なくならない鉱山
二度目の領域拡張を終えた翌日、伊織は仕事から帰宅すると、夕食を後回しにして箱庭へ入った。昨日採取した鉱石のことが一日中頭から離れず、仕事中も何度か考えそうになっては意識して止めていた。
新しく形成された低い山へ向かう途中、伊織は昨日までとは少し違う緊張を感じていた。箱庭へ入ることはすっかり日常になっているが、今回は野菜の成長や新しい生き物を確認するために来たわけではない。
管理画面を開き、昨日見つけた地下資源の位置をもう一度確認する。
表示されている内容は変わっていなかった。
「やっぱり、金なんだよな……」
伊織が昨日見つけたのは、金を含む鉱床だった。
もちろん、掘れば金塊がそのまま出てくるわけではない。岩石の中に金を含んでいるだけであり、そこから実際に金属として取り出すには精錬が必要になる。
それでも金は金だった。
鉄や銅を見つけた時とは、さすがに意味が違う。
伊織は昨日採取した鉱石を箱庭内部に保管していた。現実へ持ち出して簡単に調べることも考えたが、インターネットで金鉱石について検索しているうちに、自分だけで正確な含有量を確認するのは難しいと分かったからだ。
「今は本当にあるって分かればいいか」
伊織は山の斜面へ近づき、前回と同じ方法で少量だけ採取した。
箱庭の管理情報が正しければ、ここには金が含まれている。
重要なのは量ではない。
この鉱床も鉄や銅と同じように回復するのか。
それを確かめる必要があった。
伊織は採掘した場所を撮影し、目印を残してから作業を終えた。
その後、別の場所も確認する。
二度目の領域拡張によって増えた地下資源は金だけではなかった。
銀を含む場所もあり、さらに伊織が名前を聞いたことのある金属を含む鉱床もいくつか表示されている。
ただし、伊織は片っ端から掘ることはしなかった。
今までの経験から、箱庭では急いで何かをする必要がないと分かっている。
一つずつ確かめればいい。
金鉱床の回復を待っている間、伊織はこれまで通り会社へ通った。
朝起きて出勤し、仕事をして帰宅する。
帰宅後に箱庭へ入り、畑や鶏を確認する。
休日には森を歩く。
生活そのものは何も変わっていない。
それなのに、自分しか知らない場所に金鉱山が存在していると思うと、妙な感覚だった。
「会社辞めるほどじゃないよな」
伊織は缶ビールを飲みながら、一人で呟いた。
金鉱石を見つけたからといって、すぐ金持ちになったわけではない。
採掘設備もない。
精錬設備もない。
大量に現実へ持ち出せば、今度はどこから手に入れたのか説明する必要が出てくる。
金を売る方法について調べるほど、伊織は面倒になった。
「やめとこ」
少なくとも今は売らない。
生活には困っていない。
会社員として給料も入ってくる。
箱庭で育った野菜や卵を食べるようになってからは、僅かではあるが食費まで減っていた。
わざわざ危ない橋を渡る理由がない。
伊織は金鉱石を箱庭内部へ戻し、実験結果だけを待つことにした。
二週間ほど経過した頃、結果が見え始めた。
採掘した部分へ、新しい鉱石が形成されている。
鉄や銅と同じだった。
「金も戻るのか……」
伊織は以前撮影した写真と現在の状態を何度も比較した。
完全に同じ形へ戻るわけではない。
しかし削った場所へ新しい岩石が形成され、その中には再び金が含まれている。
鉱床そのものが回復していると考えるしかなかった。
伊織はそこで、箱庭の地下資源について本格的に記録を始めた。
ただし、毎日の細かな変化を数字だけで追いかけるようなことはしない。採掘した場所と日時を記録し、一定期間ごとに写真を撮って比較する程度だった。
鉄も回復する。
銅も回復する。
金も回復する。
銀についても少量を採取して試したところ、時間を置けば同じような変化が確認できた。
これで偶然とは考えられなくなった。
「なくならない鉱山ってことだよな」
採掘速度より回復速度の方が遅ければ、一時的に減ることはある。
それでも採り尽くして終わる普通の鉱山とは根本的に違う。
時間を置けば再び資源が形成される。
しかも箱庭そのものが成長し、領域が広がれば新しい鉱床まで増える可能性がある。
