箱庭に家を建てよう
エネルギウムという名前を適当に決めた翌日、俺は朝から箱庭へ入っていた。今日は政府から呼び出される予定もなく、ハコニウムについては松島さんたちが研究を続け、アメリカとの共同研究についても高橋さんたちが話を進めてくれている。
エネルギウムだって同じだ。俺が研究室へ行ったところで、専門的なことは何一つ分からない。それなら詳しい人たちに任せて、自分は自分にしかできないことをやればいい。
「さて、今日は家をどうするかな」
湖を見渡せる小高い場所に立ちながら、俺は昨日から考えていたことを思い出す。最近は箱庭に滞在する時間がかなり長くなったので、そろそろ簡易的な生活場所ではなく、きちんとした家が欲しくなっていた。
最初は日本から建築資材を持ち込み、誰かに組み立ててもらうことまで考えたのだが、寝る直前になって一つのことに気づいた。
俺には《購入》がある。
箱庭を手に入れたばかりの頃は、畑を作るためのものや植物、生物を増やすことばかり考えていた。領域拡張を繰り返してからは地下資源まで見つかり、最近では政府とのやり取りも増えていたので、《購入》の中身をじっくり確認する機会そのものが減っている。
だが、箱庭がこれだけ成長しているのなら、《購入》の内容も増えている可能性が高かった。
「なんで昨日まで気づかなかったんだろうな。まあ、確認すれば分かるか」
自分でも少し呆れながら《購入》を開いてみると、予想は完全に当たっていた。以前とは比べものにならないほど選択肢が増えており、植物や生物だけでなく、土地の整備や水路、橋、柵、倉庫といった設備まで選べるようになっている。
さらに項目を確認していくと、《生活設備》という分類が追加されており、その中には待ち望んでいた《住居》まで存在していた。
「やっぱりあるじゃん。危うく政府に家を建ててもらうところだったぞ」
住居にも複数の種類が用意されていた。最低限の寝泊まりだけを目的とした小屋から、一人暮らしには十分すぎる住宅、さらに家族でも暮らせそうな広さを持つ住宅まで選択できる。
豪邸と呼べるほど巨大なものは見当たらなかったが、俺には必要ない。掃除する場所が増えるだけだし、そもそも今のところ一人で暮らす家なのだから、無駄に広くしても仕方がない。
俺が選んだのは、一人で使うには少し余裕がある程度の住宅だった。寝室と広めの居間、台所、浴室、トイレ、収納に加え、小さな作業部屋まで用意されている。
面白かったのは、基本となる住宅を選んだ後から設備を追加できることだった。俺は迷わず屋根付きの広いテラスを追加し、湖を眺めながら酒を飲めるようにする。
さらに浴室を少し広くし、収納も追加する。食品とは別に酒を保管できそうな場所まで確保したところで、当初考えていたよりもかなり快適な家になっていた。
「こういうの、結構楽しいな。もう少し早く確認しておけばよかった」
画面上で家を作るゲームに似ているが、決定的に違うのは、完成した家へ俺自身が住めることだ。そう考えると、設備を一つ追加するだけでも妙に楽しくなってくる。
家の仕様が決まれば、次は設置場所だった。
湖のすぐ近くでは湿気が気になるし、あまり離れてしまえば景色を楽しめない。しばらく湖畔を歩き回った結果、背後に森があり、正面に湖を見下ろせる小高い場所を選んだ。
畑や鶏小屋にも歩いて行ける距離で、政府との共同研究区域からはかなり離れている。研究者が出入りしていても、こちらの生活にはほとんど影響しない。
「ここならいいな。じゃあ、設置っと」
場所を決定すると、指定した範囲の地面が淡い光に包まれた。何が始まるのかと少し離れて眺めていると、草地が自然に整えられ、その上へ基礎らしきものが形作られていく。
そこから壁が立ち上がり、屋根が組み上がり、窓や扉まで次々と形成されていった。普通の建築現場を何百倍もの速度で早送りしているような光景だったが、作業員も建築資材も存在しない。
数分後、光が完全に消える。
先ほどまで何もなかった湖畔の高台には、一軒の家が完成していた。
「……やっぱり箱庭って、便利すぎるよな」
木材を多く使った落ち着いた外観で、背後の森ともよく馴染んでいる。正面には俺が追加した広いテラスが設けられ、そこから湖を一望できる造りになっていた。
玄関を開けて中へ入ると、新しい木材のような匂いがする。居間は一人で使うには十分すぎる広さがあり、大きな窓からは湖と、その向こうに広がる草原まで見渡すことができた。
台所へ移動して蛇口を捻ってみると、当たり前のように水が流れ出した。浴室でも同じように水が使え、排水まで問題なく機能しているらしい。
「家を置いただけで水道まで使えるのか。どこから水が来てるのかは……考えない方がいいか」
