未知の金属
青みを帯びた金属質の鉱石を見つけてから三日間、伊織はそれを現実世界へ持ち出さなかった。鉄や銅なら気軽に触れられたが、正体の分からない物質となれば話は別であり、放射性物質や人体へ有害な成分を含んでいる可能性も考えたからだ。
箱庭の管理画面を開けば、鉱石そのものが強い毒性を持っているとは表示されていない。ただし《箱庭》は研究機関ではなく、詳しい元素構成や物理的性質まで教えてくれるわけではなかった。
「結局、自分で調べるしかないのか」
伊織は会社から帰宅すると、未知の金属を見つけた山地へ向かった。前回削った場所はそのまま残っており、僅かに青みを帯びた鉱石も岩盤の中に確認できる。
今回は採掘するためではなく、どの程度の範囲に存在するのか確かめるために来ていた。
地下情報を確認しながら周辺を歩いてみると、鉱床は一点だけに存在しているわけではなかった。山地の地下へ細長く続いており、少なくとも伊織が最初に想像したような小さな鉱石の塊ではないらしい。
「これも戻るなら、本当に困るな」
価値が低ければ困ることはない。
ただの珍しい石なら、箱庭の中へ置いておけば済む。
問題は、これまで見つけた鉄や銅、金や銀と同じように、この未知の鉱床まで再形成される場合だった。
伊織は鉱床の端にある場所から、ごく少量だけ鉱石を採取した。以前と同じように採掘前後の状態を記録し、目印も残してから、その場を離れる。
結果を待つ間にも、箱庭は成長を続けていた。
三度目の領域拡張で現れた山地にも植物が広がり始め、麓には若い森が形成されつつある。伊織が最初から植えたものだけではなく、既存の森から自然に種が運ばれた植物も多かった。
最近では、伊織が新しい生き物を購入する機会も減っている。
箱庭の中だけで繁殖し、それぞれが活動範囲を広げるようになったからだ。
伊織がやることは、極端に増えすぎた生物がいないか確認し、必要なら環境を少し調整する程度になっていた。
最初の頃に比べれば、随分と楽になった。
その一方で、地下について考える時間は増えていた。
未知の鉱石を見つける以前から、伊織は金属について少しずつ調べている。だが調べれば調べるほど、家庭でできる検査には限界があることも分かってきた。
硬さや重さなら比較できる。
磁石への反応も確認できる。
電気を通すかどうかについても、やり方を調べれば簡単な確認はできる。
しかし正確な成分や結晶構造となれば、専用の分析装置が必要になる。
「また分析に出すか……いや、これは駄目だよな」
以前依頼した鉱石は、現実世界にも存在する普通の鉱物だった。
だから問題にならなかった。
今回のものが本当に未知の物質だった場合、結果を見た分析会社がどう反応するか分からない。
少なくとも、拾った場所を聞かれる可能性はある。
そこで伊織は、まず箱庭の中だけで比較できることから試してみることにした。
最初に確認したのは重さだった。
同じ程度の大きさになるよう鉄を含む鉱石と未知の鉱石を用意し、それぞれを持ち比べてみる。見た目だけなら大差がないにもかかわらず、未知の鉱石は明らかに軽かった。
次に、小さな欠片へ磁石を近づけてみた。
ほとんど反応しない。
さらに金属部分が露出している箇所を工具で削ろうとしたところ、今度は別の違和感があった。
「硬いな」
想像していたより傷がつきにくかった。
力を入れれば多少は削れるものの、軽さから受ける印象とは一致しない。
伊織は無理に加工することをやめた。
素人が工具を使って正体不明の物質を削り続けるのは、さすがに危険だと思ったからだ。
それでも一つだけ分かった。
少なくとも、ただ色が変わった普通の石ではない。
それから二週間ほど経過した。
伊織は未知の鉱床へ向かい、採掘した場所を確認した。
「こっちもか……」
予想していた通りだった。
削り取った部分へ新しい鉱石が形成されている。
鉄や銅、金や銀で確認した現象と変わらない。
未知の鉱床も、箱庭の地下環境の一部として再形成されていた。
伊織はその場へ座り込み、しばらく岩肌を眺めた。
ここまでなら、まだ隠しておける。
誰にも言わず、自分も利用しなければいい。
しかし箱庭は今後も成長する。
領域が広がれば新しい資源が増える可能性が高く、すでに現実世界には存在しないかもしれない物質まで現れ始めている。
「どこまで増えるんだろうな」
管理画面を確認しても、最終的な領域の広さまでは分からない。
今後どんな環境が形成されるのかについても、すべてが事前に表示されるわけではなかった。
伊織は少し考えた末、未知の鉱石について最低限の検査だけは行うことにした。
ただし、外部へ分析を依頼するのはまだ早い。
まず危険性を確認する。
市販されている簡易的な測定器について調べ、安全確認に使えそうなものを揃えた。専門機関ほど正確ではないが、明らかに異常な反応があるかどうかを見る程度なら役に立つ。
数日後、必要なものが揃ったところで伊織は箱庭へ入った。
未知の鉱石を保管している場所へ向かい、距離を取りながら慎重に確認していく。
少なくとも簡易的な測定では、強い放射線が出ている様子はなかった。
伊織はそこで初めて、小さな欠片を現実世界へ持ち出した。
もちろん大量ではない。
指先に乗る程度の小片だけだった。
自宅へ持ち帰った後も容器へ入れて保管し、必要な時だけ取り出す。
重量を量り、同程度の大きさの金属と比較する。
次に簡単な導電性を確認する。
そこで伊織は手を止めた。
「通るんだな」
電気は通った。
それ自体は金属なら珍しくない。
ただし伊織の簡単な実験では、それ以上のことまでは分からなかった。
軽くて、硬く、電気を通す。
