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箱庭の主 ~俺だけが異能に目覚めたので、小さな世界を育てていたら国家機密になりました~  作者: にゅん


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最初の畑

 翌朝、目を覚ました伊織が最初に確認したのは、昨夜突然手に入れた《箱庭》だった。意識を向けるだけで半透明の画面はすぐに現れ、管理者の欄には八樹伊織という自分の名前が昨日と変わらず表示されている。


「やっぱり夢じゃなかったか」


 今日は土曜日で会社も休みだったため、いつもの休日なら昼近くまで寝ているところだった。しかし昨日見た草地と泉が気になってしまい、一度目を覚ますと二度寝する気にはなれなかった。


 簡単に朝食を済ませた伊織は、まずホームセンターへ向かった。《箱庭》には道具を購入する機能も存在しているが、現実世界で簡単に買える物まで貴重なPtを使う必要はないと考えたからだ。


 軍手や長靴、小さなスコップなどを購入して帰宅すると、それらを袋へまとめた。昨日はスマートフォンや財布を持ったまま移動できたため、今日は手に持った荷物まで一緒に運べるのか確かめるつもりだった。


 準備を終えた伊織が《箱庭へ移動》を選択すると、一瞬だけ視界が白く染まった。次に目を開いた時には昨日と同じ草地へ立っており、ホームセンターで購入した袋も問題なく手元に残っていた。


「これなら、必要な物は向こうで買えばいいな」


 現実世界から物を持ち込めるなら、かなり便利だった。箱庭の機能を使わなければ手に入らない植物や生物へPtを使い、普通の道具や日用品は現実世界で購入するという使い分けができる。


 伊織は昨日見つけた泉の近くまで歩き、その周囲から少し離れた草地を最初の畑に決めた。いきなり広い畑を作るつもりはなく、まずは本当に植物が育つのか確かめられる程度で十分だった。


 《購入》を開いて選んだのはジャガイモだった。トマトやキャベツ、小麦なども購入できたが、農業経験のない伊織でも比較的育てやすい印象があり、収穫した後に自分で食べられることも理由だった。


 購入を決定すると、目の前の草地へ小さな木箱が現れた。中にはいくつかの種芋が入っており、見た目だけならホームセンターで売られていても違和感のない普通のジャガイモにしか見えない。


「能力で買った物が木箱で出てくるの、妙に現実的だな」


 もっと光り輝きながら現れるものを想像していた伊織は、少し拍子抜けしながら木箱を持ち上げた。しかし普通に重量があり、中の種芋にも触れられる以上、これも草地や泉と同じように実物らしい。


 問題は、ここからだった。


 農業経験など学校の授業程度しかない伊織は、昨夜のうちにスマートフォンへ保存しておいた栽培方法を確認しながら草地を掘り始めた。最初は簡単だと思っていたが、実際に土を耕してみると想像以上に身体を使う。


 三十分も経たないうちに腰が痛くなり、額には汗が浮かんでいた。箱庭の中は暑すぎるわけではないのに、慣れない姿勢で土を掘り続ければ当然疲れる。


「これ、広い畑なんて絶対無理だろ……」


 会社ではほとんど身体を動かさないため、休日に突然農作業を始めれば疲れるのも当然だった。伊織は途中で泉まで歩き、持ち込んだ飲料水を飲みながら十分ほど休憩した。


 それでも自分で始めた以上、最初の畑くらいは完成させたい。伊織は休憩を終えると作業へ戻り、午前中を使って小さな区画だけを耕した。


 完成したものは、農家が見れば笑うような小さな畑だった。それでも自分一人で土を掘った伊織にとっては十分な達成感があり、種芋を植えて土を戻した頃には少し嬉しくなっていた。


 最後に泉から汲んできた水を与える。


 すると《箱庭》の画面へ、植物が正常に定着したことを知らせる文章が表示された。さらに生命活動が始まったことで、箱庭そのものにも僅かな変化が生じているらしい。


 Ptも増えていたが、伊織は細かな数字までは気にしなかった。


 説明によれば、植物や生物が箱庭内部で暮らすことでPtは自然に蓄積され、それを使って新しい生命や設備を追加できるらしい。つまり大切なのは一回の作業で何Pt得られるかではなく、箱庭そのものを育てていくことだった。


「まあ、今は増えてるならそれでいいか」


 伊織は管理画面を閉じると、植え終わったばかりの畑を眺めた。


 もちろん、すぐに何かが起こるわけではない。土を見つめていてもジャガイモが飛び出してくるはずはなく、今日できることはこれで終わりだった。


 そこで伊織は、泉の水についても調べてみることにした。


 昨日の管理画面では飲用できると表示されていたが、いくら能力がそう言っているからといって、正体不明の水をいきなり大量に飲む気にはならなかった。持ち込んだ簡単な検査用品で確認しても、少なくとも明らかな異常は見つからない。