箱庭なのだから、現実の住宅と同じ仕組みである必要はない。地下へ配管が伸びているのか、箱庭そのものが水を供給しているのかは分からないが、普通に使えるなら俺としてはそれで十分だった。
ただし、何もかも揃っているわけではない。
家としての基本機能は存在するものの、冷蔵庫やテレビ、パソコンといった現代家電は当然置かれていない。照明として使えそうな設備はあっても、日本の住宅と同じようにコンセントへ家電を差せば何でも動くという状態でもなかった。
そこで昨日聞いたエネルギウムの話を思い出した。電気を大量に蓄えられる可能性がある未知鉱物なら、安全に使えるようになった時、この家の電源としてかなり役立つかもしれない。
「松島さんには悪いけど、頑張ってもらおう。俺としては国家電力網より冷蔵庫の方が大事だからな」
もちろん価値を理解していないわけではない。ただ、国家規模の利用方法については俺より詳しい人がいくらでもいるのだから、俺が考えても仕方がない。
俺にとって重要なのは、この家で快適に暮らせるかどうかだった。
その日の午後、日本へ戻った俺は久しぶりに大きな買い物へ出かけた。
家そのものは箱庭が用意してくれたが、中には最低限の設備しかない。ソファもテーブルもベッドも、自分が気に入ったものを使いたかったので、まずは家具店を回ることにした。
政府との資源売買契約が始まってから、金銭面についてはほとんど気にする必要がなくなっている。ハコニウムや金銀を好き勝手に売っているわけではなく、政府と相談しながら箱庭に負担をかけない量だけ提供しているのだが、それでも一人で生活するには十分すぎる収入になっていた。
広めのソファを選び、ダイニングテーブルと椅子、寝室用のベッドや棚まで揃える。配送先だけは箱庭を指定するわけにもいかないので、日本側の自宅へ一度届けてもらい、そこから収納を利用して運び込むことにした。
家具を見終えた後は、そのまま家電売り場へ向かった。
真っ先に見たのは冷蔵庫だった。箱庭で採れた野菜や魚を保存するためにも必要だが、俺にとっては冷たい飲み物をいつでも用意できるという点の方が重要だった。
容量に余裕があるものを選んだ後、その近くに置かれていた酒類専用の保管庫が目に入る。
しばらく眺めてから、一緒に購入することにした。
「まあ、せっかく専用の家を作ったんだし、これくらいはいいだろ」
会社員だった頃と比べれば、ずいぶん金の使い方が雑になった気もする。しかし無理をして買っているわけではないし、箱庭での生活を快適にするために使うなら悪くない。
むしろ今までの俺は、せっかく自分だけの世界を持っているのに生活環境へ金を使わなさすぎたのかもしれない。
数日後、家具と家電が揃ったことで、湖畔の家は一気に生活感を増した。
大きな窓の近くへソファを置き、テラスには屋外用のテーブルと椅子を並べる。寝室には新しいベッドを入れ、台所にも調理器具を揃えた。
電力については、エネルギウムが使えるようになるまで待つつもりはなかった。政府の共同研究区域ではすでに小規模な発電設備と蓄電設備が使われているため、高橋さんへ相談したところ、生活区域でも使えるものを用意してもらえることになった。
設備の設置が終わった日、高橋さんと野口さんが確認のため家までやって来た。
「《購入》に住居があったので、それを使いました。建物自体は俺が何かしたわけじゃなくて、場所と設備を選んだだけですよ」
俺が説明すると、高橋さんは家と俺を交互に見ながら、少し考え込むような表情を浮かべた。
「八樹さん。念のため確認しますが、この住宅が完成するまで、どの程度の時間がかかりました?」
「数分くらいですね。地面が光ったと思ったら、勝手に家が出来上がりました」
「建築資材は箱庭内に用意されていたんですか?」
今度は野口さんが尋ねてくる。俺は当時の光景を思い返したものの、トラックどころか木材一本運び込まれていない。
「何も使ってないと思いますよ。少なくとも俺は用意してませんし、建築中に廃材なんかも出ませんでした」
その瞬間、二人の表情が完全に仕事のものへ変わった。
俺にとっては便利な家だが、政府側からすると、建築資材を搬入することなく数分で完成した建造物という別の意味を持つらしい。
「これ、研究対象にしないでくださいよ。せっかく作った俺の家なんですから」
先回りして釘を刺すと、高橋さんは苦笑しながらも、勝手に調査することはないと約束してくれた。ただし箱庭の機能を把握するため、俺が答えられる範囲で建築時の状況だけは聞かせてほしいらしい。
その程度なら構わないので了承したが、家まで研究対象になりかけるとは思わなかった。