それだけなら既存の金属にも似た性質を持つものはある。
結局、専門的な分析をしなければ正体には近づけない。
伊織はパソコンの前で腕を組んだ。
分析会社へ出すことはできる。
だが結果が異常だった場合、その後の説明ができない。
山で拾ったと言えば、場所を聞かれるかもしれない。
購入したと言えば、購入元を聞かれる。
嘘を重ねるほど面倒になる。
「だったら、最初からちゃんとしたところに話した方がいいのか?」
そこまで考えて、伊織は自分で苦笑した。
ちゃんとしたところと言っても、どこへ行けばいいのか分からない。
警察へ箱庭の話をするのも違う。
役所の窓口へ相談したところで、異能を持っていますと話した瞬間にまともな相談として扱われるか怪しい。
大学へ突然持ち込むのも同じだった。
伊織はその日は結論を出さず、鉱石を箱庭へ戻した。
急ぐ理由はない。
もう少し自分で確認してから考えればいい。
その判断から一週間ほど経った休日、伊織は箱庭の山地を歩いていた。
未知の鉱床そのものではなく、周辺に他の変わった資源が存在しないか確認するためだった。
地下情報を見ながら歩いていると、山の反対側にも小さな反応がある。
伊織は気になって岩肌を少し削った。
そこから現れた鉱石は、前に見つけた青銀色のものとは違っていた。
見た目は黒に近い。
管理画面では既知の鉱物として表示されており、伊織が最近調べたことで名前を覚えた希少金属を含んでいるらしい。
用途を調べるため、伊織は現実へ戻った。
その金属は電子機器だけでなく、高温環境で使われる部品や特殊な合金など、様々な産業分野で利用されていた。
さらに調べていくと、日本国内で必要とされる鉱物資源の多くが海外から供給されていることも分かる。
伊織はそこで、金を見つけた時とは違う感覚を覚えた。
金なら売れば金になる。
分かりやすい。
だが産業に必要な資源は、単純な市場価格だけでは意味を測れない。
供給が途絶えれば困るものもある。
しかも箱庭では、それらが再形成される。
「これ、俺が思ってるより大きい話なんじゃないか?」
今さらながら、そんな考えが浮かんだ。
自分一人で採掘できる量なら社会へ影響することはない。
しかし箱庭の領域は広がり続けている。
鉱床も増えている。
もし将来、採掘設備まで箱庭へ入れられるようになれば、個人で扱える量を簡単に超える可能性がある。
そして何より、青銀色の未知の鉱石がある。
伊織は箱庭へ戻り、保管していた小片を取り出した。
手のひらの上に載せる。
軽い。
見た目には金属らしい光沢がある。
工具では簡単に傷つかない。
これが本当に未知の物質なのか、それとも自分が知らないだけの既存物質なのか。
そこだけは確かめたかった。
「一回だけ、出してみるか」
伊織は外部分析を利用することに決めた。
ただし最初から大きな試料を渡すことはしない。
成分分析に必要な最低限の量だけを切り分け、それ以上の情報は出さない。
依頼内容も複雑なものにはせず、まず構成成分を知ることを優先した。
数日後、伊織は以前利用したところとは別の分析機関を選び、小さな試料を送った。
結果が返ってくるまでの間、伊織は普段通り会社へ通った。
何も起きない。
問い合わせも来ない。
そのまま一週間ほどが過ぎた。
そして仕事中の昼休み、伊織のスマートフォンへ一通のメールが届いた。
分析を依頼していた機関からだった。
伊織は何気なく開こうとして、件名を見たところで指を止めた。
通常の分析結果を知らせる内容ではなかった。
提出した試料について確認したい事項があるため、入手経路を含めて一度話を聞きたいと書かれていた。
「……やっぱり、普通じゃなかったか」
伊織はすぐには返信しなかった。
会社の休憩室で返事をするような話ではない。
スマートフォンをポケットへ戻し、残っていた昼食を食べる。
午後の仕事を終え、帰宅してから改めてメールを開いた。
文面そのものは丁寧だった。
だが通常とは異なる分析結果が得られており、測定上の問題を除外するためにも、追加試料があれば再分析したいという内容だった。
伊織は椅子へ深く座り直した。
このまま無視することもできる。
追加試料を送らなければ、それで終わるかもしれない。
しかし伊織が知りたかった答えは、すでに半分出ている。
あの鉱石は、専門家が見ても普通ではない。
ならば次に考えるべきなのは、どう隠すかだけではなかった。
自分一人では扱えないものを、誰に預ければいいのか。
伊織は机の上のノートを開き、これまで箱庭で起きたことを読み返した。食料を育てられること、地下資源が形成されること、採掘した鉱床が時間とともに回復すること、そして現実では正体を確認できない金属まで生まれたことを整理していく。
全部を合わせれば、個人で抱え続ける方が危険なのかもしれない。
かといって民間企業へ箱庭そのものを話す気にはなれなかった。
利益を目的とする企業より、最初に相談するなら国の方がまだ選択肢として理解できる。
「日本政府……って、どうやって連絡するんだよ」
伊織は思わず笑った。
普通に生活している二十二歳の会社員が、政府へ直接相談する機会などあるはずもない。
それでも、箱庭の存在を誰かへ話す日が来るなら、相手を選ばなければならない。
伊織は分析機関から届いたメールへ、その日は返信しなかった。
代わりにパソコンを開き、政府機関や公的な研究機関について調べ始める。
箱庭を手に入れてから続いていた伊織だけの趣味は、この日を境に少しずつ形を変え始めた。
誰にも知られない小さな世界だった《箱庭》が、日本という国家へ繋がる最初の入口まで、ようやく辿り着いたのである。




