国へ繋がる方法
分析機関から届いたメールを前にして、伊織はすぐには返事を書かなかった。提出した試料について通常とは異なる結果が得られたため、入手経路を含めて詳しい話を聞きたいという内容であり、何も考えずに答えていい質問ではないことくらいは分かる。
だからといって、このまま無視して終わらせるのも気持ちが悪かった。分析を依頼した記録は残っているし、試料そのものも相手の手元にある以上、依頼を取り消したところで最初から何もなかったことにはできない。
「先に出すんじゃなかったな」
自分で依頼したのだから仕方がない。
伊織はパソコンの前で分析機関からのメールを読み直し、それから別のタブを開いた。昨夜から調べていたのは、政府機関や公的な研究機関へ一般人が相談する方法だった。
しかし調べてみても、当然ながら《未知の金属を持っていて、異能で作った別空間から採れました》という相談を受け付ける専用窓口など存在しない。
省庁の問い合わせ窓口ならある。
研究機関にも問い合わせ先はある。
だが、そこへ箱庭について書いたところで、最初に読む担当者がまともな相談だと判断してくれる保証はなかった。
「写真送っても、ただの石にしか見えないしな」
箱庭そのものを撮影することも考えたが、それでは能力の証明にならない。山や森の写真だけなら、どこかの私有地で撮影したと言われれば終わる。
もっと分かりやすい証明が必要だった。
伊織は一度パソコンを閉じ、箱庭へ移動した。
森を抜けて山地へ向かう。
青銀色の鉱床は以前と変わらず存在しており、実験のために削った場所も少しずつ回復を続けている。分析へ出した試料は、この鉱床から採取したものだった。
伊織は新たに採掘することなく、その場へしゃがみ込んだ。
「証明するだけなら、これじゃなくてもいいんだよな」
箱庭には未知の金属以外にも、普通では説明しにくい現象がある。
短期間で成長する植物。
採掘後に再形成される鉱床。
外界から完全に切り離された空間。
そして何より、伊織自身が自由に出入りできることだ。
政府関係者の目の前で箱庭へ入り、再び戻ってくれば、それだけでも十分な証明になる。
問題は、そこまで辿り着く方法だった。
最初の連絡で異能のすべてを説明する必要はない。
普通ではない物質を所有しており、その入手経路について政府機関へ直接説明したいと伝える。それなら完全に相手にされない可能性は少し下げられるかもしれない。
さらに、すでに民間の分析機関で異常な結果が出ている。
伊織は現実へ戻ると、分析機関へ短い返信を送った。試料の入手経路について現時点では詳しく説明できないこと、追加試料の提出についても一度保留したいことを丁寧に伝える。
嘘は書かなかった。
ただ、すべてを話さなかっただけだ。
返信を終えた伊織は、今度は政府側へ連絡する方法を考えた。
最終的に選んだのは、資源や産業を扱う行政機関の一般向け問い合わせ窓口だった。最初から総理大臣や防衛関係へ連絡するより、未知の材料と地下資源に関する相談として入口を作る方が自然だと考えたからだ。
文章を書くのには時間がかかった。
異能という言葉を最初から使うべきか迷った。
使わなければ本題を説明できない。
使えば悪戯だと思われる可能性が高い。
伊織は何度も文章を書き直し、最終的には余計な説明を減らした。
自分が通常では説明できない方法で入手した物質を所有していること、その一部を民間機関へ分析依頼したところ通常とは異なる結果が出たこと、入手経路については対面でのみ説明する意思があることを伝えた。
さらに、必要なら本人確認にも応じると加えた。
「これで駄目なら、また考えるか」
送信した。
それだけだった。
何か大きな出来事が起こるわけではない。
画面には問い合わせを受け付けたことを知らせる表示が出ただけで、伊織はそのままパソコンを閉じた。
翌朝も普通に会社へ向かった。
その次の日も何も起こらない。
三日経っても、自動返信以外の連絡はなかった。
「まあ、そうなるよな」
伊織自身、半分くらいは予想していた。
行政機関には毎日大量の問い合わせが届くはずで、その中に突然、説明できない物質を持っているという内容が混ざっていても、すぐ重要案件として扱われるとは思えない。
その間にも箱庭は変わらず成長している。
