胸が、どきどきする。
それでも、手は離さなかった。
「……待って」
健太が、目を丸くした。
「……拓海?」
拓海は、ゆっくり顔を上げた。
「……まだ、一緒にいたい」
健太は、しばらく何も言わなかった。
拓海は、勇気を出して続けた。
「……帰ってほしくない」
健太が、少し驚いた顔をする。
拓海は、袖を握る指に力を込めた。
「去年も、ここで別れたとき、同じこと思ってた」
健太は、静かに聞いていた。
拓海は、胸がいっぱいになった。
「……健太と同じ寮に住みたかった」
健太の目が、大きくなる。
「春も、夏も、ずっと一緒にいたかった。夜も一緒に帰りたかった」
言葉が、次々に出てきた。
「……今も、もっと一緒にいたい」
健太は、ゆっくり息を吐いた。
それから、少し困ったように笑った。
「……先に言えって」
拓海は、顔を上げた。
健太は、まっすぐこちらを見ていた。
「お前、いつも『無理ならいい』って言うだろ」
拓海は、うなずいた。
「……うん」
「俺さ、あれ言われると、ちょっと寂しいんだよ」
拓海は、胸が痛くなった。
健太は続けた。
「俺が無理して付き合ってると思われてんのかなって」
「……違う!」
拓海は、思わず声を上げた。
健太が、少し驚く。
拓海は、必死に続けた。
「……健太が嫌だったらどうしようって、いつも考えちゃって」
健太は、黙って聞いていた。
「本当は、俺が一緒にいたいのに。健太に迷惑かけたくなくて、言えなかった」
拓海は、ゆっくり顔を上げた。
「……でも、もう遠慮したくない」
健太の表情が、少しずつ柔らかくなった。
拓海は、もう俯かなかった。
「毎日、一緒に帰りたい。朝も、最初に会いたい」
健太は、まっすぐ拓海を見ていた。
「……健太が、好きだから」
言ってしまった。
ずっと隠していた気持ち。
健太のことが好き。
ただの友達としてではなく、恋人になりたい。
拓海は、ぎゅっと袖をつかんだ。
「……俺、健太の恋人になりたい」
健太は、しばらく動かなかった。
拓海は、胸がどきどきするのを感じた。
怖かった。
でも、後悔はなかった。
自分の気持ちを、ちゃんと言えた。
健太は、ゆっくり息を吐いた。
それから、少しだけ笑った。
「……やっと言ったな」
拓海は、目を丸くした。
「……え?」
健太は、少し照れたように笑った。
「俺も、お前が好きだよ」
拓海は、何も言えなかった。
健太は続けた。
「ずっと好きだった」
拓海の胸が、大きく跳ねた。
「……健太」
健太は、まっすぐこちらを見た。
「同じ寮に行きたかったのも、お前ともっと一緒にいたかったからだよ」
拓海は、胸がいっぱいになった。
健太は、少しだけ視線を落とした。
「……でもさ」
「……うん」
「俺も、なかなか言えなかったんだ」
拓海は、驚いて顔を上げた。
「……健太が?」
健太は、照れくさそうに笑った。
「俺、いつもお前を誘ってただろ?」
「……うん」
「お前、嫌って言わないし、いつも付き合ってくれるじゃん」
拓海は、うなずいた。
健太は、少しだけ困った顔をした。
「でも、それが俺と一緒にいたいからなのか、断りにくいだけなのか、わかんなかったんだよ」
拓海は、息をのんだ。
健太は、いつも明るい。
思ったことをすぐ口にする。
だから、そんなふうに迷っていたなんて考えもしなかった。
「制服を変えるのは、俺が自分で決められることだろ?」
健太は続けた。
「でも、好きだって言ったら、お前に返事してもらうことになる」
拓海は、静かに聞いていた。
「お前、俺が困らないようにって、自分の気持ちを後回しにすることあるからさ」
健太は、少しだけ笑った。
