政府が異能者と会った日
ーーー日本政府視点ーーー
経済産業省から内閣官房へ一本の連絡が上がったのは、八樹伊織という二十二歳の会社員が政府の問い合わせ窓口へ連絡してから数日後のことだった。最初に送られてきた文章だけを読めば、通常の行政相談として処理されても不思議ではない内容だった。
相談者は、通常では説明できない方法で入手した物質を所有しており、その一部を民間の分析機関へ提出したところ、既知の物質として簡単には整理できない結果が得られたと主張している。さらに入手経路については対面でのみ説明すると希望していた。
経済産業省で資源政策を担当する野口玲奈も、最初から異常な案件だと考えていたわけではない。資源関係の部署には鉱物や新素材に関する相談が届くこともあり、その中には相談者自身が価値を過大評価しているものも珍しくなかった。
しかし今回は、民間の分析機関へ確認したことで扱いが変わった。
守秘義務に抵触しない範囲で確認を進めた結果、八樹が実際に試料を提出していたこと、その試料について複数の測定結果を簡単には整理できず、分析担当者側から追加確認を求めていたことまでは事実だった。
「本人そのものには、不自然なところは見つかっていないんですね?」
「現段階ではありません。二十二歳の会社員で、少なくとも表面上は特別な経歴もありません。今回の問い合わせ以前に、類似する相談を繰り返していた記録も確認できていません」
野口の問いに答えたのは、内閣官房で省庁間の調整案件を扱う高橋誠司だった。
四十六歳の高橋は、この時点で八樹伊織という青年を危険人物とも重要人物とも決めつけていなかった。ただし未知の試料が実在する以上、本人から直接事情を聞く必要はあると考えていた。
「本人は電話で《異能》という言葉を使ったそうですね」
「はい。自分だけが入れる場所があり、試料はそこから採取したと説明しています。第三者の前で現象を再現できるとも話しています」
「異能、ですか……」
野口は資料へ視線を落とした。
現在の日本で、人間が超常的な能力を持っているという事実は確認されていない。少なくとも政府が公的に把握している事例の中に、八樹の説明と一致するものは存在しなかった。
だからこそ、最初から信じる理由もない。
ただし試料だけは実在する。
「面談しましょう」
高橋はそう判断した。
相手は自分から政府へ連絡している。本人確認にも応じると申し出ており、電話で話した際にも政府側の質問を拒絶して逃げようとする様子はなかった。
それなら、まず会えばいい。
その判断によって八樹との面談が設定された。
ただし通常の相談窓口へ呼ぶことは避けた。人の出入りが多い場所では、八樹が主張する現象を本当に再現した場合に問題が生じる可能性がある。
使用する部屋は、一般来訪者から離れた会議室が選ばれた。
面談へ出席する人数も絞られた。
高橋と野口に加え、記録と行政手続きを担当する職員一名だけが同席する。警察官や警備担当者を室内へ配置する案も出たが、高橋が見送った。
八樹は自分から来る。
犯罪の容疑者でもない。
その状態で大人数に囲まれれば、政府へ相談したこと自体を後悔させる可能性があった。
「警備については建物側の通常体制だけで構いません。ただし面談中の映像と音声は、本人の了承を得て記録します」
「もし本当に消えた場合は?」
野口の問いに、高橋は少し考えた。
「その時点で、我々だけの案件ではなくなります」
面談当日。
高橋は予定時刻より早く会議室へ入った。
長方形の机と椅子が置かれただけの、ごく普通の部屋だった。窓はあるものの自由に出入りできる構造ではなく、床や壁にも人間一人が突然消えられるような仕掛けは存在しない。
記録機器の動作を確認した後、野口も資料を持って入室してきた。
「緊張しますね」
「まだ何も起きていませんよ」
「本当に目の前から消えたら、高橋さんは驚かないんですか?」
「驚くでしょうね。その後で報告書のことを考えます」
野口が小さく笑った。
高橋自身も冗談のつもりだったが、本当にそうなる可能性を完全には否定できなくなっていた。
やがて予定時刻が近づき、受付から八樹伊織が到着したとの連絡が入った。