伊織は会社から帰ると畑の野菜を収穫し、鶏が産んだ卵を持ち帰った。休日には森や水辺を確認し、地下資源の記録も続けている。
青銀色の鉱床も回復を続けていた。
分析機関からは、数日後にもう一度メールが届いた。
追加試料の提出は任意であり、入手経路についても回答を強制するものではないと前置きされたうえで、可能なら分析担当者と直接話したいと書かれていた。
伊織は少し迷った。
政府から連絡が来ない以上、分析担当者と話す方が早い可能性もある。
ただし箱庭の存在まで民間へ明かすつもりはなかった。
伊織は電話であれば話を聞くと返信した。
翌日の夕方、仕事を終えて帰宅した頃に電話がかかってきた。
「八樹様でいらっしゃいますか。先日ご依頼いただいた試料について、分析を担当しております者です」
「はい。八樹です」
相手の声は落ち着いていた。
最初に説明されたのは、測定結果に異常があったからといって、直ちに未知の元素が発見されたという意味ではないことだった。試料の状態や測定方法によって通常とは異なる結果が出る場合もあり、再分析が必要だという。
その説明を聞いて、伊織は少し安心した。
電話の向こうも、いきなり世紀の大発見だと騒いでいるわけではない。
「ただ、複数の測定で整合しない部分がありまして、こちらとしても試料そのものをもう少し詳しく確認したいと考えています」
「危険なものなんですか?」
「現時点で、強い放射線などが確認されたわけではありません。ただ、安全性について断定できる段階でもありませんので、素手で頻繁に触れることは避けてください」
伊織はその言葉を覚えておくことにした。
箱庭では管理画面上で強い毒性は示されていなかったが、現実側の専門家が安全だと確認したわけではない。
担当者は続けて、試料をどこで入手したのか尋ねてきた。
伊織は少し間を置いた。
「それについては、今は答えられません」
「購入されたものでもありませんか?」
「違います」
「国内で採取されたものでしょうか」
その質問にも、伊織は答えなかった。
箱庭が日本国内に存在すると言っていいのかさえ分からない。
「すみません。そこを説明すると、石の話だけでは済まなくなるので」
電話の向こうが少し静かになった。
伊織自身、怪しい言い方になったと思う。
しかし他に説明する方法がなかった。
「分かりました。無理にお聞きすることはできません。ただ、もし追加試料をご提供いただけるのであれば、こちらでも再確認したいと思っています」
「少し考えさせてください」
それで電話は終わった。
伊織はスマートフォンを机へ置き、しばらく天井を見上げた。
「やっぱり面倒になってきたな」
できれば箱庭だけで完結させたかった。
だが未知の物質を外部へ出した時点で、完全に自分だけの問題ではなくなり始めている。
その二日後だった。
伊織のスマートフォンへ、知らない番号から着信があった。
仕事中だったため出ることはできず、昼休みに確認すると留守番電話が残されている。
先日問い合わせを送った行政機関からだった。
伊織は人気の少ない場所へ移動し、折り返した。
問い合わせ番号を伝えると担当部署へ繋がれた。
「先日お問い合わせいただいた物質について、何点か確認させていただきたいことがございます」
ようやく来た。
伊織は背筋を伸ばした。
相手から聞かれたのは、試料の種類や分析を依頼した機関、現在どの程度の量を所有しているのかといった内容だった。
伊織は答えられる範囲だけ答えた。
量については少量の試料だけではなく、採取元そのものへアクセスできると伝える。
「採取元というのは、国内の鉱山でしょうか」
「普通の鉱山ではありません」
「では、海外で入手されたものでしょうか」
「それも違います」
当然、話が噛み合わない。
伊織は少し迷ってから、最初の問い合わせでは伏せていた言葉を口にした。
「電話だと信じてもらえないと思いますけど、俺には……異能みたいなものがあります」
相手はすぐには答えなかった。
「異能、でしょうか」
「はい。俺自身もそうとしか説明できません。その能力で入れる場所があって、試料はそこから採りました」
言ってしまった。
伊織は少しだけ肩の力を抜いた。
ここで悪戯だと思われても仕方がない。
ただ、相手の反応は予想より冷静だった。
「その現象について、第三者の前で再現することは可能でしょうか」