そこまで理解した時、伊織はようやく自分が持っているものの価値を真面目に考え始めた。
これまでは秘密の家庭菜園に近かった。
少し変わった野菜を育て、鶏を飼い、森を作る。
他人に知られたら大騒ぎになるとは思っていたが、自分から話さなければ済む問題でもあった。
地下資源は違う。
特に金のようなものまで再生するとなれば、単なる便利な能力では済まない。
伊織は試しに、箱庭の管理画面から今後の領域拡張について確認した。
現在よりさらに生命循環が成長すれば、三度目の領域拡張も可能になる。
そして領域が広がるほど、地形や地下環境も複雑になる可能性があるらしい。
「まだ増えるのか」
嬉しいというより、少し困った。
金で終わる保証がない。
もっと希少な金属が出てくる可能性もある。
それどころか、箱庭という異能そのものについて伊織が理解していない部分はまだ多かった。
だからといって、成長を止めようとは思わなかった。
箱庭を育てること自体は楽しい。
それに、地下資源が増えたからといって森や水辺を放置する理由にもならない。
伊織は新しい領域へ少しずつ生命を広げていった。
森を拡張し、小川の流れを整え、草地にも植物の種類を増やす。
既存の鳥や昆虫、魚については自然に移動するのを待った。
その状態でしばらく過ごしていると、箱庭全体の景色がまた変わり始めた。
低い山の麓まで植物が広がり、岩ばかりだった場所にも草が生える。
森の落ち葉は土へ戻り、その土から新しい植物が育つ。
伊織が仕事をしている間にも、箱庭は勝手に成長を続けていた。
その一方で、伊織は地下資源について少しずつ勉強するようになった。
今まで金属といえば鉄や銅、金や銀くらいしか意識したことがなかったが、現代社会では遥かに多くの金属が利用されている。
スマートフォンにも自動車にも、様々な金属が使われている。
電池や半導体などを調べれば、聞いたことのない元素名まで大量に出てくる。
「資源って思ったより面倒なんだな」
調べるほど、自分が何も知らなかったことが分かった。
金なら価値が高い。
それくらいは誰でも知っている。
しかし産業にとって重要だからといって、市場価格だけで価値を判断できるわけではない。
輸入先が限られるものもあれば、代替しにくいものもある。
伊織はそこで初めて、日本が多くの鉱物資源を海外から輸入していることを意識した。
もし箱庭でそうした資源まで作れるなら、金より重要になるものが出てくるかもしれない。
もっとも、今の伊織には大量に採掘するつもりも、それを社会へ提供する方法もなかった。
会社員一人が突然大量の希少金属を持ち込めば、どう考えても面倒なことになる。
そのため調べるだけに留めた。
さらに数週間が経過した。
箱庭の新しい領域にも生命が十分広がり、森の面積も以前より大きくなった。小川は低い山の近くまで伸び、その周辺では鳥や昆虫の姿も普通に見られる。
そして休日の朝、伊織が管理画面を開くと、待っていた通知が表示された。
三度目の領域拡張が可能になっていた。
「今回は地下から見るか」
伊織の目的は以前とは変わっている。
最初の拡張では、土地が広がることそのものが嬉しかった。
二度目では金や銀を見つけた。
ならば三度目には何が現れるのか。
伊織は領域拡張を実行した。
白い霧がさらに遠ざかっていく。
新しい土地が現れ、その一部には前回より高い山地が形成されていた。
森を作れそうな平地もあり、水の流れも増えている。
しかし伊織は今回は景色を眺めるより先に、地下情報を確認した。
「増えてるな……」
予想通りだった。
新しい領域には、これまで存在しなかった鉱物資源が複数追加されている。
その中には伊織が最近調べたことで名前を覚えたものもあった。
電子機器や電池など、現代産業で利用される金属だった。
伊織はその日のうちに、いくつかの場所から少量の鉱石を採取した。
もちろん外へ売るつもりはない。
まず箱庭の中で保管し、再生するかどうかを確認する。
それから数週間をかけて観察した結果、やはり新しく見つかった鉱床も回復した。
箱庭は金や銀だけを特別扱いしているわけではない。
地下環境の一部として存在する資源なら、時間と生命循環によって再形成される。