本人確認を終えた青年が職員に案内され、会議室へ入ってくる。
高橋が最初に抱いた印象は、あまりにも普通だった。
二十二歳という年齢相応の青年であり、極端に緊張している様子もなければ、自信満々に振る舞っているわけでもない。服装も今日の面談を意識して少し整えてきた程度に見えた。
少なくとも、世界で唯一の異能者を名乗る人物という言葉から想像する姿ではなかった。
「八樹伊織さんですね。本日はお越しいただきありがとうございます」
「はい。八樹です。よろしくお願いします」
「どうぞ、お掛けください」
伊織が椅子へ座ったところで、高橋たちも席についた。
最初に記録について説明する。
伊織は少しだけカメラを見たものの、拒否はしなかった。
「構いません。ただ、俺の名前とか映像が外に出るのは困ります」
「現段階で公開を予定しているものではありません。情報の取り扱いについても、必要な範囲を超えて共有しないよう配慮します。ただし今後、内容によっては政府内部の関係部署へ共有する必要が生じる可能性があります」
「それなら大丈夫です。絶対に誰にも言わないって言われる方が、逆に信用できないので」
高橋は僅かに眉を上げた。
想像していたより現実的な青年らしい。
「ありがとうございます。それでは本題へ入る前に、こちらから自己紹介をさせてください。私は高橋誠司と申します。内閣官房で省庁間の調整を担当しています」
「内閣官房……」
伊織が少し驚いた。
最初に問い合わせた相手より、話が大きくなっていると感じたのだろう。
「今回の相談内容について、通常の問い合わせとして扱うより複数の分野から確認した方が適切だと判断され、私も同席しています。ただし現段階では、八樹さんのお話が事実であることを前提にしているわけではありません」
「それで大丈夫です。俺も、話だけで信じてもらえるとは思ってません」
高橋が頷くと、隣に座っていた野口が続いた。
「私は野口玲奈です。経済産業省で資源政策に関わる仕事をしています。今回、八樹さんから地下資源に関するお話があったため参加しています」
「よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
最後に記録担当の職員も簡単に所属と役割を名乗った。
それが終わると、今度は高橋が伊織へ視線を向けた。
「改めて、八樹さんからも簡単に自己紹介をお願いできますか。通常であれば提出いただいた情報だけで十分なのですが、今日は少し特殊な面談ですので」
「分かりました」
伊織は少し姿勢を正した。
「八樹伊織、二十二歳です。普通に会社員をしています。結婚はしてませんし、政府とか研究機関に知り合いがいるわけでもありません」
そこまで話してから、伊織は少し考えた。
「それと、たぶん一番大事なのは、一か月ちょっと前までは本当に普通の人間だったってことだと思います」
「一か月ほど前に、変化が起きたのですね?」
「はい」
伊織は頷いた。
「突然、目の前に変な画面みたいなものが出てきて、《箱庭》っていう異能を手に入れました」
高橋は資料へ書き込みながら確認した。
「その《箱庭》という名称は、八樹さん自身がつけたものではない?」
「最初からそう表示されていました」
「異能という呼称も同様ですか?」
「はい。だから俺も異能って呼んでます」
野口も記録を取りながら話を聞いている。
「現在、その異能を持っている人物について、八樹さん以外に心当たりはありますか?」
「ありません。俺も自分に出るまで、異能なんて現実にあると思ってませんでした」
それは政府側も同じだった。
高橋はさらに質問を続けた。
「箱庭とは、具体的にはどのような能力でしょうか」
「俺だけが入れる別の空間があります。最初は草地と小さい水源くらいしかありませんでした。そこで植物を育てたり、鶏を飼ったりしていたら少しずつ成長しました」
野口が確認する。
「成長というのは、植物ではなく空間そのものが成長するという意味ですか?」
「両方です。植物も普通よりかなり早く育ちます。それとは別に、箱庭自体も条件を満たすと広げられます」
そこから伊織は、これまで箱庭で起きたことを順番に説明していった。
最初にジャガイモを育てたこと。