「できます」
「物質の採取についても再現できますか」
「場所まで見せるなら可能です。ただ、最初から誰かを中へ入れるつもりはありません」
伊織はそこだけは明確にした。
現在、箱庭へ入れるのは自分だけだ。
将来的に他人を入れられるようになる可能性はあるとしても、よく知らない相手を最初から招き入れるつもりはない。
「承知しました。では、こちらで一度確認のうえ改めてご連絡いたします」
電話はそこで終わった。
伊織はスマートフォンを見つめた。
もっと笑われると思っていた。
あるいは意味の分からない相談として、そのまま切られる可能性も考えていた。
しかし相手は確認すると言った。
午後の仕事を終えて帰宅してからも、伊織は少し落ち着かなかった。
箱庭へ入り、いつもの森を歩く。
ここでは何も変わっていない。
鳥が飛び、魚が泳ぎ、鶏が草地を歩いている。
山の地下では鉄や銅、金や銀が少しずつ再形成され、さらに奥には未知の金属まで存在している。
これまで、そのすべてを知っているのは伊織一人だった。
翌日の夕方、再び行政機関から電話があった。
今度は前回とは違う担当者だった。
問い合わせ内容について、直接話を聞きたいという。
場所については行政側が用意し、本人確認を行ったうえで少人数による面談を希望していると説明された。
「分かりました。ただ、条件があります」
「お聞かせください」
「俺の名前と相談内容を、必要以上に広げないでください。それと、最初の面談では箱庭に誰も入れません」
相手はその場で無条件に約束することはしなかった。
情報の取り扱いについては内部で確認し、どの範囲まで共有される可能性があるか説明したうえで面談を行いたいと答えた。
その対応は、伊織にとってむしろ信用できた。
何でも秘密にすると簡単に約束されるより、できることとできないことを分けて話してくれた方がいい。
数日後、伊織は指定された場所へ向かった。
普段仕事へ行く時より少しだけまともな服を選び、リュックの中には何も入れなかった。未知の金属についても、この段階では持参していない。
指定された建物へ到着すると、受付で本人確認を行った後、小さな会議室へ案内された。
中には三人の男女が待っていた。
伊織は勧められた席へ座る。
机の上には、自分が送った問い合わせ内容を印刷した資料が置かれている。
「八樹伊織さんですね。本日はお越しいただきありがとうございます」
「はい」
「最初に確認させてください。お問い合わせに記載された内容について、現在も虚偽ではないという認識でよろしいでしょうか」
伊織は相手の目を見た。
「はい。俺だけが入れる場所があります」
会議室が静かになった。
伊織は続けた。
「そこで植物を育てることができます。動物も暮らせます。土地も広がりました。それから地下には鉱物資源があって、採掘しても時間が経つと少しずつ戻ります」
三人の表情が僅かに変わった。
「そして、その中で見つけた鉱石の一つを民間の分析機関へ出しました。それが、今回連絡した理由です」
ここまで来た以上、曖昧な説明だけで帰るつもりはなかった。
「言葉だけじゃ信じられないと思うので、証明します」
伊織は椅子から立ち上がった。
三人がこちらを見る。
箱庭へ入るために、特別な道具は必要ない。
伊織が意識すればいい。
「俺が今から消えます。少ししたら、同じ場所へ戻ります」
その言葉に、一人が慌てて立ち上がった。
「少々お待ちください。安全確認を――」
言葉が終わるより先に、伊織の姿が会議室から消えた。
誰も声を出さなかった。
数秒前まで二十二歳の青年が立っていた場所には、何も残っていない。
そして約一分後。
伊織は同じ場所へ戻った。
今度は手に、一個のジャガイモを持っていた。
「これ、向こうで採ってきました」
三人はジャガイモではなく、伊織を見ていた。
伊織はその反応を見て、ようやく理解した。
これまで自分にとって日常になりすぎていた。
箱庭へ入る。
野菜を育てる。
資源を採る。
そして現実へ戻る。
そのすべてが、外から見ればあり得ない現象だった。
「これで、話を聞いてもらえますか?」
今度は誰も、伊織の相談を単なる問い合わせとして扱わなかった。
この瞬間から《箱庭》は、八樹伊織だけが知る秘密ではなく、日本政府が存在を確認した世界で唯一の異能となった。