「……俺のために、無理して『いいよ』って言われるのが怖かった」
拓海は、胸がぎゅっとした。
「……健太」
「だから、ずっと一緒にいたかったけど、なかなか言えなかった」
健太は、ゆっくり息を吐いた。
「まあ、俺も怖がってただけなんだけどな」
拓海は、健太を見つめた。
いつも明るくて、自信がありそうな健太。
その健太も、自分と同じように怖かったのだ。
健太が、にっと笑った。
「でも、最近のお前は違っただろ」
拓海は、顔を上げた。
「試合に来たいって言ってくれたし、花壇も手伝ってって頼んでくれたし」
健太は、嬉しそうに続けた。
「交流会も、お前から誘ってくれた」
拓海の頬が、熱くなった。
健太は、まっすぐこちらを見た。
「……俺、あれがめっちゃ嬉しかった」
拓海は、胸がいっぱいになった。
健太は、ゆっくり笑った。
「拓海が俺と一緒にいたいって、ちゃんと言ってくれたから」
拓海は、とうとう笑ってしまった。
「……俺、ずっと一緒にいたかったよ」
健太も笑った。
「……そうだな」
拓海は、少しだけ首を振った。
「……ごめん。ちゃんと言わなくて」
健太は、呆れたように笑った。
「だから、謝んなって!」
拓海も、つられて笑った。
でも、今度はそれで終わらせなかった。
「……じゃあ」
健太が顔を上げる。
拓海は、まっすぐ見つめた。
「……ありがとう。待っててくれて」
健太は、少しだけ目を丸くした。
それから、嬉しそうに笑った。
「……おう!」
拓海は、袖をつかんだ手を離さなかった。
健太も、動かなかった。
二人の距離は、すぐ近くだった。
拓海は、ゆっくり一歩近づいた。
健太が、少し驚いた顔をする。
それでも、目をそらさなかった。
拓海は、思いきって背伸びをした。
唇が、ほんの少し触れた。
一瞬だけ。
すぐに離れてしまった。
拓海は、顔が熱くなった。
「……っ!」
健太が、目を丸くしている。
拓海は、急に恥ずかしくなった。
「……ご、ごめ……」
言いかけて、口を閉じた。
今のキスは、自分でしたかったからした。
そこまで謝る必要はない。
拓海は、もう一度健太を見た。
「……嫌だった?」
健太は、ぱっと笑った。
「嫌なわけねえだろ!」
拓海は、胸がいっぱいになった。
健太は、少し照れくさそうに頭をかいた。
「……びっくりしただけ」
「……うん」
「お前から来ると思わなかった!」
拓海は、ますます顔が熱くなった。
「……俺も、ちょっとびっくりした」
健太は、声を出して笑った。
拓海も笑った。
しばらくして、健太がそっと手を伸ばした。
拓海の手を取る。
「……拓海」
「……何?」
健太は、少しだけ真面目な顔になった。
「俺、お前と付き合いたい」
拓海は、胸がいっぱいになった。
「……うん」
健太は、まっすぐこちらを見ている。
拓海は、ぎゅっと手を握り返した。
「……俺も。健太と付き合いたい」
健太は、満面の笑みになった。
「……やった!」
その笑顔が嬉しくて、拓海も笑った。
健太は、もう片方の腕で拓海を抱きしめた。
拓海も、そっと背中へ腕を回す。
今まで、何度も一緒にいた。
花を植えた。
試合を応援した。
帰り道を並んで歩いた。
でも、恋人として抱きしめられるのは初めてだった。
拓海は、その温かさが嬉しかった。
少しして、健太が身体を離そうとした。
そのとき。
拓海は、もう一度袖をつかんだ。
「……健太」
「ん?」
拓海は、少しだけ照れながら言った。
「……もう一回、キスしたい」
健太が、目を丸くした。
それから、ゆっくり笑った。
「……おう!」
今度は、健太が拓海の手をしっかり握った。
拓海も、自分から顔を上げる。
二人は、もう一度キスをした。