そこまで分かったところで、伊織の中に一つの考えが生まれた。
「これ以上は、俺だけじゃ調べられないな」
自分で検索できる範囲には限界がある。
鉱石の正確な成分も分からない。
純度も分からない。
どの程度の価値があるのかも、産業への影響も判断できない。
それでも、いきなり誰かへ箱庭の存在を話すつもりはなかった。
まずは少量の試料だけを、正体を知られない形で調べられないか。
伊織は現実世界の分析サービスについて調べ始めた。
大学や研究機関だけではなく、企業向けに材料分析を行う会社も存在する。
料金を払えば個人から依頼できるところもある。
「箱庭のことを言う必要はないよな」
拾った石の分析を依頼するだけなら、それほど不自然ではない。
最初から金や希少金属を持ち込む必要もない。
箱庭で見つけた鉱石の中から、現実世界にも普通に存在するものを一つ選び、分析結果が管理画面の情報と一致するか確かめればいい。
それが確認できれば、箱庭側の地下情報がどの程度信用できるのか判断できる。
伊織はその日の夜、候補となる分析会社をいくつか調べた。
そして翌週、箱庭から持ち出した小さな鉱石試料を一つだけ分析へ出した。
箱庭の存在には一切触れず、個人的に入手した石の成分を知りたいとだけ伝えた。
結果が届いたのは、それからしばらく経ってからだった。
伊織は自宅のパソコンで分析結果を開き、箱庭の管理情報と見比べた。
「……合ってる」
主要な成分は一致していた。
少なくとも、箱庭が表示している地下資源の情報は適当なものではない。
伊織は画面を閉じようとして、もう一度結果へ目を戻した。
依頼した試料には、箱庭の表示でも確認していた金属以外に、ごく僅かな別の成分が含まれていた。
量としては微量だった。
そのため最初は不純物だと思った。
しかし箱庭へ戻り、同じ場所の地下情報を詳しく確認すると、その成分に対応する鉱物が確かに形成され始めていた。
「新しいものが、途中から増えることもあるのか?」
領域を広げた時だけではない。
生命循環が続くことで、既存の地下環境そのものも変化している。
伊織はそこで、箱庭の地下をもう一度調べ直すことにした。
数日後。
三度目に拡張した山地の奥で、伊織はこれまで見たことのない反応を見つけた。
管理画面では、その場所に鉱物が存在することまでは示されている。
しかし名称の欄には、伊織が知っている金属の名前が表示されていなかった。
伊織は慎重に岩肌を削った。
内部から現れたのは、銀とも鉄とも違う、僅かに青みを帯びた金属質の鉱石だった。
手に取ってみると、見た目から想像したより軽い。
「なんだ、これ……」
伊織は何度か管理画面を確認した。
しかし既知の鉱物名は出てこない。
これまで鉄なら鉄、銅なら銅と情報を示してくれた箱庭が、初めて明確な名称を表示しなかった。
伊織は小さな欠片だけを採取し、残りには手をつけなかった。
まだ価値など分からない。
危険な物質である可能性さえ否定できない以上、素手で長時間触れることも避けた方がいい。
ただ一つだけ確かなことがある。
これまで箱庭で見つけてきた地下資源は、すべて現実世界にも存在するものだった。
今回だけが違う。
伊織は採取した小さな鉱石を専用の容器へ入れ、箱庭内部の保管場所へ置いた。
そして現実へ戻った後も、すぐ分析会社へ送ることはしなかった。
もし本当に未知の物質なら、以前と同じように気軽に外へ出すべきではない。
伊織は机の前へ座り、これまで記録してきたノートを最初のページから読み返した。
ジャガイモを育てた。
鶏を飼った。
森を作り、魚や鳥を増やした。
その結果として領域が広がり、地下資源が現れた。
そして今、その地下から現実世界では名前すら分からないものが出てきた。
「……さすがに、これは慎重にいこう」
伊織はノートへ、未知鉱物について外部へ安易に持ち出さないことを書き加えた。
箱庭を手に入れて以来、伊織は初めて、自分だけでは判断できないものを手にした。
その小さな青銀色の欠片が、やがて日本政府の研究者たちから《ハコニウム》と呼ばれることになるなど、この時の伊織には知る由もなかった。