 伊織は少量だけ口へ含んだ。


「……普通の水だな」


 冷たく、妙な味や匂いもなかった。


 しばらく様子を見て体調に問題がなければ、畑への水やりだけでなく自分の飲み水としても使える。将来的に長時間箱庭へ滞在するなら、水源が最初から存在していることはかなり大きかった。


 泉の周囲を歩いた後、伊織は箱庭の中央付近まで戻った。


 昨日は初めて見る異空間に驚いてばかりだったため、今日は改めて土地全体を観察してみる。現在はほとんどが草地で、泉以外に目立つものは存在していない。


 鳥の声も聞こえなければ、虫が飛んでいる姿も見えなかった。


 植物らしいものは地面を覆う草だけで、森林はもちろん、大きな木も存在していない。自然に見える景色ではあるものの、生き物がほとんどいないため、よく観察すると妙に静かな場所だった。


「最初は本当に何もないんだな」


 だからこそ、自分で好きなように作れる。


 伊織は少し楽しくなってきた。


 畑を増やしてもいいし、木を植えてもいい。昨日の購入画面には鶏やウサギなどの動物も存在していたため、環境を整えれば飼育することもできる。


 ただし、今日の農作業だけで身体は十分疲れている。


「動物は、もうちょっと準備してからだな」


 餌や水だけでなく、逃げないよう囲いも必要になる。何も知らずに購入してから困るより、現実世界で飼育方法を調べてから導入した方がいい。


 伊織は午後になる前に現実世界へ戻った。


 玄関へ帰還すると、箱庭で土を触った軍手や長靴もそのまま持ち帰ることができた。服についた土まで残っているため、箱庭と現実世界の間では物質を普通に持ち運べるらしい。


 これは便利な反面、少し気をつける必要がある。


 箱庭で育てたものを現実世界へ持ち出せる可能性が高いからだ。


 まだジャガイモすら収穫していないため先の話ではあるが、植物の成長速度が本当に普通ではないなら、いずれ自分だけで扱える範囲を超えることもあるかもしれない。


 もっとも、今の伊織には遠い未来の話だった。


 昼食を食べた後は、スマートフォンでジャガイモの育て方や鶏の飼育方法を調べながら過ごした。農業関係の動画まで見るようになった自分がおかしくなり、途中で一人笑ってしまう。


 昨日までなら絶対に検索しなかった内容だった。


 夕方になってから、伊織はもう一度箱庭へ入った。


 畑に大きな変化はない。


 土も朝と同じように見える。


 それでも管理画面ではジャガイモが問題なく生育を始めていると表示されており、伊織は少し安心した。


 さらに詳しい情報を確認したところで、初めて気になる表示を見つけた。


 箱庭内部では、植物や生物の成長速度が現実世界より速くなるらしい。


「どれくらいだ?」


 伊織が確認すると、現在のジャガイモは十日ほどで最初の収穫期へ入る可能性があると表示された。


 農業に詳しくない伊織でも、それが普通ではないことくらい分かる。


「十日って……早すぎないか?」


 スマートフォンで保存しておいた情報を確認する。


 当然、現実世界ならそんな短期間で収穫できるものではない。


 伊織は畑と管理画面を何度も見比べた。


 もし本当なら、この箱庭は単に土地を持てる能力ではない。


 植物を現実とは比較にならない速度で育てられる場所ということになる。


 しかし、だからといってすぐに大量栽培を始めようとは思わなかった。


 まず本当に十日程度で育つのか確かめる。


 そして収穫できたとして、それが普通のジャガイモなのか確認する。


 食べても問題ないのか。


 現実世界へ持ち出しても変化しないのか。


 確認したいことはいくらでもあった。


「一個ずつだな」


 伊織はそう決めた。


 箱庭を手に入れてまだ二日目である。


 急ぐ理由などなかった。


 翌日も伊織は仕事へ行く前に箱庭へ入り、畑の状態を確認した。


 そこで昨日との違いに気づいた。


 土の一部が僅かに盛り上がっている。


 近づいてみると、小さな緑色の芽が顔を出していた。


「もう出たのか……」


 昨日植えたばかりだった。


 それなのに、ジャガイモは確実に育っている。


 一本だけではない。


 畑の何か所かから同じような芽が現れていた。


 伊織は出勤時間を気にしながらも、数分ほど畑の前から動けなかった。


 自分だけの小さな土地で、自分が植えた植物が育っている。


 それだけのことなのに、妙に嬉しかった。


 会社へ向かう直前、伊織はもう一度だけ畑を振り返った。


「帰ってきたら、また見るか」


 昨日まで退勤後の楽しみといえば、酒やゲームくらいだった。


 そこへ今日から、小さな畑が加わった。


 この時の伊織にとって、《箱庭》はまだ自分だけが知る秘密の趣味でしかなかった。植物の異常な成長速度も、便利で面白い能力だと思っている程度であり、その仕組みが植物だけではなく、動物や森林、さらに遥か地下の資源にまで及ぶことを知るのは、もう少し先の話だった。

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