第8話 刻まれた真実
翌朝。視察二日目。
ベアトリスは予告通り、領主邸の書斎を視察対象に含めるよう要求した。ニクラスは拒否せず、書斎を開放した。
視察官たちが書斎を調べている間、私は基盤石の維持点検を装いながら、別のことを考えていた。コンラートの言葉の裏付けを取る方法を。
昼前に、ハンナが駆けつけてきた。
「ソフィアさん、オットーさんが——」
ハンナの顔は蒼白だった。
「牧場で倒れたの。医師が駆けつけたけど——」
走った。牧場まで全力で走った。
オットーは牧場の納屋の前に横たわっていた。町の医師が傍らに膝をついている。大柄な体が、不自然なほど静かだ。
「毒だ」
医師が低い声で言った。
「水源に仕込まれていた可能性がある。牧場の井戸水から検出された成分は——魔力阻害剤の一種だ。大量に摂取すると内臓に負担がかかる」
魔力阻害剤。魔法陣師や魔法使いの魔力を一時的に封じるための薬品。それ自体は医療用途もあるが、濃度を上げれば毒になる。
オットーの顔に、もう表情はなかった。
前領主と同じだ。不正を知る者が、また一人消された。
膝が震えた。こみ上げるものを必死に飲み込む。
(……オットーさん。昨日まで、あんなに元気に牧場を歩いていたのに)
ニクラスが到着した。オットーの遺体を見下ろし、拳を握りしめた。
何も言わない。だが、その沈黙は怒りで満ちていた。
ベアトリスも現場にやってきた。表情は冷静だった。
「お気の毒に。辺境では衛生管理が行き届かないこともあるのでしょう」
衛生管理。そう片づけるつもりだ。
私は何も言わなかった。今ここで告発しても、証拠の裏付けが足りない。感情で動けば、相手の思うつぼだ。
(……観察。仮説。検証。証拠提示。手順を守れ、ソフィア)
午後。視察団は書斎の調査を終え、「特に問題なし」と記録した。リントナーの手紙がないことに気づいたかどうかは読めない。
日没後。約束通り、コンラートが基盤石のところにやってきた。
私は星明かりの下で最深層を起動してみせた。リントナーの設計図が浮かび上がる。
コンラートの目から涙がこぼれた。
「……祖父の筆跡だ。間違いない」
「この設計図は、宮廷基幹魔法陣の改竄前の原本です。現在の基幹陣と比較すれば、どこがどう改竄されたかがわかります」
「比較するには、現在の基幹陣のデータが必要ですね」
「ええ。それを持ち出せますか」
コンラートは涙を拭い、真剣な目で頷いた。
「検査課のアクセス権限では閲覧はできませんが——検査の過程で一時的に記録媒体を預かることは可能です。写しを取る時間は限られますが」
「十分です。必要なのは出力経路の数値だけですから」
計画が固まりつつある。コンラートが王都に戻った後、基幹陣の現状データを入手する。それとリントナーの原本を照合すれば、改竄の証拠が完成する。
「もう一つ、コンラートさん。今日、オットーさんが亡くなりました。毒殺だと考えています」
コンラートの顔がこわばった。
「ベアトリス様の指示ですか」
「断定はできません。ただ、タイミングが——」
「視察団の中に、不審な動きをしていた者がいます」
「誰ですか」
「ヨハン。視察官の一人です。昨夜、宿を抜け出していました。自分の部屋は廊下を挟んで向かいなので、足音が聞こえた」
ヨハン。視察団の中で最も無口で、存在感の薄い男。年齢は三十代半ば。
「ヨハンは検査課ではなく、局長直轄の特別監査室の所属です。表向きは検査官ですが、実質的には——」
「処理係か」
コンラートが無言で頷いた。
局長ヴォルフラムの直属。不都合な人物を「処理」する役割。前領主の死も、リントナーの死も、そしてオットーの死も——。
怒りが腹の底で燃えた。けれど、表には出さない。
「コンラートさん、あなた自身の安全は大丈夫ですか。リントナーの孫が局内にいることを、ヴォルフラムは知っているのでは」
「知っています。だからこそ、自分を視察に同行させた。監視するために」
「ならば尚更、慎重に動かないと」
「承知しています。祖父のように消されるつもりはありません」
強い目だった。リントナーの血を引く者の、静かな覚悟。
基盤石の光が消える。星が雲に隠れたのだ。
二人で丘を下りた。途中、ニクラスが待っていた。三人で言葉少なに領主邸に向かう。
月のない夜道で、ニクラスが隣を歩いた。いつもは少し先を行く人が、今日は私と歩調を合わせている。
その些細な変化が、何よりの言葉だった。
領主邸の前で別れ際、ニクラスが小さく言った。
「明日で視察は終わる。視察団が去った後、次の手を打つ」
「ええ。オットーさんの分まで、必ず」
宿の部屋に戻り、手帳を開いた。オットーから受け取っていた検査記録の写しを確認する。
彼が命をかけて残した記録を、無駄にはしない。
——そして私は、まだ知らなかった。ベアトリスが最後に仕掛ける罠が、明日の朝に待っていることを。