次に鶏を飼ったこと。
森を作り、水辺へ生き物を増やしたこと。
生き物同士の循環が成立すると箱庭が成長し、領域を拡張できるようになったこと。
説明を聞いている限り、最初の使い方は異能というより家庭菜園だった。
「それで、土地を広げた後に地下資源を見つけました」
伊織がそこまで話したところで、野口の表情が変わった。
ここからが今回の相談へ直接繋がる部分だった。
「最初は鉄と銅です。その後に金や銀も見つけました。ほかにもいくつかあります」
「鉱床の規模は把握していますか?」
「正確には分かりません。管理画面で存在する場所は確認できますけど、俺には鉱山の知識がないので」
「採掘はされたのですか?」
「少しだけです。それで、掘った場所をしばらく放っておいたら戻り始めました」
野口のペンが止まった。
「戻った、というのは?」
「鉱石がまたできたってことです」
伊織はスマートフォンを取り出した。
許可を得て写真を表示し、採掘前後の記録を見せる。
高橋と野口は画面を覗き込んだ。
同じ場所を継続的に撮影した写真には、削られた岩肌が時間とともに変化していく様子が残っている。
「鉄だけではありません。銅でも試しましたし、金と銀でも同じでした」
「金も再形成されたのですか?」
「はい。だから怖くなって、売るのはやめました」
野口はすぐには答えなかった。
高橋には資源分野の専門知識はない。
それでも、採掘しても回復する金鉱床が通常の鉱山と全く違うことくらいは理解できる。
「今回分析へ提出された試料も、その箱庭から採取されたものですね?」
「そうです。ただ、それだけは鉄とか金とは違います」
伊織の声が少し慎重になった。
「箱庭の管理画面でも、俺が知ってる金属の名前が出なかったんです。軽いのにかなり硬くて、電気も通りました。自分じゃ分からなかったので分析に出したら、そっちから詳しく話を聞きたいって連絡が来ました」
「試料は今日お持ちですか?」
「持ってません。正体が分からないので、勝手に持ち歩くのはやめました」
その判断に、高橋は内心で安堵した。
未知の物質を公共交通機関で持ち運ばれていた方が困る。
「では、その試料を今ここへ持ってくることはできますか?」
高橋が尋ねると、伊織は少し考えた。
「できます。でも、その前に箱庭そのものを見せた方が早いと思います」
「我々が入ることは可能なのでしょうか」
「今は無理です。俺しか入れません」
伊織はそこで《限定ゲート》という機能について説明した。
現在は使用していないものの、箱庭には許可した人物や物資だけを通せる出入口を設置できる機能が存在する。ただし伊織は、政府を信用できるか分からない段階で他人を箱庭へ入れるつもりはなかった。
「それは当然だと思います」
高橋が答えると、伊織は少し意外そうな顔をした。
「無理に入れてくれって言われると思ってました」
「今日が初対面です。こちらとしても、確認できていない空間へ職員を入れる判断はできません」
それに、伊織との関係を壊してまで急ぐ必要もない。
高橋はそう考えていた。
「ただし、八樹さん自身が出入りする現象については確認させていただきたいと思います。可能でしょうか」
「できます」
伊織は立ち上がった。
高橋も野口も、その動きを見守る。
「じゃあ、一回行ってきます。何か持ってきた方がいいですか?」
高橋が答える前に、野口が少し考えた。
「先ほどお話しされていたジャガイモでも構いません。箱庭側から物品を持ち出せることまで確認できれば十分です」
「分かりました」
伊織は机から少し離れた。
高橋は無意識に伊織の足元へ目を向けた。
床に異常はない。
壁からも離れている。
窓へ向かう様子もない。
「行きます」
伊織がそう告げた直後だった。
姿が消えた。
光も音も発生しなかった。
人間一人が、そこに存在していたという事実だけが突然なくなった。
高橋は反射的に立ち上がった。
野口も言葉を失ったまま、伊織が立っていた場所を見つめている。
「映像は?」
「記録されています」
担当職員が答えた。
高橋は腕時計を見る。
十秒が過ぎ、三十秒が過ぎた。
誰も話さなかった。
やがて一分ほど経ったところで、何もなかった空間へ伊織が戻ってきた。