「せっかく来たんだから、昼飯でも食べていきません? 今朝、湖で魚を釣ったんですよ。畑から野菜も採ってきますから」
俺が話題を変えるように誘うと、二人は少し迷った末に残ることになった。
昼食は魚を焼き、採れたばかりの野菜と卵を使った簡単な料理を添えた。せっかくなので室内ではなくテラスのテーブルへ運ぶと、湖から吹いてくる風がちょうどよく、気温以上に涼しく感じられる。
「どうです? 結構いい場所でしょう。最近は日本の家より、こっちにいる時間の方が長くなりそうな気がしてるんですよ」
俺が湖を眺めながら尋ねると、野口さんも景色へ目を向けた。
「仕事で来ていることを忘れれば、普通に休暇を過ごしたくなる場所ですね。研究区域とここが同じ箱庭の中だとは思えません」
「研究所みたいになるのは嫌だったので、最初から離しておいて正解でしたね」
俺が満足しながら魚を食べている横で、高橋さんは時々周囲へ視線を向けていた。おそらく家の安全性や、限定ゲートから生活区域までの距離などを考えているのだろう。
本人が湖を見ながら飯を食べている時まで警備を考えているのだから、本当に真面目な人である。
「そういえば、エネルギウムの研究ってどうなってるんです?」
食事が半分ほど終わったところで尋ねると、高橋さんは箸を置き、研究そのものは順調だと教えてくれた。
「松島先生からの報告では、電気エネルギーを内部へ保持できることについては、かなり確度が高くなっています。ただし実用品として扱える段階ではありません」
「まだ危ないんですか?」
「大量の電力を蓄えた状態で破損した場合に何が起きるのか分かっていません。急激な放電や発熱が起きる可能性もありますから、安全性を確認するまでは八樹さんの家にも持ち込めません」
即答されたので、俺は素直に諦めることにした。
「じゃあ、冷蔵庫に使えるようになるのはまだ先ですね。今の設備でも困ってないから、急がなくていいですけど」
そう答えると、高橋さんが少し複雑そうな顔をした。
「政府では、日本の電力事情そのものへ影響を与える可能性がある物質として検討を始めています」
「それは聞いてますよ。でも俺にとって一番身近な使い道が冷蔵庫なんだから仕方ないでしょう。国家電力網をどうするかなんて、俺が考えるより皆さんが考えた方が絶対いいですし」
価値を軽く見ているわけではない。むしろ、とんでもないものなのだろうということくらいは分かっている。
だからこそ専門家へ任せている。
ハコニウムもエネルギウムも、政府や研究者が安全に使える方法を考えてくれるならそれでいい。その間に俺は箱庭を育て、資源が再形成される環境を維持しておけば、お互いにやるべきことを分担できる。
「八樹さんらしくていいんじゃないですか。少なくとも、こちらが真面目に研究している間に勝手な使い方をされるより安心できます」
野口さんが笑いながらそう言うと、高橋さんも最後には頷いた。
食事を終えた二人が限定ゲートを通って日本側へ戻った後、俺は一人でテラスに残った。
目の前には湖が広がり、その向こうには草原と森が続いている。時折水面から魚が跳ね、森の方からは鳥の声が聞こえてくる。
冷蔵庫からビールを一本取り出し、椅子へ腰を下ろす。
最初に箱庭を手に入れた時には、草原と小さな水源しかなかった。
そこへ畑を作り、鶏を入れ、森を育て、川や湖が生まれた。領域が広がれば地下から鉄や銅が見つかり、金銀だけでなく、ハコニウムやエネルギウムなんて未知のものまで出てきた。
政府が関わるようになり、今ではアメリカまでハコニウムの研究に参加している。
それでも俺自身がやりたいことは、最初からそれほど変わっていなかった。
面白そうなものを増やし、箱庭を育て、自分が自由に過ごせる場所を作る。
国家機密になったからといって、俺まで毎日難しい顔をして暮らす必要はない。難しいことを真面目に考えてくれる人たちがいるのだから、俺は俺なりにこの世界を育てればいい。
冷えたビールを飲みながら湖を眺めていると、次にやりたいことが自然と頭へ浮かんできた。
「次は果樹園だな。リンゴと梨と桃、それから柿も欲しいし、ブドウは絶対に外せないな」
箱庭なら普通より遥かに早く育つ。
果物を食べるだけでも楽しそうだが、ブドウが十分に採れるようになれば、その先には別の楽しみもある。
自分で酒を造ってみるのだ。
ワインだけでなく、箱庭で育てられる作物を増やせば、他にもいろいろ試せるかもしれない。
政府がハコニウムやエネルギウムの扱いについて真剣に頭を悩ませている頃、俺の関心はすでに果樹園と酒造りへ移り始めていた。
箱庭の主としてどちらが正しい過ごし方なのかは分からない。
ただ少なくとも俺は、こちらの方が楽しかった。