さっきより、少し長い。
慌てて離れることもなかった。
健太の腕が、拓海の背中へ回る。
拓海も、学ランの背中をそっと抱きしめ返した。
やがて、ゆっくり離れた。
健太が、優しく笑った。
「……拓海」
「……うん」
「……可愛いな、お前」
拓海は、顔が熱くなった。
でも、今度は俯かなかった。
健太を見つめて、小さく笑った。
「……健太も、格好いい」
健太が、少し照れたように笑った。
「……マジ?」
拓海は、うなずいた。
「……うん」
健太は、嬉しそうに笑った。
それから、拓海をぎゅっと抱きしめた。
拓海も、しっかり抱きしめ返した。
****
しばらくして、二人は寮へ続く廊下を歩き出した。
指を絡め、手をつないでいる。
さっきまでと同じ廊下だった。
でも、拓海には少し違って見えた。
健太と恋人になった。
ずっと好きだった相手が、自分を好きだと言ってくれた。
そのことが、まだ夢のようだった。
やがて、いつもの分かれ道に着いた。
右へ行けばセーラー寮。
左へ行けば学ラン寮。
拓海は、足を止めた。
去年も、ここで健太を見送った。
あのときは、もっと一緒にいたいと思いながら、何も言えなかった。
今年は、健太の手を握っている。
それでも、寮は別々だった。
今夜も、同じ部屋へ帰ることはできない。
拓海は、少しだけ寂しくなった。
すると、健太が言った。
「……なあ、拓海」
「何?」
「明日の朝、校門で待ち合わせしようぜ」
拓海は、顔を上げた。
健太は、にっと笑った。
「寮は別々だけどさ。一緒に登校できるだろ?」
拓海は、胸が温かくなった。
「……うん」
健太は続けた。
「あと、明日も一緒に帰ろう!」
拓海は、小さく笑った。
「……うん」
健太は、少し首をかしげた。
「……どうした?」
拓海は、握っていた手に力を込めた。
去年の自分なら、きっとここで言っていただろう。
「忙しかったら無理しなくていいよ」
「健太の都合が悪ければ大丈夫」
でも、今は違う。
拓海は、自分から言いたかった。
「……健太」
「ん?」
「……明日も、手をつないで登校したい」
健太は、目を丸くした。
それから、満面の笑みになった。
「もちろん!」
拓海も、嬉しくなって笑った。
「……それから」
健太が、顔を上げる。
拓海は、少し照れながら続けた。
「……部活が終わったら、一緒に帰りたい」
健太は、声を出して笑った。
「先に言えって!」
拓海も、笑った。
「……うん」
今度は、ちゃんと言えた。
健太と一緒にいたい。
その気持ちを、もう隠さなくていい。
二人は、もう一度手を握り直した。
「……じゃあ、明日な!」
健太が言った。
拓海は、まっすぐその顔を見た。
「……うん。また明日」
少しだけ名残惜しかった。
でも、さっきまでとは違う。
明日も、一緒にいたいと言える。
健太も、嬉しそうに答えてくれる。
拓海は、そっと手を離した。
健太も、最後にもう一度ぎゅっと握ってから離してくれた。
二人は、それぞれの寮へ歩き出す。
数歩進んだところで、拓海は振り返った。
健太も、ちょうど振り返っていた。
目が合う。
健太が、大きく手を振った。
拓海も、笑って手を振り返した。
同じ寮には行けなかった。
でも、健太と恋人になれた。
そして、何より。
大好きな人に、自分から「一緒にいたい」と言えるようになった。
拓海は、胸がいっぱいになった。
来年の春には、またスイートピーが咲く。
きっとそのときも、健太と一緒に見られる。
今度は、遠慮せずに誘おう。
そう思うと、自然に笑顔になった。
拓海は、もう一度だけ健太へ手を振った。
それから、嬉しい気持ちを抱えたまま、セーラー寮へ向かった。