その手には、土が僅かに付着したジャガイモが握られていた。
「これでいいですか?」
伊織が差し出したジャガイモを、高橋はしばらく見つめた。
驚くほど普通だった。
スーパーへ行けばいくらでも売っていそうな、一個のジャガイモにしか見えない。
しかし一分前まで、それはこの部屋には存在していなかった。
「八樹さん。そのジャガイモを、こちらで調べても構いませんか?」
「いいですよ。普通に食べられるやつですけど」
「ありがとうございます」
高橋はゆっくりと椅子へ座った。
これで前提が変わった。
八樹伊織という青年は、少なくとも通常の科学では即座に説明できない現象を第三者の前で再現した。
しかも本人の説明が事実なら、その先には植物が異常な速度で成長し、地下資源が再形成され、未知の金属まで存在する空間がある。
高橋は野口と視線を交わした。
野口も同じ結論に達しているようだった。
この三人だけで判断できる案件ではない。
「八樹さん。今日の面談についてですが、ここから先は政府内部でも扱いを変える必要があります」
「やっぱりそうなります?」
「はい。ただし、八樹さんを拘束したり、能力の使用を強制したりするという意味ではありません。まずは確認された事実を必要最小限の範囲で上へ報告し、今後の対応を決める必要があります」
伊織は少し考えてから頷いた。
「俺としても、その方が助かります。正直、もう自分だけじゃどうしたらいいか分からないので」
「分かりました。では一つだけ、現段階でお願いがあります」
高橋は伊織へ向き直った。
「未知の鉱石について、政府側の確認が終わるまでは新たに外部へ提供しないでいただけますか。民間の分析機関へ提出済みの試料についてはこちらでも状況を確認しますが、八樹さんの了承なく回収などを進めることはしません」
「それなら大丈夫です。俺も、もう勝手に出すつもりはありません」
話がまとまったところで、その日の面談は終了となった。
伊織が職員に案内されて建物を出るまで、高橋は会議室に残っていた。
机の上には、箱庭から持ち帰られた一個のジャガイモが置かれている。
高橋はそれを見ながら、数時間前まで自分が考えていたことを思い返した。
未知の試料を持ち込んだ会社員。
それが面談前の認識だった。
今は違う。
「野口さん」
「はい」
「黒田さんへ上げます」
野口は迷わず頷いた。
「私も、それがいいと思います」
高橋は記録担当者へ映像と音声の取り扱いを変更するよう指示した。複製を制限し、閲覧できる人物を絞ったうえで保管する。
その日の夕方。
高橋と野口は、内閣官房で今回の案件を上へ報告するため、別の会議室へ向かっていた。
報告相手は黒田雅臣。
五十五歳の内閣官房幹部であり、省庁を跨ぐ特殊案件について判断できる立場にいる人物だった。
高橋は手元の資料を確認しながら歩いた。
映像がある。
箱庭から持ち出された物品がある。
民間分析機関には未知の試料が残っている。
そして何より、八樹本人は政府との協力を拒絶していない。
ここから最優先で守るべきものが何なのか、高橋の中ではすでに答えが出始めていた。
異能そのものを奪うことではない。
未知の金属を急いで採掘することでもない。
世界でただ一人確認された異能者が、自分から日本政府を相談相手として選んだ。
まず守るべきなのは、その関係だった。
高橋と野口が会議室へ入ると、すでに黒田が待っていた。
「高橋君。報告は読んだ」
黒田は机の上に置かれた資料へ手を添えた。
「だが、これだけは最初に直接確認しておきたい」
高橋は黒田を見る。
「八樹伊織という青年は、本当に君たちの目の前から消えたのか?」
「はい」
高橋は迷わず答えた。
「そして約一分後、存在しなかった物品を持って同じ場所へ戻りました。映像記録も残っています」
黒田は数秒黙った。
それから資料を閉じた。
「分かった。今日からこの案件は通常の行政相談から切り離す」
その一言によって、八樹伊織から始まった小さな問い合わせは、政府内部で正式に特別な案件として扱われることになった。
そして日本政府はこの日初めて、世界でただ一人の異能者と、その向こう側に存在する《箱庭》へ本格的に向き合い始めた。




